ヴィトーリア·ギマランイスのユースアカデミーから2010年トップチーム昇格。ポルトガルU-21代表での初出場は2012年。トンデラでは2018-19シーズンに12得点を決め最終節で一部残留に貢献している。
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アノルトシス·ファマグスタとのホームゲームに続きアウェー戦でも出番はなかったもののポルトガルのブラガで見て以来の懐かしい顔を見掛けた。
ウィルソン·エドゥアルド:Wilson Eduardo【1990年7月8日生】は、2021年アランヤスポルに加入。2004ポルトからスポルティングCPの下部組織に移り’09年トップチームに昇格する。
ポルトガルU-20、U-21代表に招集されていたがA代表は’19年のアンゴラ。ポルトガル国内を渡り歩いていたストライカーが初めてイベリア半島を離れたのは2014-15シーズン。かつてKINGカズも在籍したクロアチアのディナモ·ザグレブだった。
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ポルトガルA代表では45試合9得点。ピッチの外でも武勇伝に事欠かないが、やはりあの日の出来事が印象に残る獅子王。’86年のワールド杯メキシコ大会を最後に、世界と欧州のメジャー大会で四連続敗退のポルトガルが十年ぶりの復活。黄金世代の躍進で’96年のユーロでは八強に進出した。然しワールド杯フランス大会予選では大苦戦。
怒髪天を衝く獅子王でも暴力には厳重処罰
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1997年3月26日、サ·ピントは北アイルランドの招集メンバーから外される。理由はプライベートと試合で重なる規律違反。選外の知らせを聞くと激高しリスボンで代表チームがの練習中に突如現れるや否や、行成りジョルジェ監督の顔にまず二発のパンチ、更に立ち上がろうとするところへ二、三回の蹴りを入れる暴挙。現役時代の天龍源一郎:Genichiro Tenryu【1950年2月2日生】氏は倒れた相手の顔面を蹴り上げる《サッカーボールキック》をプロレスの試合で披露していた。拳は兎も角、本職の蹴りはどれ程の威力なのか。結果代表だけでなくクラブチームでの出場まで一年間禁止の厳しいペナルティが下される。
因みにこのアウェーでの北アイルランド戦は0ー0のドロー。もしポルトガルが勝利していればウクライナと順位は入れ替わりプレーオフでクロアチアと対戦していた。
’98年6月5日=26年前の今日、成田空港に到着したカズは金髪に染めていた。スイス·ニヨンでの選外通告。 この時ばかりは普段温厚なカズも怒り、戦友井原は泣いた。『誇りと魂を置いてきた』の名言から二十七年を経た今もキングはJFLの鈴鹿で飽く迄現役に拘る。〖第六話了〗
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝