54〗Stade Sébastien Charléty /パリ

遅咲き中の遅咲き 遂にA代表デビュー

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この写真を撮影して数日後、パリFCとリボイとの契約期間が満了。自身のキャリアも静かに終焉を迎えたと思っていた矢先、代理人から電話が鳴る。「最初は冗談だと思った」と本人もまさかの展開。昇格クラブのニーム·オリンピックとの契約が実現する。三十五歳で人生初のリーグアンのクラブへ。開幕戦からベンチ入りすると、指揮官ベルナール·ブラカール:Bernard Blancan【1958年9月9日生】は、五節FCジロンダン·ボルドー戦のスタメンにリボイを起用したから、遅咲き中の遅咲きが大輪の花を咲かせた。
夢が現実はこれだけでは終わらない。翌19-20シーズンは、二部のナンシーで二十八試合出場。フランス人新監督ジャン=ギュイ·ワレンム:Jean-Guy Wallemme【1967年8月10日生】率いるニジェール代表の一員として、36年前に生まれた母国コートジボワールとも対戦する。

2021年9月のFIFAワールド杯アフリカ予選にも四試合にフル出場した。そんなリボイも四十の大台に。同年齢でかつての同僚ドゥマルコネと時を同じくして、スパイクを脱いだ。アフリカの極貧国二ジェールでクーデター勃発したのが23年。日本で馴染みの薄い国名ではあるが、先ず浮かんだのはトリコロ-ルカラ-の主将章を左腕に巻いたリボイの姿だった。
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この軍事クーデター以降、同国は風向きが大きく変わり、西側との関係は悪化する一方。権力を手中に収めた軍事政権は、イスラム過激派を制圧しようしていたフランスの平和維持部隊を追放、またアメリカにも無人機基地から撤収させている。そして急接近したロシアと安全保障面での結束を固める一方で、中国からはエネルギー開発の名目で巨額の投資を受け入れてしまった。これには三重国籍ながら今後もフランスでの暮らしていくであろうリボイの複雑な胸中を推し量ると、シンパシーを禁じ得ない。
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パリFCは生まれ変わったのか 注目は集客力

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さてこの原稿を書いている途中、〈松井大輔〉を検索したら(元)夫人で女優の加藤ローサとの同居離婚のニュースばかり目に飛び込んできた。2011年12月フランスで第一子男児を出産したがこの年松井はグルノ-ブルからディジョンに移籍している。パリとリヨンの中間に位置する。人口十六万人の小都市。パリは別格としてリヨンでも日本人とすれ違うことなどないからその苦労
は計り知れない。更に’14年に第二子男児を妊娠中はポーランドのグダニスクで過ごしていた。磐田への移籍で日本で出産できることになった時の安堵した胸中は察するに余りある。
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ジャン=ブーアンでのオリンピックマルセイユ戦にはリボイもドゥマルコネも後輩達の応援に駆け付けるのではなかろうか。果たしてどれ程のパリFCのファンサポーターが昨年十二月の、12月15日にニッパツ三ツ沢球技場での引退試合。異種目のアスリートとの交友関係が広い松井ならではの豪華なメンバーが顔を揃えたものの家族の姿はなく、シャルレティでの華やかさは欠けても、双子のご子息を抱きしめピッチに両膝を着いたドゥマルコネの感無量の表情が頭を過った。ジャン=ブーアンでのオリンピックマルセイユ戦にはリボイもドゥマルコネも後輩達の応援に駆け付けるのではなかろうか。果たしてどれ程のパリFCのファンサポーターが二万人収容のスタジアムへと足を運ぶのかも興味を唆られる。最後のシャルレティでのセルフポ-トレ-ト。背景のスタンドに人気はないが試合終了後ではない。このリヨン·ラ·デュシェ-ル戦の公式入場者数は九百六十五人だったのだから。【第五十四話了】
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:谷内田結唯