27〗RheinEnergieStadion / ケルン

白熱のドイツ二部 昇格争いの行方は

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ブンデスリーガ二部の優勝争いは、先週末1.FCケルンが勝ち点一ポイント差でハンブルガ-SV=HSVを抜いて首位の座を奪った。自動昇格となる二つの枠は、おそらくこの両クラブが抑えるとして、刮目すべきは昇降格プレーオフへと進む三位のポジション。勝ち点差三の中に五チ-ムが犇めく混戦は残り四試合となった現時点でも全く予想が着かない。

人口ではドイツ第二の都市と第四の都市、昨季のUEFA欧州選手権が行われた巨大スタジアムで二部リーグの試合開催ではファン·サポ-タ-も不本意。1963年に発足したドイツ·ブンデスリーガ初代王者の栄光は語り継がれるケルン。オーストリアの名将エルンスト·ハッペル:Ernst Happel【1925年11月29日生-1992年11月14日没】指導のもとドイツからの欧州王者として初めて来日(トヨタカップでグレミオと対戦)しているHSV。 両クラブは自他ともに認める名門中の名門。ところが「今回は大丈夫だろう」と思いつつ気が抜けないのは、悪夢の2018-19シーズンを経験しているハンブルグ市民。二月中旬まで首位をキ-プしていたHSVは最後に失速。四位まで急落する。最短での一部復帰こそ失敗したものの、まさか現在に至るまでの二部暮らしにどっぷり浸かるとは、このとき誰が予想できただろう。三位につけていたウニオン·ベルリンも三月中旬から五試合白星が遠ざかってしまい停滞するライバル達を横目に、ケルンが三月を三戦全勝で乗り切り優勝に向けて大きく前進した六年前。冬の移籍市場でヴェルダー·ブレーメンからフロリアン·カインツ:Florian Kainz【1992年10月24日生】を補強出来たのがアドバンテ-ジに。’15年11月に行われたスイス戦に途中出場。オ-ストリア代表での記念すべきデビュ-を果たしたのは二十三歳のとき。
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上写真は翌々(17)年6月11日FIFAワールドカップ予選グループDのアイルランド戦を撮影した。カインツは代表初スタメンでフル出場している。クラブ、ナショナルチ-ム共にポジションは左サイドに固定されていても珍しい両利き足のウィンガ-。加速して外へと抜きにかかるか中に切れ込んでシュ-トを撃つのか、相手からするとプレーを予測し難い。

レッドブル·ザルツブルクを退任したオーストリア人のゲルハルト·ストルバーGerhard Struber【1977年1月24日生】を指揮官に招聘し臨んだ今季。開幕戦は因縁のHSV。幾度と激闘を繰り広げてきた両雄ではあるが、因縁と呼べるのは’18年の最終節。もしケルンがVfLヴォルフスブルクに勝利していれば降格を免れたのだから因縁ではなく、“HSVの逆恨み”と表記するのが正しいのか。
第27話は1FCケルンの本拠地ラインエネルギー·シュタディオン。あの日あの時は■2019年3月31日ブンデスリーガ二部第二十七節 1.FCケルン対ホルシュタイン·キール

この時点で勝ち点四十二のキールも終盤のスパ-ト次第では充分入れ替え戦=三位を狙える位置につけていた。奥川雅也:Masaya Okugawa【1996年4月14日生】は前月移籍後初得点、前節でも結果を出しておりスタメンでの起用。しかし試合は前半の二十分過ぎにホームチームが立て続けの二得点。後半直後にダメ押しから最後は終了間際アディショナルタイムの四点目。一方的な展開で五万人の観衆の大半は大満足したが面白味には欠ける展開。
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その中で印象的なのは、後半十八分のベンチワーク。キールは奥川をベンチに下げ同じポジションのドイツ人フォワードを投入。一方ケルンはツートップの一枚を下げ、オフェンシブハーフ(もしくはサイドハーフ)の背番号13ルイス·シャウブ:Louis Schaub【1994年12月29日生】がピッチへと送り出された。ドイツの出身でも十二歳でウィーン近郊のアドミラ、その後ラピド·ウィーンのユース·アカデミーで育ち各年代の代表もオーストリアでプレーしてきた。この交代でジョン·コルドバ:Jhon Córdoba【1993年5月11日生】の両サイドに二人のオーストリア人が並ぶ布陣に変更に懐かしさが胸を過ぎる。
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コロンビアの大砲は今でも北コーカサスに

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