そして決勝戦はアメリカ人はまるでドイツ人かブラジル人になったかのようだったとも言われた。
アメリカ人がいうドイツ人とかブラジル人という意味は、やたらサッカーに夢中な人間という意味で若干だが奴らはクレイジーだと言わんばかりのジョークなのだが。それを自ら認めてしまった。
その「クレイジーぶり」が、隣国での開催で時差も殆ど無いことから、全試合が生中継され述べ2540万人が視聴したという。
では逆に女子サッカーになぜここまでの牽引力があったのか?
それは紛れもなくアメリカは女子サッカー大国であるからである。
データは古くなるが、FIFAによると2006年時点でアメリカの正式に登録されている女子サッカー選手は410万人。なんと全世界の4割を占める。この数は尋常ではない。
しかもそのうちユース年代が94%。これまた尋常ではない。
ここから見えてくることは、ほとんどの女子選手が途中でリタイアしてりまうことである。
この理由の最大の原因がやはりトップ選手の受け皿が完全に不足していること。あのスポーツ大国であっても日本と同じような問題を抱えているのだ。
女子サッカーに未解決の問題が山積していることは何度も指摘してきた。
ところがそうした環境の中で結果を出すということが、お膳立てされた環境とは違って、スポーツの純粋な姿、そういった魅力に、アメリカでも日本でも、試合を見た人に、サッカーの本質を越えた、何かを見出し、その結果が2トンの紙吹雪だったのである。
こうした状況が永遠に続くとは残念ながら思えないが、同時代を共有していることを、今は楽しみたい。