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スペイン代表の黄金時代から考えるサッカー論

 後任は暫定的にU21代表のイニャキ・サエスを昇格させて継続路線をとり、サエスは予選で結果を出したために正監督に昇格。しかし、日本を破って1999年のナイジェリアU20ワールドユース(現・U20W杯)で優勝を果たすなど育成年代のスペシャリストとして名を馳せたサエスは本大会で勝負師としては通用せず。在任2年間で2敗しかしなかったものの、EURO2004で格下のギリシャとロシアが同居するグループリーグで敗退。大会自体はギリシャ優勝のサプライズで湧く中、サエスは解任。

 
 つまり、現在のように「パスサッカーに合う選手」を招集したり、起用したりするのではなく、あくまで「監督の好み」が優先されるがゆえ、戦い方が定まる事もありませんでした。ただ、リーガという世界屈指の国内リーグで採用されるメインシステムや調子の良い選手が起用されるという意味では公平で、ベスト8が関の山であったとはいえ、「普通にすればベスト8は堅い」のも事実だったりするのも2000年代前半までのスペインでした。

“最後の砦”ルイス・アラゴネス就任~履歴書にはなかったパスサッカーを完成

 そこで2004年、スペイン協会にとって“最後の砦”として代表監督に招聘されたのが昨年他界したルイス・アラゴネス。しかし、当時のスペインではバルセロナやレアル・マドリーに加えて黄金期を迎えて2強とリーグ優勝を争っていたバレンシアやデボルティボ・ラコルーニャのポストの方が代表監督よりも優先されるもの。アラゴネスが代表監督に抜擢されたのはタイトル獲得や魅力的なチーム作りなどの実績ではなく、当時66歳としての現役最年長監督としての経験の豊富さ。

 実際、アラゴネスはリーガ制覇の実績はあったものの、それは1977年という代表監督就任から27年も前の昔話。率いたチームも27年前のアトレティコ・マドリーで、リーガを制した時代も含めて4度もアトレティコで指揮を執っているものの、直近のマジョルカでのチーム作りも含めて、そのスタイルは球際の強さやカウンター攻撃に特徴があるようなプレースタイル。けして、観るべきポイントが際立ったチームを作ったわけではありませんでした。
 
 それでも、このアラゴネスの代表監督就任でスペインはプレースタイルを確立し、その後の黄金時代を築く事になります。

 当初は2006年のドイツW杯へ向けた予選ではホアキンやホセ・アントニオ・レジェス、ビセンテ・ロドリゲスといった純正ウイングを使っていたものの、アラゴネスは本大会へ向けてシャビをレギュラーに固定し、バルセロナでも台頭し始めたMFアンドレス・イニエスタ、アーセナルで司令塔を務め始めた10代のMFセスク・ファブレガスを招集して中盤の顔触れがパスサッカーに特化した技巧派に変化。ドイツW杯本大会ではフェルナンド・トーレスとダビド・ビ-ジャの強力な快速2トップやサイドバックながらシーズン2桁得点を記録した左SBマリア―ノ・ぺルニアを武器として活かす超攻撃的なサッカーで旋風を放ったものの、ラウンド16でフランスのカウンターに屈してベスト16で早期敗退。プレースタイルが評価されて続投したものの、攻撃サッカーの脆さを露呈し、その直後のEURO2008へ繋がる予選を含めて6戦3敗で一気に崖っぷちに。

 しかし、崖っぷちに陥ったアラゴネスはここで踏ん張ってリスクを背負いました。結果を優先してバランスを取るのではなく、“至宝”ラウールを外して、バレンシアで台頭したMFダビド・シルバを主力に組み込み、MF陣を小柄なテクニシャンタイプで固めるパスサッカー路線を徹底。オプションも切ってパスサッカーに特化し、シャビとイニエスタ、セスク、シルバの4人は“クアトロ・フゴーネス(4人の創造主)”と呼ばれ、さらにEURO本大会にはウインガー達が外される中で、司令塔タイプのMFサンティ・カソルラも招集。本大会の準決勝で得点王のビジャが負傷すると、ビジャに替わって途中出場したセスクが決勝でも見事なプレーを披露。結果的にこのアラゴネスの勇気あるチーム作りと采配は欧州王者にまで登り詰める事になり、スペインはタイトルと共にそれ以上の功績であるアイデンティティを獲得するに至りました。(その間、アラゴネス時代は無敗。以下の表を参照下さい。)


【表・スペイン代表監督別成績】

 上記したように、アラゴネスが代表監督就任前の指導歴にパスサッカー志向のチームはありませんでした。結局、スタイルとは監督1人が作り上げるモノではないのかもしれません。バルセロナが同時期に大成功を収めた事と、技術力に長けたMF陣が揃っていたからこそ可能になったとも言えます。しかし、2006年の崖っぷちに陥ったアラゴネスがバランスを取っていたら?黄金期の到来も、アイデンティティの獲得もなかったはず。また、それを貫いたところで結果が出なければ「パスサッカーは堅守速攻型のチームの前では脆い」というサッカー界の一般常識を突き付けられただけで終わったことでしょう。故・アラゴネスに敬意を表します。パチパチパチ~!!

 アラゴネスの後を継いだデル・ボスケもまたレアル・マドリー時代のような個に頼ったサッカーではなく、パスサッカー路線を継続。その中でへスス・ナバスのサイド攻撃やフェルナンド・ジョレンテやアルバロ・ネグレドの高さを新たな攻撃のオプションを盛り込んだチームを作ってW杯とEUROを連覇に導いています。昨年のブラジルW杯ではグループリーグ敗退に終わったものの、世代交代が叫ばれてもスタイル変更の是非が問われる事はありません。

 “自分達のサッカー”が死語となり、パスサッカー文化がタブー化される日本からすれば羨ましいですが、これがプロサッカー化に50年の差がある国の実力差と歴史の長さの違いなのかもしれません。