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【書評】伊坂幸太郎『PK』

2013年の暮に岩見一郎・古賀史健共著で出版された『嫌われる勇気ー自己啓発の源流「アドラー」の教え』はちょっとしたベストセラーになった。

岩見氏はかねてからアドラーを日本に紹介するべく幾つか著書をしたためていたが、その本は心理学コーナーの片隅に置かれている程度だった。

共著の古賀氏はライターおよび雑誌編集者の経験者であり、かねてから岩見アドラー学をなんとかポピュラーにしたいと考えていた。
そして10年ごしの働きかけの結果、この本が実現しアドラー心理学の本質を現実の社会に則した問題解決型の対話形式という本文がわかりやすいと評判がうまれ、ベストセラーとなった。

サッカーのコラムなので、アドラー心理学について深く立ち入ることは出来ないが、簡単に紹介しよう。
アドラーはフロイトと同じユダヤ系の系に生まれウィーンに住んでいたが、やがてフロイトにまねかれ精神分析学に参加するが程なく決別、アドラー学といわれる個人心理学を確立した。
アドラーが着目したのが身体的欠陥。彼は「器官劣等性」と名づけたが、大道芸や軽業師の多くが自らの肉体そのものが商売道具であるのだが、多くを分析すると、もともと身体に欠陥があり、それを乗り越える心理過程に気づき、のちにコンプレックス理論として結実した。

作家伊坂幸太郎はそのことに着目、『PK』を書いた。
その前にPKに臨む選手を描写した次の文章を読んで欲しい。

プラティニもいれば、バッジオもいた。
大事なPKを外し、観客が騒然とする中、天才選手たちは不貞腐れ、頭を抱え、茫然とし、それぞれの反応を示す。
これほど単純な洗脳に引っかかるものか、と苦笑していたものの、果てしなく映しだされるその場面は、小津の頭をぎりぎりと締め付けた。

このようにプレーを文字で追っていく。
むろんこれは作家としての実力なのだが、一方で『PK』というモチーフは決断と勇気の象徴として描かれている。
自分の現状に満足できないなら、何かを変えなければならない。
しかしそれはともすれば、自己否定とつながってしまうおそれがある。
しかしその恐怖すらも乗り越えること、それが「勇気」だ。

伊坂は多くのファンがいる流行作家であるからこの小説も多くの人に読まれただろう。
しかしたくさんの『PK』を目撃した僕らサッカーファンだからこそ
伝わるリアリティがある。
そう信じている。