83〗Kadrioru Staadion / タリン

あの日あの時は■1996年10月5日ワールドカップ欧州予選エストニア代表対ベラルーシ代表。旧ソ連邦同士の対戦はコーナーキックから現在FCフルローラ·タリンのCEOを務めるディフェンダーのセルゲイ·ホフロフ=シムソン:Sergei Hohlov-Simsonが頭であわせ1-0で勝利した。このストライカ-はイスラエルやノルウェ-でもプレ-している。この日エストニア代表のツートップはインドレク·ゼリンスキ:Indrek Zelinski【1974年11月13日生】とアンドレス·オペル:Andres oper【1977年11月7日生】。オペルは2000年6月4日の国親善試合のベラルーシ戦にも出場。前年母国のFCフローラからデンマークのオールボーBKに移籍したばかり、二得点を決めホームチームを2-0の勝利に導いている。2020年からA代表のコーチを務める同国代表の最多得点記録保持者。上写真を撮影したのも2021年のベラル-シ戦。
2005年からの五年間でエールディビジで百十五試合三十五ゴールを記録しており’08年にはローダJC、’10年にはハーグでのアヤクッス戦を現地観戦している。エストニアの人口はさいたま市と同規模の百三十二万人。さいたま市民は嫌というほど見ているが、当時エストニアに行ったことがなければエストニア人を見るのは生まれて初めてだったこともあり記憶に刻まれている。翌年同じくアレナでモロッコ系ノルウェー人が珍しくて印象に残った話は前回書いたとおり。
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前年のソ連邦崩壊により占領下から独立したバルト三国が米国大会予選に初参戦したのは1992年。再独立後初の公式戦として行われたのはエストニア代表とユーゴスラヴィアから独立したスロベニア代表の試合。1-1で引き分けると八月の予選の初戦でスイスに0-6のスコアで大敗。翌年もイタリア、ポルトガル、スコットランドに全く歯が立たないのは仕方ないとして、シチリア島の南に位置するマルタ戦でさえホームで敗れている。当時のエストニアは欧州内では極貧国。まず政府はインフラ整備から着手を始めたばかりで、スポーツに予算を回す余裕などあるはすもない。四年後の1996年エストニア対スコットランドのこの試合は、キックオフ時間が数時間早まったことでホームチームが抗議し、試合開始三秒後には中止となる異例の事態。問題となったのは照明。カドリオルグは、この試合用にフィンランから発注した。後にUEFAが臨時照明の使用を禁止する発端となった出来事。2000年9月3日のポルトガル戦でカドリオルグは使命を果たし終えた。
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アイヴァル·ポフラク:Aivar Pohlak【1962年10月19日生】はタリン工科大学を卒業、教師や児童文学の執筆をしていた異色の経歴。タリン·チャンピオンシップⅢでプレーしながら、’88年からはタリンのスポーツスクールで指導をしていた現役ストライカー。ソ連邦崩壊後、エストニア·フットボールの復興を掲げ1990年3月10日アマチュアクラブを基盤にFCフローラ·タリンを設立する。ユース出身の選手のみで立ち上げたチームはその後もエストニア国籍選手のみの純血主義を貫き、’16年までコーチ兼会長を務めた。
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会長を陰で支えた敏腕事務局長の経歴

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’92年にナショナルチームのコーチ兼任を経て翌’93年にエストニアフットボール協会の理事会に加わる。日本でJリーグ開幕と同時期にこの小国もリーグが始動していたから中々に興味深い。2003年には副会長、’07年に会長に選出されたポフラク氏。現在は銀色に変わった長髪と口髭がトレードマークの名物会長。12年にはエストニア初の主要国際大会であるUEFA U-19欧州選手権決勝を開催。’18年のUEFAスーパーカップ、また’20年のU-17欧州選手権決勝を同国で開催し成功へと導いた。
現在トップリーグに所属するFCクレサーレも’97年に同氏が創設したクラブ。 
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その’97年からエストニア代表にも成長の兆しが見え始める。主にビジョンを描き構想を練るのが会長であるポフラク氏の役割。一方組織の実務は昨年までの約三十年間、事務局長のトヌ·シレル:Tõnu Sirel【1957年10月29日生】が任されていた。トップクロスカントリースキー選手であり、1978年と’81年のソビエト連邦クロスカントリースポーツ協会選手権では個人種目でひとつ、リレー種目でふたつの金メダルを獲得。また’82年にエントリ-したタルトゥ:Tartuマラソンでも優勝した筋金入りのアスリ-ト。’93年、ラプラ県カイウ市の市長に就任するとクイメツァ体育館を建設し、またカイウの市民スタジアムの改修にも着手する。その頃から若年層のフットボール指導環境に興味と疑問を感じていたシレル市長。当時十歳の息子がスクールに通うようになると本物のフットボールを見せようと、タリンまで試合観戦に連れて行きながら、自身ものめり込んでいく。ちなみに息子のプリート·シレル:Priit Sirel【1985年12月26日生】はヴィリャンディJKトゥレヴィクでプレー。エストニアU19代表にも選ばれている。前述のスコットランド戦も観戦する予定だった親子。試合当日協会に何度も電話で、試合が本当に開催されるのか尋ねたそうだ。
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