28〗The Valley / ロンドン

人生の特別講義 有明に実業家ヒデ登壇

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ビジネスイベント「乗り越える。人生の特別講義Climbers」の取材で五月九日東京ビッグサイトに足を運んだ。日本国内の催しにプレス申請したのは何時以来だろうか。久しぶり過ぎて思い出せない。
森保一:Hajime Moriyasu【1968年8月23日生】監督の講演はスポーツ各紙が報じており、別の機会に。ここでは実業家の中田英寿:Hidetoshi Nakata【1977年1月22日生】氏にスポットを当てる。来年で現役を退いて二十年。引退後は世界百カ国以上を旅して、自身が日本人でありながら日本を知らないとことに気づかされる。全国四十七都道府県を巡る旅に七年半の時間を費やした。そして2015年、株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANYを起ち上げ日本酒や伝統工芸の魅力を世界に発信している。映像ではない生のヒデとなると’02年横浜でのロシア戦以来か。

「好きなことやりたいことは簡単にみつかりません。頭で考えていたら一生みつかりません。行動しなければ結果がでないのは誰でもわかることで、失敗は悪いことじゃない。」(中田氏)

スパイクを抜いでから会社設立まで十年近い歳月を費やしているが、これは中田氏ならではの悩み。普通の人であれば、好きなこと、やりたいことはもう少し簡単に短時間で見つかる。高校卒業後Jリーグでいきなりレギュラーを掴むと二十一歳でイタリアに。セリエAでスクデットを獲得。代表では三度のFIFAワールドカップと二度の五輪でチームの中軸を担った経歴はあらためて説明するまでもないか。子供の頃から好きだったサッカーを征頂してしまった。日本サッカーの新たな時代を開拓した先駆者にとって、“次”を見つけるのがいかに困難であるかは常人には想像などできるはずもない。
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第28話は英国の首都ロンドン、チャールトン·アスレティックFCの本拠地、二万一千人収容のザ·ヴァレー:Valley。中田(※プレーヤー時代は敬称略)はイタリアの五クラブを渡り歩き二百二十八試合、英国で三十試合に出場した実績の持ち主。三十一得点に対しアシストは二十五。キラーパスの印象が強いものの中盤の選手ながらフィニッシュの高い精度も数字が証明している。ラスト(2006-06)シーズンは英プレミアリーグのボルトン·ワンダラーズで過ごした。フィオレンティーナからのレンタルが決まると九月 六節のマンチェスター·シティ戦に途中出場。続く七節ホームでのポーツマス戦でサム·アラダイス:Sam Allardyce【1954年10月19日生】は中田をスタメン起用しフル出場。八節プレミア初昇格のウィガンに敗れ連勝の止まったチ-ムから暫し離れて同胞達と合流した代表ウィーク。リガでの試合から中三日で臨んだキーフでのウクライナ戦。二試合とも主将章を巻き中盤の底でプレーしている。
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ブルー·イズ·ザ·カラーの歌声響くスタンドに背を向けたサムライ達

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そして休む間もなく九節敵地でジョゼ·モウリーニョ:José Mourinho【1963年1月26日生】が指揮を執る首位チェルシーとの対戦を迎える。結果を先に述べてしまえばスタンフォード·ブリッジでのリーグ戦十九試合を一分無敗と無双の強さでシーズン連覇を達成してしまうブルーズ。イタリアで強豪に揉まれた中田のキャリアを振り返ってもクラブレベルとなると、史上最強がこの日の“スペシャルワン”率いるチームと言ってほぼ間違いない。2014年2月に発売された Number誌(文藝春秋)の表紙写真=モウリーニョ×中田英寿氏のツーショットを見てこの九年前の試合が思い出されたのは十一年前。
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