104〗EPET Arena / プラハ


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三人目はトマシュ・ロシツキ:Tomáš Rosický【1980年10月4日生】。チェコのフットボールの文献を初めて熟読したのはスポーツ・グラフィック『Number』の498号だった。「不敗神話の国・探訪記」チェコ共和国眠れる獅子」の見出しで、橘昇:Noboru Tachibana氏のテキスト。今読み返してもハシェックのコメントなど興味深い。印象に残っていたのはキャプションに「19歳のMFロシツキ(中)は代表入りした」とだけ記されたロシツキの写真。当時は、まだスパルタに所属していた。カイ・サワベ氏が撮影しておりチェコの記事だけに五頁を割いていたから読み応え充分。1975年に渡独し’80年からは世界80カ国以上を周り撮影してきた国際フォトグラファ-の沢辺氏。作品はドイツ、イタリア、フランス、また日本でも展覧会で公開されている。
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プラハの冬に奏でたリトル・モーツァルトの終演

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小学生の低学年代からスパルタ・プラハのアカデミーで育ち’98年ハシェックと入れ替わるようにトップデビュー。2001年にはドルトムントへ移籍してしまったボスマン判決以降の世代。それでも
十年間ア-セナルで過ごした“リトル・モーツァルト”はハシェック同様’17年にプラハで臙脂のユニフォームを着て現役最後の試合に臨んだ。
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あの日あの時は◼️2017年12月3日HETリガ第16節ACスパルタ・プラハ対FKムラダー・ボレスラフ。カバー写真は同日のマッチデー・プログラム。ヴァルタヴァ川を26号線のトラムで越えると右斜め、目の前線路沿いにスタジアムが現れた。師走のプラハ、その寒さを証明する写真、屋根にオレンジ色の列を成しているのは遠赤外線暖房機器。プラハの春は約半年で鎮圧されたがプラハの冬は毎年厳しい寒さかやってくる。
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この当時の名称はゼネラリ・アレナ。’22年から現在は大手エネルギー持株会社EPHグループのEPETがネ-ミングライツを取得している。同社は主にプラハの電力・ガスの供給を行っている新進企業。そしてEPHグループの総帥は同国の大富豪ダニエル・クレティンスキ:Daniel Křetínský【1975年7月9日生】。スパルタ・プラハの共同オーナーでもあり、’23年にフランスのフナック・ダルティ:Fnac Dartyの筆頭株主に。’24年には英国の郵便サービス《ロイヤルメール》の買収を計画、昨年株主総会で承認されたと現地では報じられた。英国といえばプレミアのウェストハム・ユナイテッドにも出資して27%の株式を保有しているのがクレティンスキ氏。
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試合は3-0のスコアでハーフタイムに。そして後半17分ピッチには背番号十のレジェンドが登場する。更には十分後には背番号九のタル・ベン・ハイム:Tal Ben Haim【1982年3月31日生】を投入。ロシア大会予選で敗退したイスラエル代表チ-ム。前年(16年)9月テルアビブではイタリアに1-3の完敗。一子報いたのがこのベンハイム。名手ジャン・ルイジ・ブッフォン:Gianluigi Buffon【1978年1月28日生】が守るゴールに突き刺した。
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