Foot ball Drunker〔155〕visiting『Stadion Z’dežele』ツェリエ/スロベニア

ズデジェレは1999年に着工。2003年9月9日に一次工事がとりあえず完了。3,600席を備えた東部の屋根付きトリビューンはUEFAの基準を満たしオフィスビルとしての機能も集約されている。まずはスロベニアとフランスのユース代表チームによる親善試合が行われ、’04年からはスロベニアA代表チームの国際試合で使用するほどピッチは常に整備されている。冬季は芝生を加熱しフィールドの凍結を防ぎ、夏季には特殊センサーとコンピューター制御のスプリンクラ-で適切な水分量を測定しての散水でピッチを潤す。
西側のスタンドは-04年10月9日に行われた親善試合で初めて開放されているが、対戦相手は隣国イタリア代表だったから満員御礼も納得。


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南側はスロベニア代表のファンやサポーターが占拠する1,500人収容のグランドスタンド。 ’05年9月3日のはワールド杯ドイツ大会予選のノルウェー戦(2対3)で初披露され、この試合で初めて観客動員数一万人超えを達成した。ちなみにノルウェーとスロベニアには意外な共通点かあるのだが、この話は最後に。
’08年2月に最後の北側スタンドが完成。収容人数3,000席とガラス張りの建物=東側トリビューンが繋がり複合施設としての完成に至る。ちなみに初めて観客に公開されたのは’08年3月2日のナフタとのリーグ戦だった。


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ツェリエ出身のフットボーラーで浮かぶのはジガ·シュコーフレク:Ziga Skoflek【1994年7月22日生】。正確にはツェリェの北側に位置するヴォイニクの出身。NKシャンピオン·ツェリェのユースで育ちこのクラブでプロデビューを果たす。’18年にスタル·ミエレツでエクストラクラサ=ポーランド一部デビュー。翌’19年にはオレンブルクに移籍しロシア·プレミアリーグでデビューしており、撮影したのが上写真。侵攻を機にロシアを離れオーストリアに。

写真はリュブリャナ出身の彫刻家ボリス·カリン:Boris Kalin【1905年6月24日生-1975年5月22日没】作の筏乗りの男性。サヴィニャ川の洪水防止工事完了を記念して鋳造された作品は同川に架かる歩道橋の袂に設置されており、その先には公園がある様子。丘陵の上に小さくではあるがこの街のランドマーク、ツェリエ城も写るアングルに。


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アルマ·カルリンの世界一周の旅。その中には当然日本も含まれており1922年6月一年以上都内に滞在。明治大学で語学の講師を務めドイツ大使館にも勤務している。ナチスが台頭すると反戦·反全体主義思想のカルリンはドイツ語を放棄した。するたナチス·ドイツ政府は彼女の執筆を悉く焼却処分。’41年4月ユーゴスラビア侵攻とシュタイアーマルク州占領の直後には逮捕されてしまいマリボルへと送還される。釈放された後ツェリエの自宅で軟禁生活を過ごしていたのだが、終戦後の’50年1月、乳癌と結核を患いツェリェ近郊のペチョヴニク村で鬼籍に入る。

昨春、英BBCが「女性が一人で安全に旅行できる国」を独自に調査選定した結果が非常に興味深い。アフリカのルワンダ、中東はアラブ首長国連邦(UAE)、アジアでは当然日本が選ばれている。そして欧州ではノルウェーとスロベニア。
旧ユーゴスラビア時代から経済が発展していたスロベニアは’04年EU加盟国に。旧東欧=社会主義国の面影は薄く今では魅力的な観光立国。日本からだとウィーン-(列車)グラーツ経由での移動がお薦め。


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女性の一人旅は男性には想像し難い苦労が伴うはず。もし自分に愛娘が存在して、海外の一人旅などされた日にゃ心配で仕事手つかず食事は喉を通らなくなるだろう。それでも反対するわけにもいかない。「若時旅を致さねば年寄っての物語がない」とはつくづく古人の名言だと感じる。[第155話了]


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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:森川あづ紗