Foot ball Drunker 〔140〕visiting 『Andrův stadion』オロモウツ / チェコ

三十年戦争で荒廃したモラヴィアの旧都

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前回に引き続きアンドルーヴ·スタディオンの後編。ポルトガルとチェコ、両国代表が鎬を削るライプツィヒのスタジアムに響き渡るのはチェコ語の大声援。多民族国家ハプスブルク帝国が崩壊したのは1918年。民族自決の旗を掲げ新生国民国家が産声をあげる。チェコ人にとってのチェコ語とはアイデンティティの象徴となる。


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モラヴィアの名前が歴史上に登場するのは九世紀。後にハンガリーを建国するウラル系のマジャール人に侵攻されるまでは現在のチェコとスロヴァキア、ポーランド南部地域を含め大公国が実在した。崩壊したモラヴィアがボヘミア王国の辺境伯領に昇格=実質の独立を果たすとオロモウツを首都に。やがて全欧州を巻き込む三十年戦争の火種となったプラハでの事件。レンナート·トルステンソン:Lennart Torstenson【1603年8月17日生-1651年4月7日没】指揮するスウェーデン軍の侵攻を受けたモラヴィアは首都をオロモウツからブルノへと移している。

2017-18シーズン、前年二部から昇格したSKシグマ·オロモウツの快進撃。二位をキープして強豪スパルタ·プラハをアンドルーヴに迎えた15節。このシーズン最高となる1万1千人を超える観衆。この試合の勝利は勝ち点3以上の価値がある。自信を得たシグマは最終節で勝利を掴みそのスパルタに2ポイント差の四位でフィニッシュ。
モラヴィア地方のクラブがUEFAコンペティションに参加するのはFCバニーク·オストラヴァのヨーロッパリーグ(EL) 予選以来八年ぶりとなれば快挙と言っても大袈裟ではない。


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頭角を現したのは’95年生まれの二人。最終ラインで存在感を示したのはヴァーツラフ·イェメルカ:Václav Jemelka【1995年6月23日生】。2020-21シーズンにOHルーヴェンに貸し出された後、’22年FCヴィクトリア·プルゼニへと移籍。当時の同クラブ指揮官はイワンハシェク:Ivan Hašek【1963年9月6日生】現代表監督の後任として2009年から13年までナショナルチームを率いたミハル·ビレク:Michal Bílek【1965年4月13日生】。新加入のイェメルカについての質問には「彼は左足から質の高い配球、的確なタックル、闘志溢れるファイターで、ストッパーのポジションに加えて、サイドでのプレーもこなせる。」とコメントしている。


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一列手前の中盤低めのポジションの守備に安定感をもたらしたのがルカシュ·カルヴァフ【1995年7月19日生】。地元オロモウツの出身’02年以来シグマのユースアカデミーからの生え抜きは豊富な運動量と鋭い洞察力からのインターセプトでレギュラーに定着。地元メディアからロールモデルを聞かれてトニ·クロース:Toni Kroos【1990年1月4日生】の名前を挙げていることでも、そのプレースタイルを窺い知れる。
因みに彼の祖父イジー·ヴィット:Jiří Vít【1949年12月21日生】はシグマでその名を馳せた名ゴールキーパー。引退後はナショナルチームのスタッフも務めているから孫の代表招集には目を細めていることだろう。

FCヴィソチナ・イフラヴァ戦を取材してから四ヶ月、EL予選三回戦アルマトイ戦を経て迎えた8月25日のプレーオフ。アンドルーヴにはスパルタ戦を上回る11,700人の大観衆がさスタンドを埋める。
それもそのはず、対戦相手はスーペルコパ·デ·エスパーニャで二週間前にバルサと対戦したばかりのセヴィージャ。前年マンチェスター·ユナイテッドささを下さし欧州八強入りを果たさしているクラブのフォーメーションは3-4-3。コロンビア、アルゼンチン、フランス、ブラジル、最終ライン中央にはコートジボワールと各ポジションにA代表レベルを配しているが最も注目すべきは最後方ゴールマウスの前に立つトマーシュ·ヴァツリーク:Tomášc Vaclík【1989年3月29日生】はオストラヴァ出身。