ジェンゲッレール·ジュラ:Zsengellér Gyula【1915年12月27日生-1999年3月2日没】は、1938年のFIFAワ-ルドカップフランス大会では、ナショナルチ-ムを決勝まて導いた名選手。クラブでのハイライトは、’47年11月ASロ-マ在籍時のデルビ-。イタリアデビュー三試合目で前節の初得点に続き、アメデオ·アマデイ:Amedeo Amadei【1921年7月26日生-2013年11月24日生】の決勝ゴ-ルをアシストしている。この試合はスタディオ·ナツィオナーレPNFで行われており、二次大戦で中断していたオリンピコの工事が再開し、開場したのは六年後のこと。
あの日あの時は◼️2019年4月28日ネムゼティ・バイノクシャーグ2部34節ツェグレードDVE対ブドフォキMTE。観客数は四百人。1-0とリ-ドしていながら残り十五分、ディフェンダーの退場で数的不利の状況。ツェグレードは守備の選手ではなくストライカーのピーター·シラギ:Péter Szilágyi【1988年1月26日生】をピッチに送り出す攻撃優先の采配。三分後同点ゴ-ルを許しこの交代策は失敗かと思われたが、アディショナルタイムに頭で決勝ゴ-ルを決めたのは元ハンガリーU21代表のシラギ。ホ-ム八試合目にして念願の初勝利。最下位を脱出したものの結局三部に降格はしてしまう。
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ケチュケメートから、ブダペストの南東端に位置するフェリヘジ駅で降りたらリストフェレンツ国際空港行きのバスに乗り換える。東京までブダペストからの直行便を運航している航空会社はないから北京を経由してからの帰国。チェックインカウンター前には真っ赤なポロシャツの一団。胸には見覚えのあるエンブレム。ハンガリーではバスケやハンドボ-ルの人気も高い。しかしこの選手の人数からして十名以上の団体種目。となるとラグビーかサッカーだが明らかに体型が華奢。消去法でフットボ-ラ-と見て間違いない。
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驚いたことに、欧州内の移動ではなく北京行きに同乗してきたハンガリーU18代表の若者達。通路を挟んで隣の席に腰を降ろした
左はディフェンダー背番号四のオリヴィエ·シンドラー:Olivér Schindler【1999年10月16日生】。父親はドイツ人で、母親の祖国のソンバトヘイ出身ながら十五歳からはドイツのパダーボーンで研鑽を磨く。右は背番号十一快速ウィンガーのイシュトヴァン·ラカトシュ:István Lakatos【1999年4月4日生】。所属するフェレンツバロシュでは2015年のリーグカップ戦で既にトップチームデビューを果たしている逸材。
2017年5月15日月曜日に中国に到着したチームは、六時間ある時差に体がまだ慣れておらず疲労感を漂わせて翌々日水曜日の初戦(中国戦)に臨んだ。試合開始から僅か一分、ラカトシュが左サイドを駆け上がりボールを運んで折り返し。中央から駆け上がってきたボッラ·ベンデグス:Bolla Bendegúz【1999年11月22日生】[当時MTK]にパスは四メートルの至近距離からゴールバーの下へ強烈なシュートを放って先制。惚けていたのは時差は関係なしのホスト中国代表だった。ラカトシュがゾンボル·ベヴァルディ:Zsombor Bévárdi【1999年1月30日生】[当時Videoton]にパスを送ると、十八メートルの距離から鮮やかなカーブをかけたシュートをゴール左へ突き刺した。結果決めましたラカトシュは二アシストはしたものの二度の好機を逃して無得点とあって悔しさも滲ませた。前半終了間際に中国中盤の選手にイエローが出て数的有利を一度は得ながら、六十四分には、レヴェンテ·ルスティク:Lustyik Levente[当時MTK]のタイミングの悪いスライディングタックルで赤紙退場で再び同数に。映像を見ると悪質なファウルを犯した中国人選手は当然として、ラカトシュも足を痛めたらしく前半でピッチを退いたから、隣の座席に座った筆者としては腹の虫が治まらない。日本の防衛大臣がレーダー照射に対して強く抗議するらしいが、謝罪の文化も習慣もないお国柄。オリヴィエもフルタイム出場し勝利に貢献した。第二戦はスロバキアに3-0の圧勝。最終戦イラン戦は2-2のドローで優勝。イランはこの大会U17代表チ-ムで参戦しており結果より経験重視だったからドローは上出来。
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2023年10月6日UEFAヨーロッパリーググループG第二節
オリンピコには五万五千を越える大観衆。ジョゼモウリーニョ率いるASローマはセルヴェットFCを4-0と一蹴する。このシ-ズン鹿島アントラーズから加入した常本佳吾:Keigo Tsunemoto【1998年10月21日生】[現FCバ-ゼル]は、右サイドバックでフル出場を果たしており、欧州のトップレベルを体験する貴重な機会となったはず。ところで気になったのは後半十九分の三枚替え。その中の一人に懐かしのベンデグズ·ボラの名前を見つけたが、欧州五大リ-グでプレーするハンガリー人は然程多くはない。そして昨年秋のヨハン·クライフ·アレナ。ハンガリー代表の一員としてボラは胸に見覚えのあるエンブレムを付けていた。
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歴女の出現は時代の変化を象徴する出来事だと思った。古いものにこそ価値がある=ヴィンテージは、自身が年齢を重ねて、初めて気づく価値観であって、若者は新しいものに飛び付くという固定
概念から解放された。史跡を巡りをするのならば、歴史的な背景や文化を学んでおかなければ楽しくも何ともない。ル-ヴル美術館で作品を眺めていても美術の歴史博物館だから西洋美術史以前に欧州の歴史が頭に入っていなければ話にならない。
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