Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/orfool/soccerlture.com/public_html/wp/wp-includes/post-template.php on line 293
no-image

【インタビュー】バニーズ京都SC・DF酒井望~”左利きの左SB”としての視点『【連載】サイドバックから考える現代サッカー(特別編)』

 現在のサイドバックは、「守備をするだけではいけない時代」を経て、「攻撃と守備でタッチライン際をアップダウンし続ける時代」も越えた。ワイドの開いたポジションでパスの“受け手”になるだけでなく、中央に入ってパスの“出し手”となる選手も現れた。もはや、「攻撃的SB」と表現するだけでは、その選手の持ち味を把握できない時代になった。

 GKにも足下の技術が要求され、FWも「最初のDF」としての守備のタスクが必須となった現代サッカー。その中で最も進化したポジションはサイドバックだろう。

 そんな現代サッカーの最重要ポジションについて、「プレナスなでしこリーグ2部」昇格を争う入替戦を控える「プレナスチャレンジリーグ(3部相当)」バニーズ京都SCの左SB酒井望選手にお話しを伺いました。精度の高いパワフルなキックでセットプレーも担当する彼女の、“左利きの左SB”としての言葉に耳を傾けてみよう。

大学時代にコンバートされたサイドバック

―――今回はサイドバックというポジションをテーマにしてお話を進めたいと思っています。早速ですが、サイドバックをやり始めたのはいつからですか?

「大阪体育大学(以下、大体大)に入ってからです。大学1年生の時に監督から『今までやったことのないポジションあるか?』と聞かれて、自分は『DFだけやったことがないです。』と答えたら、次の練習試合で初めてサイドバックを経験して、それ以来ずっとです。」

―――えっ、いきなりのコンバートだったんですか?監督に理由を聞いたりはしなかったのですか?

「理由は直接聞いてはいないのですが、大体大が“蹴るサッカー”だったのが関係していると思います。後ろから蹴ってFWを走らせたり、ポストプレーや落としを受けていくサッカーでした。それで当時の自分の持ち味がキックしかなかった、という部分があると思います。その自分のロングキック、ロングフィードを活かすために、そして、左利きの特性を活かすためにコンバートされたんだ、と捉えています。」

「左利き」と「両利き」の“違い”

―――「左利き」というキー・ポイント。日本では両足が蹴れるようになる指導が一般的だと思います。左利き自体が少ないとはいえ、女子なら鮫島彩選手(INAC神戸レオネッサ)、男子なら長友佑都選手(インテル・ミラノ/イタリア)のような「両利き」の選手が左サイドバックを務めています。

「自分の場合は極端な左利きなので、逆に相手からも『アイツは左しかないぞ』と言われるんですけど、それでア~ッとなってしまうよりも、逆に左足だけで活きるようなプレーを心掛けて来ました。」

―――自称「右足は水鉄砲」と仰る言葉が残っていますが、左足だけを鍛えるキッカケがあったんですか?

「そっ、それは・・・ナイショです(笑)。でも、高校の時の監督が左利きだったんです。その監督がめちゃくちゃサッカーが上手くて、『監督、自分も右足練習した方が良いですか?』と聞いたら、『いや、左足だけ練習しろ!右足で蹴れなくても、左足で何でも出来れば大丈夫だから』と、言われたんです。そこから左足だけで生きて来た感じですね。」

―――「左利きのサイドバック」だけの強みはどこにありますか?

「例えばトラップですね。中央のセンターバックやボランチからサイドでパスをもらった時、右足でトラップするとピッチの中央側に止めてしまいがちです。それだと縦パスの視野がかなり限定されてしまうので、選択肢が少なくなります。逆に左利きならタッチラインぎりぎりにトラップしたり、ボールを置けます。相手が触れないのでロングキックもすんなり蹴れます。それは間違いなく“強み”ですね!」

 なるほど、単に「両足が使える」だけでは意味がない。例え両利きであっても、しっかりと適切なアングル(角度)や体の向きで両足を使うことが大切なようだ。今後、両足が使える選手がボールを受けるエリアでどちらの足でトラップしたり、ボールを置く位置を作っているのか?に注視すると、ミクロなサッカー観戦が体験できそうだ。

【大学時代】“先輩”現ガンバ大阪の藤春廣輝選手との出会い

―――保健体育の教育実習でも行かれた母校・福井工業大学付属福井高等学校は、酒井望選手が生徒として入学された時、女子サッカー部は創設4年目だったんですね?

「サッカー経験がゼロの子はほとんどいなかったんですが、入学した時はまだまだでした。」

―――後輩には、伊賀フットボールクラブくノ一のDF大橋実生選手など、現在のなでしこリーグ1部に選手を輩出するようになりましたね。

「ちょうど教育実習で行った時にも、現在は伊賀でプレーするDF竹島加奈子選手もいました。」

―――その後、酒井望選手は大阪体育大学へ進学されました。その頃からガンバ大阪の藤春廣輝選手を筆頭に、当時は関西リーグ2部にも関わらず大体大卒業の選手が多くJリーグに入団されたと思います。