九十分フル出場のウクライナ戦から中二日とあってベンチスタート。0-1とリードで前半を折り返したボルトンは中田をピッチに送り出す。しかし眠っていた猛獣が目を覚まし牙を向いたような後半。退場者を出した事で数的不利に追い込まれたボルトンに対して、容赦ない猛攻で五得点を奪う完勝劇。ディディエ·ドログバ:Didier Drogba 【1978年3月11日生】は2G1A、フランク·ランパード:Frank Lampard【1978年6月20日生】が2G2Aの好パフォ-マンスを披露。この二人に関しては手がつけられない状態。イスタンブールでのUEFA杯にフル出場して中二日、十節ウェスト·ブロムウィッチ·アルビオン戦は中田待望のプレミア初ゴールで先制。終了間際にはケヴィン·ノーラン:Kevin Nolan【1982年6月24日生】のダメ押し弾で連敗から脱出している。同クラブ所属の稲本潤一:Junichi Inamoto【1979年9月18日生】との日本人対決は実現しなかったが、’01年からプレミアでプレーするパイオニア稲本も八月:三節で英五年目にして初めてスタンフォード·ブリッジのピッチに立っている。この試合もランパード二得点にドログバも一得点。ランパードの先制ゴールをアシストしたのもドログバだった。
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創立百周年を祝い 霧の守護神像が除幕
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1905年創立のチャールトン·アスレチック。創立百周年を記念してクラブの“レジェンド”サム·バートラム:Sam Bertram【1914年1月22日生-1981年7月17日没】像がお披露目されたのは六月九日の除幕式。濃霧による試合中止を知らされずに十五分間もフィールドに留まっていた嘘のような本当のエピソ-ドで知られる守護神。彼が唯一ウェンブリーでの栄光を手にしたのは1947年のFA杯。
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それにしても試合が中止になる濃霧とはどんな山奥のスタジアムかと思いきやこれがスタンフォード·ブリッジ。チャールトンの“渓谷”にしても、かつての廃坑につけられた愛称で、実際のところ近くに山と谷があるわけではない。英国の面積は日本の2/3でも耕地面積となると四倍になる。ロンドンに限らず国土全体が平らなユニオンジャック。
あの日あの時は■2005年10月29日プレミアリーグ第11節 チャールトン·アスレティック対ボルトン·ワンダラーズ
バートラム像が睨みを利かせ、百周年の節目に気合充分のチャールトン·アスレティックはチェルシーに敗れるまで開幕四連勝。前節二位マンチェスター·ユナイテッドとトッテナムの上位対決はドロー。ポーツマスに勝利したチャールトンが赤い悪魔を抜いて再び二位に浮上する好調ぶり。
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注目はこのポーツマス戦で決勝ゴールを決めたデニス·ロンメダール:Dennis Rommedahl【1978年7月22日生】と守護神ステファン·アンデルセン:Stephan Andersen【1981年11月26日生】のデンマークコンビ。ロンメダールも中田と同じく’95年にプロデビュー。’97年に移籍したPSVアイント·ホーフェンでは四度の国内制覇に貢献したウインガ-を、トッテナムとの争奪戦に勝利してチャールトンが獲得した。’10年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会の日本との対戦で注目された時が三十二歳。(※上写真は同年アヤックス在籍時の撮影)。キャリアのピークはこの頃で印象に残るのは八月のイングランドとの親善試合。後半に投入されたロンメダールの1G1Aでデンマーク代表が4-1の快勝を収めデニッシュダイナマイト復活を予感させたのはひと夏の夢、’06年ドイツ大会は本選にさえ進めなかった。
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