注目はディナモの左サイドバック、マリオ·ムサ:Mario Musa【1990年7月6日生】。ザグレブ出身で十六歳からディナモのユースアカデミーに。09年にロコモティヴァに貸し出されトップデビュー。レンタル延長が続き完全移籍は’13年。その間クロアチアU21代表にも招集されている。’15年冬の移籍市場で古巣に復帰。16-17シーズンはイスラエル、デンマークと渡り歩く。一旦ディナモに戻り’17年からロコモティヴァへ。国外での武者修行ならぬムサ修行がようやく終わったのはこのシーズン。
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攻守の柱が四年後にはセレソンを撃破
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試合はセットプレーからブルーノ·ペトコヴィッチ:Bruno Petković【1994年9月16日生】が左足で決めて、後半スコアは動かずディナモが快勝。ペトコヴィッチは当時セリエAボローニャ所属でレンタル中。このシーズン終了後に招集された遅咲きのA代表デビュー。しかき’22年ブラジル戦の大一番で殊勲の同点ゴールを決めた記憶は今も鮮やか。この日クリーンシートで終えたリヴァコヴィッチとセレソン撃破の立役者二人が攻守の主役に。ムサもフル出場で勝利に貢献した。
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一方ホームチームに目を向けると最小失点に泣いたディフェンス陣。センターバックのアンテ·マイストロヴィッチ:Ante Majstorovic【1993年11月6日生】はRNKスプリトで若くして主将章を巻いてのプレーが目にとまり’16年にディナモへと招かれた。’19年までロコモティヴに貸し出され、結局ディナモの紺色のユニフォームを着てピッチに立つことは一度もなかったのだが。2019–20シーズンにオシエクが獲得した頃がキャリアのピーク。代表にもUEFAコンペティションにも縁が無く国内でのみプレーしている(※中国に移籍も試合出場なし)。このレベルの実力者が国内にゴロゴロいるのがクロアチア。
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試合後半一点を追う展開でロコモティヴァは左サイドバックを下げ九十九番長身のイヴァン·クルスタノヴィッチ:Ivan Krstanovic【1983年1月5日生】を投入。前線の枚数を一枚増やしたが奏功せずに終了のホイッスル。2010-11シーズンには14位のNKザグレブでスーペル·スポルトHNLの得点王を獲得。十九ゴール中、十六をクラニチェヴィチェヴァで決めている。実績を買われて移籍したディナモ·ザグレブでは’12年のUEFAチャンピオンズリーグでキエフとのディナモ対決が実現、クルスタノヴィッチがPKを決め結果はドローに。’13年からは二季連続でUEFAヨーロッパリーグに参戦したNHKリエカへと移籍。計八試合に出場しているベテランストライカ-も残念ながらこの日は不発の核弾頭に。
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行政主導な新スタジアム構想が始動
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ザグレブ市長トミスラフ·トマシェヴィッチ:Tomislav Tomašević【1982年1月13日生】氏から発表されたクラニチェヴィチェヴァ通りに新スタジアムを建設するプロジェクト。面積6,300平方メートルの広場を設け、新たに百五十本の植樹をする等、トレシュニェフカ地区の景観美化も兼ねる。スタンドは現状をアップグレードするそうで、観客収容人数は、11,163 席へと大幅に拡張され完全に屋根で覆われる。来場者用入口のスぺ-スを広げ駐車場はスタジアムの東側に隣接するので利便性も高い。暖房設備を施したハイブリッドピッチは常に最高のコンディションを確保するのも素晴らしい。兎に角ザグレブは同緯度の都市に比べ寒さが厳しい。プレスル-ムにも手を加えてくれるのは有難い。クラニチェヴィチェヴァはフットボ-ル専用ではなく、トラックのある総合スポ-ツ競技場。近代的なスタジアムに変わってもそこは変わらず多くのスポーツクラブが利用できる市民の施設に。トマシェヴィッチ市長によるとこのプロジェクトの費用総額は、付加価値税を含め四千四百万ユーロ。すべてが市の予算で賄われる大盤振る舞いの公共事業。
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