Foot ball Drunker〔5〕visiting 『Stadio Brianteo 』モンツァ / イタリア

夢よ再び、2018年9月ベルルスコーニのACモンツァオーナー就任で市民は熱狂。2020-21シーズンには元ミランの大物マリオ・バロテッリ【Mario Balotelli 1990年8月12日生】が加入するも僅か1シーズンで呆気なくトルコへ。それでも翌シーズンにはセリエA昇格を決め、注目の22-23シーズンは11位でのフィニッシュと大健闘。

ミラノから北東へ約15キロでモンツァ駅。市内から更に北東郊外にあるブリアンテオ・スタジオまでバスに乗車したのは昨春。

杮落としは1988年8月28日、ローマとのカップ戦に2-1勝利。この日ゴールを決めたのはピエル=
ルイジ・カジラギ【Pierluigi Casiraghi 1969年3月4日】。


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彼と共に1994年FIFAワールド杯に出場したダニエレ・マッサーロ:Daniele Massaro【1961年5月23日生】。 年齢差8歳の両ストライカー、実は関わるも何もモンツァ出身。


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代表と国内リーグを改革、何足もの草鞋を履いたアルピナーティの功績

ベルルスコーニも長期政権を築いたが、独裁者ベニート・ムッソリーニリーニ:Benito Mussolini【1883年7月29日-1945年4月28日】のファシスト政権が同国史上最長なのは言うまでもない。
この時代、ムッソリーニの旧友レアンドロ・アルピナーテ:Leandro Arpinati 【1892年2月29日–1945年4月22日】がリーグとFIGC会長を兼任する。


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カルチョ連盟は全国レベルでの改革に着手し1929年セリエBが創設。代表チームは1934年の第2回FIFAワールド杯で栄冠を勝ち取るのだが、大会開催の功労者はローマでの決勝戦から46日後に逮捕、シチリアのリーパリ島に監禁、国内亡命へと追い込まれた。
そして連合軍によるボローニャ解放の翌日、1945年4月22日ファシズムやムッソリーニと決別して久しい彼にも機関銃の弾丸が浴びせられての他界。