代表監督を電撃解任されたのは、日本で最も活躍したチェコ人
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元祖チェコ人といえば、’91年スラヴィアからに東日本JR古河に加入したパヴェル・ジェハーク:Pavel Řehák【1963年10月7日生】の名前が浮かぶ。そして1990年WCイタリア大会八強入りしたチェコスロバキア代表の主将を務めたイワン・ハシェック:Ivan Hašek【1963年9月6日生】が’94年サンフレッチェ広島入り。昨秋の代表監督電撃解任された元協会会長は中学生年代からスパルタユ-スで研鑽を磨く。’94年サントリーシリーズ17節でヴェルディ川崎と対戦。ハシェックがハットトリック(二発はヘディング)を達成して勝利。このシリーズは現日本代表の森保一:Hajime Moriyasu【1968年8月23日 】監督と共に優勝トロフィ-を掲げた。ジェフ市原でプレーした後、帰国するとスパルタへ復帰。’98年引退後はクラブに残りスポーツディレクターを務め’04年からはパヴェルとの同級生コンビでヴィッセル神戸を指導していた。
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スタンド最前列まで降りてきてくれた“アイアンハ-ト”の掌の感触
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二人目はパヴェル・ネドヴェド:Pavel Nedvěd【1972年8月30日生】プラハで生まれ’92年(当時十九歳)に加入。チェコがスロバキアと別れていきなり準優勝したUEFA欧州選手権=EURO’96でブレイクするとプラハを離れてイタリアへ。ユヴェントスがリヨンに遠征したUEFAユ-スリ-グの試合前、スタンドの騒めきにレンズを向けると後光か射していた。ネドヴェドがユヴェントスの副会長に就任して既に一年が経過しており「パヴェール!」と声をかけて近づき右手を差し出し、左手にカメラを構えたためこんな妙な写真になった。黄金のバロンドールを頭上に掲げたプラハでの姿をCM前か後だったか、日本テレビの電波が届けてくれたのは2004年4月28日。手を握ったのだから間接的にバロンドール=黄金の球型トロフィーに触れたと満足に浸る。
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三人目はトマシュ・ロシツキ:Tomáš Rosický【1980年10月4日生】。チェコのフットボールの文献を初めて熟読したのはスポーツ・グラフィック『Number』の498号だった。「不敗神話の国・探訪記」チェコ共和国眠れる獅子」の見出しで、橘昇:Noboru Tachibana氏のテキスト。今読み返してもハシェックのコメントなど興味深い。印象に残っていたのはキャプションに「19歳のMFロシツキ(中)は代表入りした」とだけ記されたロシツキの写真。当時は、まだスパルタに所属していた。カイ・サワベ氏が撮影しておりチェコの記事だけに五頁を割いていたから読み応え充分。1975年に渡独し’80年からは世界80カ国以上を周り撮影してきた国際フォトグラファ-の沢辺氏。作品はドイツ、イタリア、フランス、また日本でも展覧会で公開されている。
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