34〗Stadion Gdańsk / グダニスク

ポーランド国鉄(PKP)のワルシャワ·グダニスク駅。それほど大きな駅ではないが地下鉄&トラムとの乗り換えができるので結構利用していた。
しかし、その名前からワルシャワとグダニスクを結ぶ列車の始発駅と勝手に思い込んでいた。調べたたところ路線が運行しているのはワルシャワ国立競技場から目と鼻の先にある東駅。なんと紛らわしいことか。三時間列車に揺られての北上して感じたのは、やはりポーランドは広い。暮らす人々の雰囲気も内陸のワルシャワやクラクフと微妙に異なる気がする。港町だけに多種多様な人々が行き交い異文化が融合したグダニスク。ポーランド政府がEUから依頼された難民受け入れに対して拒否した際も、後に刺殺されたグダニスク市長は独自に門戸を開くと表明していたのを思い出した。ポーランドは日本語では波蘭と書き一文字表記なら波。その国の歩みを振り返るならば波蘭よりも波乱のほうが相応しい。
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2013年松井大輔:Daisuke Matsui【1981年5月11日生】がソフィアから移籍したレヒア·グダニスクの本拠地。その前年開催(ウクライナとの共催)されたUEFA欧州選手権でも使用されている。プジェミスワフ·フランコスキ:Przemysław Frankowski【1995年4月12日生】はグダニスク生まれでレヒアユース出身の生え抜き。十七歳でのトップチームデビューは2013年。開幕戦でいきなりの二得点と華々しくエクストラクラサ·デビューで脚光を浴びた松井大輔。この試合は後半から背番号10を貰った新鋭フランコスキもピッチに。レギア·ワルシャワも破って三連勝と勢いよくスタ-トした13-14シーズン。
五年後の2018年にA代表で初キャップを記録。FIFAワールド杯の代表候補に名を連ねるが最終選考では無念の落選。ロシアへの切符を逃したフランコスキが求めた新天地は自由の国アメリカ。メジャーリーグサッカー:MLSのシカゴ·ファイヤーに加入。風の街では熱烈な歓迎を受けた。
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あの日あと時は■2014年5月16日エクストラクラサ第34節レヒア·グダニスク対レフ·ポズナン 観客数は16,628人。二位のポズナン相手に2-1の勝利。ザウル·サダエフ:Zaur Sadaev【1989年11月6日生】が二得点。しかし顎髭が特徴的なロシアンストライカーよりもこの時期存在感を示したのがストヤン·ヴラニェシュ:Stojan Vranjes【1986年10月11日生】。
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ヤポンスキに代わって加わったのはセルビアからの傭兵

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今年撮影した下写真でも顎髭は健在。グダニスクの冬の気温はは零度前後で札幌と対して差はなく極寒ちという程でもない。松井もチ-ムにフィットしていたが、ジュビロ磐田からの熱烈オファ-もあって帰国する。
筆者がエクストラクラサを始めて観戦したのがこの頃。感想は技術的にも戦術的な面ではのJリ-グが上。但し体格日フィジカルで勝るポ-ランド人相手にしての試合となると結果はどちらに転ぶかわからない。これまでの欧州でのキャリアを振り返っても潮時。グダニスク同様、若手の手本になり助言を与え牽引する立場が求められる年齢になっていた。
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松井の抜けた大きな穴を埋めるべく奔走する。’12年5月のアイルランド戦で代表デビュ-も果たした現役ボスニアヘルツェゴビナ代表を移籍市場締め切り間際にセルビアのFKヴォイヴォディナ·ノヴィ·サドから獲得。ヴィスワクラクフ戦で十番のポジションでスタメン起用したのは入団から僅か三日後。実際に十番を背負ったフランコスキは右サイドに配した。このポズナン戦は一列下がったヴラニェシュがパスを散らすプレーメーカーに。この試合ではフランコスキは途中出場で右サイドの活性化を図る。
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