※クラマー氏の日本での肩書はあくまで”コーチ”。日本での実際の指導としては1964年の東京五輪でアルゼンチンなどを破ってのベスト8。その後の1968年のメキシコ五輪の銅メダルへ繋げました。日本を離れてからもバイエルン・ミュンヘンの監督として1975.1976年の欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を連覇達成。
ドイツは世界的に観れば圧倒的に弱者であるアジアサッカーの発展に寄与した国で、日本や韓国だけでなく、イランなどもそれに該当する国です。日本が初めてW杯出場を決めたフランス大会の最終予選・第3代表決定戦で、”ジョホールバルの奇跡”の対戦相手であったイランには、ドイツでプレーするアリ・ダエイとホダダ・アジジの”アジア最強2トップ”がおり、その2人並みの得点力を持つMFカリム・バゲリもドイツでプレーしていました。彼等の名前を見ただけでも「負けるんじゃないかな」と思った日本のサッカーファンは多かったのでは?だからこそ”奇跡”なわけです。
イランはジョホールバルで日本に敗れたものの、大陸間プレーオフで豪州を倒して日本同様にフランスW杯出場を果たすと、その躍進ぶりからさらにメフディ・マハダビキアやバヒド・ハシュミアン、アリ・カリミがドイツに引き抜かれて長期に渡ってプレーし、その後はジャパド・ネコウナムが日本人だけでなく、”アジア人にとっての鬼門”であるスペインでも主力として長年プレーする事にもなりました。
ソン・フンミンの「アジア人最高額」は言わば、日本を含めたアジアサッカーに進むべき道を照らし続けてくれたドイツとの共同作業が生んだ努力と工夫と成功の結晶です。それを「韓国人だから」とか、「高額過ぎる」などと揶揄するのは止めて、素直に彼を応援しましょう。
プレミアリーグでは香川が失敗に終わってアジア人選手の評価がやや落ちつつあった中、レスターで岡崎慎司が、トッテナムでソン・フンミンが活躍出来れば後続のアジア人アタッカーや、ブンデスリーガの評価も高まるでしょう。