ムスクロンでは主将を務めこのクラブでスパイクを脱いだのがエムバイェ·レイェ:Mbaye Leye【1982年12月1日生】。スタンダールとのアウェー戦を撮影した上写真、2007年のズルテ·ワレヘムを皮切りにヘント、スタンダールでもプレーしており古巣との対戦。セネガルのビルケラーヌ出身でワレへム所属時の’13年にはエボニー·シューを獲得している。あの日あの時は■2018年10月20日ジュピラ-プロリ-グ第11節ロイヤル·エクセル·ムスクロン対スタンダール·リエージュ。試合はスコアレスドロ-。二桁順位のムスクロンが五位のスタンダ-ルから勝ち点を取れたから評価してもよい。この試合レイェは残り七分負傷交代しているのだが、代わりにピッチに入ったのがファブリス·オリンガ:Fabrice Olinga【1996年12月5日生】。2015年に前述のアポロンからサンプドリア経由でムスクロンに加入したカメル-ン人ウインガ-。
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最後の写真はロケレン在籍時の2014年に撮影。ムスクロンより二年早く破産したロケレンは’20年KSVテムセと合併してK.S.C.ロケレン=テムセという新しいクラブを設立し、全国第四部レベルの第二アマチュア部門から出直しを図り今季は二部で戦っている。
2018年の創設当時は室内サッカ-のラ·スクアドラ·ムスクロンの傘下だったスタッド·ムスクロンが、2022-23シーズンに独立を果たしロイヤル·エクセ-ルの後継者となりフランス語圏とドイツ語圏のチームのみが参加するACFF=第五部レベルを戦う今季。
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この日宿舎に戻るとリビングでTV画面に視線を向ける子供たち。その胸には数時間前に見たばかりのエンブレム。そこでムスクロンアカデミーの子供たちとの印象に残ったエピソードをひとつ。この写真を撮影する前、コーチにフットボールの取材で欧州を巡っている日本人である旨伝えると、子供達から誰に言われるでもなく、一人づつ手を差し伸べてきた。息子の小学生時代に審判をしており、試合前子供たちと順番に握手した当時を思い出した。恥ずかし気で何処か形式的にやらされている感は否めない。日常で握手する文化が日本には根付いていない。それに比べてこのムスクロンの子供達のしっかり相手の眼を見て僅かに口角を上げる見事な握手っぷり。日本のお辞儀にも劣らない礼儀正しさに小さな驚きと感動を覚えた。クラブの歴史に終止符がうたれてしまったものの彼らのことは然程気にならない。何故ならばムスクロン市内には、21ヘクタールの敷地に十二面のコートを擁するフトゥロスポート:Futurosportがある。
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元フランス代表のニコラス·アネルカ:Nicolas Anelka【1979年3月14日生】がフトゥロスポートでUEFAのBコーチングライセンス取得のため一週間を過ごした。18-19年にはリ-ルのユ-スを指導していたから、本腰をいれて指導者に専念するのかと思いきや、昨年の年明けトルコ二部のウムラニエスポルの最高経営責任者(CEO)に就任、更にシ-ズン開幕前の七月辞めたから何ともアネルカらしい。’90年代後半エクセルシオールユ-スの施設から独立。その後も施設は拡張を繰り返し、今や国内最大級のスポーツ施設及びアカデミー育成組織へと成長している。2008年に新たな非営利組織 Futur Aux Sportsが設立されると障害者フットボ-ル選手権も開催。これまでムスクロン地域の学校との強いパートナーシップを構築している。一年前のブリュセル訪問時には、来(26)年には新たに全寮制の教育施設を設ける計画を進めていると聞いた。一部のプロと同じエンブレムを胸につけていた彼らの道は光が照らされているに違いない。
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🔳写真/テキスト:横澤悦孝 🔳モデル:Nao