104〗EPET Arena / プラハ

二十二年前ピッチ上で退治した二人。ロシツキは膝の慢性的な問題とアキレス腱など怪我に悩まされ、ドラゴンも慢性的な腰痛と膝の痛みで’06年ドイツへの道を断たれた。ハシェックと同じ古巣で引退からスポーツディレクターのル-トを踏襲したロシツキは、昨年五月に心臓疾患で緊急搬送され現在も自宅で療養中、職場への復帰はできてきない。現役時代、リトルモ-ツァルトの他にロシツキのニックネームがもうひとつあった。誰がつけたのかは知らないが『ガラスの天才』。技術とセンスは勝っていても鉄の心臓に例えられたネドヴェドの強さが欠けていた当時を思い返し復帰を心から願う。
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引退後の幸福にたどり着けず 道半ばで転落死したストライカー

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チェコ代表でスパルタの元主将ヨゼフ・シュラル:Josef Sural【1990年5月30日生-2019年4月29日没】。スパルタからアランヤスポルに移籍したストライカーは、愛妻と幼い娘二人を残して二十八歳の若さで鬼籍に入る。’19年4月29日の夜カイセリスポルとのアウェー戦から戻る途中の悲劇。航空機での移動では空港に長時間待たされる為、クラブが用意したメルツェデスのミニバスに乗車したのが判断の誤り。約五キロで到着するところで運転手が居眠り。車は谷底へと転落しシュラルは重度の頭部外傷を負い病院へと搬送される。適切な医療処置を受けたにもかかわらず彼の命だけが救われなかった。葬儀にはトルコ政府の外務大臣が参列する記事を目にしたのを覚えている。
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「日本のサッカ-史を振り返っても久保竜彦が最も優れたストライカーで、海外でプレーする姿を見たかった」という声を耳にする機会は多い。オファーはロシアプレミアやベルギーのクラブからだったと引退後週刊誌上で本人が語っていた。コンディションやライフスタイルへの拘りから国内で幕を閉じた現役生活。子どもの指導に取り組みだして間もない’13年には『プロフットボーラーの家族の肖像』(いとうやまね著)が発刊され十九歳で結婚し’98年に長女’04年には次女と、子宝に恵まれたドラゴン家の子育てが紹介されている。一昨年生まれた初孫を溺愛する穏やかな生活を優先しており、欧州への挑戦が必ずしも正しい選択とは限らないことを証明している。
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最後の写真は手前で足を振り抜くイスラエル人。中央で手を広げパスを要求するシュラル。36分クロスに頭であわせてネットを揺らしていたから「あんたはもう点とってるだろ」と無視してシュ-トを選択したベン・ハイム。この写真を撮影してから悲劇が起こるまで僅か一年半。’06WCドイツ大会終了後稲本がガラタサライ移籍から二十年、多くの日本人選手がトルコのクラブに移籍しているが移動するなら空路、車での長距離移動だけは避けるよう進言する。〖第百四話了〗
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:笹倉美乃理