Foot ball Drunker 〔134〕visiting 『Juventus Stadium』トリノ / イタリア

上写真は2008年開業したトリノ·ポルタ·スーザ駅。訪問したのは2016年10月19日。こちらも美食の街として名高い仏リヨンから乗ったTGVが到着。実は半年前の5月、正午過ぎにトリノに着くはずが、ストライキで列車が運行せず結局16時19分の到着。慌てふためき、急遽イベントを翌日に延期したトラブルも欧州でならではと今では懐かしく思える。

第134話はユヴェントス·スタジアム。市中心から北西方向にバスで30分以上かかるとはいえStadio Nordのバス停で下車すれば目の前がスタジアム。5キロの距離だから頑張れば歩けなくもない距離か。


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前日リヨンでのチャンピオンズリーグではフアン·クアドラード:Juan Cuadrado【1988年5月26日生 】の貴重なゴールで難敵OLから白星。ナイトゲームを前にお隣のミニスタジアムでUEFAユースリーグを取材。レジェンドの姿を見かけてピッチサイドを驀地。スタンド最前列から光栄にも手を差し延べてもらいローアングルショット。


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もしもミステルユヴェントスは誰かと問われれば、パベル·ネドベド:Pavel Nedvěd【1972年8月30日生】氏しか思い浮かばない。

そのプレーをほとんど見ていないミシェル·プラティニ:Michel Platini【1955年6月21日生】は別格として、ロベルト·バッジョは紫、ジダン:Zinedine Zidane 【1972年6月23日生】は白いユニフォームの印象が白黒縦縞よりも遥かに強い。

クラブ歴代最多得点記録&最多出場記録ながらバロンドールを受賞していないのでアレッサンドロ·デル·ピエロ:Alessandro Del Pieroは【1974年11月9日生】は対象外。

2001-02シーズンにラツィオから移籍。2002-03シーズンから09年の引退まで327試合に出場。記憶に刻まれているのは2003年5月14日レアルの連覇を阻止した準決勝第二戦。敵地で1-2の敗戦から前半に2得点を奪い引っ繰り返す。後半28分ネドヴェドが右足で決め3-0。アディショナルタイムにジダンに得点を許して合計4-3でファイナルの切符を手にすしたから、ネドヴェド得点は正に値千金。そして残り8分で通算三枚目のイエローカードが出される。オールド·トラッフォードでのミラン戦が主役不在でスコアレス=PK決着の凡戦になったのも致し方ない。事実上の決勝がレアル戦。’09年に引退すると翌10年10月フロント入り15年からは副会長に就任。スクデット9連覇を陰から支えた。昨秋虚偽会計やキャピタルゲインにおける不祥事の責任を取り役員総辞職の顛末。


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するとペトル·フォスコ:Petra Fouska【1962年11月19日生】会長と実行委員会のメンバーであるアドルフ·シャデク:Adolfa Šádka 【1975年3月4日4生】氏から代表チーム監督就任のオファーが届く。
年明けに現地メディアは、《協会からの申し出と提示された条件に謝意を表明したうえで、熟慮し慎重に検討を重ねた結果の辞退》である事を報じている。96年からイタリアで生活しておりチェコ国内の状況を把(掌)握できていないからと本人は述べているが、そもそも監督·コーチとしての経験が彼にはない。
その後ネドヴェド氏の近況は報じられてはいないのだが四半世紀暮らしたらこの地を離れチェコに戻る気にはならないのではなかろうか。英語が通じるからか旅行者に優しい街として知られるトリノ。ナポリは論外、ローマやミラノ、フィレンツェなど他州の大都市と比較しても、高所得者が多く貧困層が少ないので治安は良好、けして食だけではないこの魅力的な街を離れる理由がどうにも見当たらないのだから。[第134話了]