私事であるが先日、行きつけの美容室で髪を切った時にサッカーの記事を書いているという話になり、担当の美容室の方が遠藤保仁が大好きと言うことで今回は遠藤保仁について書かせていただきたい。
私自身いつか遠藤保仁選手については書きたいと思っていた。というよりは長年代表の中心にいた選手については書かなければいけないという表現の方が正しいかもしれない。なぜ遠藤保仁はこれほどまで代表の中心として活躍ができ、今でもトップレベルで試合に出続けることができるのであろうか?考察していきたい。
監督の求めるプレースタイルに合わせる
遠藤が最初に台頭してきた時はシドニーオリンピックの時からであろう。当時の彼はミドルシュートと豊富な運動量を武器としていた。シドニー時代のMFは小野や中村俊輔といったテクニックタイプと稲本のようなフィジカルに長けたタイプ、明神のように豊富な運動量で守備に貢献できるタイプと分かれていた。遠藤はこの中だと明神と同じタイプに考えられていただろう。この二人がその後同じクラブで全く違うタイプで常勝ガンバの中盤を形成するとはこの時誰も予想していないだろう。話が少し逸れたが、当時の彼は中心的な選手というよりは黒子役を担っていた。ただ、監督としては労を惜しまない選手は使い勝手が良く、試合に出られないにしてもベンチメンバーには必ず入っていた。このように遠藤保仁は監督の求めることを表現できる選手であった。現在では監督の求めることがゲームメイクに変わった。それを完璧にこなせるだけの技術が彼には備わっている。彼が長年代表に生き残っている理由の一つがここにある。遠藤保仁は抜群の技術を駆使し、その時々の監督の求める選手になれるのである。
基本技術
上記にも記載しているが遠藤保仁は非常に技術力の高い選手である。特に本人もこだわりがあると述べているが、【止めて、蹴る】という技術に関しては今でも日本トップだろう。さらにはこの技術を駆使したパスは36歳になった今でも衰えることはない。中盤で散らすパスや楔のパス、決定的なラストパスとどれも錆びることはない。
もともと、名門鹿児島実業で育ったということもあり、基本技術はしっかりしていただろうが、若い時の彼の持ち味はそこではなかった。では彼がこの技術を磨いたのはいつだろうか?それは彼が1試合も出場できずに終わったドイツW杯以降であろう。ドイツW杯以降世界のサッカーはスペインやバルセロナを筆頭にパスサッカーへと切り替わっていく。そのタイミングで遠藤保仁のプレースタイルも変わっていった。彼がこだわりを持つ【止めて、蹴る】という技術に磨きをかけていったのもちょうどこの時期であろう。いち早く世界のトレンドに合った技術を身につけた遠藤がその後の代表の中心となることは明白であった。