40〗Estadio Aurélio Pereira / アルコシェテ

富を得る最高の商材は 今も変わらずヒト

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エウゼビオ·マンゴ·フェルナンデス: Eusébio Mango Fernandes【1973年10月22日生】は、ギニアビサウのペフィネ地区に生まれ’88年にスポルティングCPユースに加入。88-89はポルティモネンセ、90-91シーズンにはFCポルトとポルトガル国内を渡り歩いたディフェンダー。自身の選手代理会社マンゴ·インターナショナル·フットを設立した。彼の息子ジョエルソン·フェルナンデス:Joelson Fernandes【2003年2月28日生】は現在スュペル·リグのハタイスポルでプレ-している。
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幼少期をギニアビサウで過ごし、ビサウ郊外のクラブ、アカデミア·ヴァルサ·ド·バイロ·ミリタールでボールを蹴り始めた。十一歳でポルトガルへと渡ると二年間は週末のみ、アヴェイロの自宅からリスボンまで海岸沿いの道路を車で送り迎えしてもらい、十三歳になってからはリスボンで暮らし始めアカデミーでのフルタイムトレーニングが解禁された。スポルティングCPでトップデビューしたのは2019-20シーズン。ジル·ビセンテ戦の終盤交代出場は僅か一分のプレーながら当時は十七歳。クラブ史上三番目に若いデビューとなったが最年少ではないところがおそるべしスポルティング。
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2018年4月のU-15代表デビューとなるノルウェー戦でゴールを決めて以来、第二の故郷ポルトガルのユースチームで成長を遂げると’20年秋のU21欧州選手権予選にも五試合出場。こちらも十七歳での出場だから早熟の天才ドリブラ-に各国クラブのスカウトも眼の色を変えた。ジョエルソンに移籍金四千五百万ユーロ(約五十億円)で獲得に乗り出したのはアーセナル。ユヴェントスやバルセロナも争奪戦に加わったが結局交渉はまとまらず。このままポルトガルA代表まで一気に駆け上がるのかと思われがちだが近頃は様相に変化が見られる。
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例えばママ·バルデ:Mama Samba Baldé【1995年11月6日生】。’19年にリーグアンのディジョンに移籍した彼はギニアビサウ協会の招集に応じている。昨年ブレストに移籍すると念願のCLデビュー。レッドブル·ザルツブルク戦ではアシストも記録し勝利に貢献した。その後はバルサ、レアル、PSG戦と九試合欧州最高峰の舞台を経験している。彼も九歳まではビサウで過ごしていた。リスボンの北西約三十キロ離れたメン·マルティンスのクラブで学び十七歳からスポルティングCPと契約している。
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スポルティングで磨かれた原石四選+2

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第40話はエスタディオ·アウレリオ·ペレイラ。2002年に建設され若者達の汗と涙が染み込んだピッチと千百八十人収容のスタンド。リスボン市内からは意外に離れたアルコシェテにある。国際空港から東側にテージョ川を渡って三十キロ以上の距離。バスを乗り継いでいた着いてみたら二時間近くかかっていた。スタジアム名にもなったのはスカウト&指導者として育成の名門の礎を築いた偉人。先々月七十七歳で鬼籍に入った。UEFA欧州選手権:ユーロ2016で悲願のメジャ-タイトルを獲得したポルトガル代表の異名は“アウレリオス”。彼が発掘した十人の選手が招集されていたのである。
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