でも、その試合を観戦に行ってからは完全にガンバサポーターになりました。ヴェルディとのホーム万博での初対戦した試合では、カズさんがオフサイドの位置から決めたゴールや、ヴェルディの司令塔にして日本代表の全てを司るMFラモス瑠偉とガンバの中国代表DF買秀全が乱闘騒ぎを起こした際に、ラモスには警告のみで買秀全には1発退場が命じられるなどの事態があり、ヴェルディは憎む対象に変わっていました。
ただ、やはりJリーグ開幕から2年はチケットも買えない状態で、ガンバのホーム万博へは1度も行けませんでした。
そして、新聞のプレゼント企画で初めて万博に行った時も・・・今度はキックオフに間に合わない。しかも再び試合終了10分前には会場を跡にする事になったのも覚えています。またもや父親との2人での観戦でした。
練習場で体感したファンサービス
宝物となった初代イヤーブック
しかし、母親と弟と行った当時は万博ではなく田辺の松下電器施設内にあったガンバ大阪練習場へ行った事が全てでした。
ガンバの初めてのオフィシャルイヤーブックに各選手からサインをいただきました。特に覚えているのは磯貝さんが練習開始の1時間以上前に来て、ずっと1人でFKの練習をしていたのですが、わざわざサポーターが陣取る側で練習をしてくれていたのを覚えています。
また、野球好きだった僕は野球選手はそれほどファンサービスがなく、“遠い存在”に感じていたので、サッカー選手は“近く”感じたのも覚えています。
と言う事で、コレが最初のオフィシャルイヤーブック
永島さんにももちろんサインいただきました。当時はネックレスも試合中の装着がOKだったため、永島さんのネックレス姿に魅了されました。
“アジアの壁”と言われたDF買秀全。
天才MF磯貝さんは別の場所にもらいました。
日本代表GK本並健治さんは腎臓破裂で生死の境を彷徨った直後だったので、こちらも日本代表に登り詰めたGK岡中勇人さんに貰いました。
浦和レッズへ移籍した都築龍太も含めて、ガンバの正GKは3代目まで代表選出される実力者でした。それぐらい相手に攻め込まれる事が多かったのですが・・・。
相手チームの紹介も掲載されていた初代イヤーブックは貴重。
今でもしっかりと保存しています。
右端がリネカーで、左端がジョルジ―ニョ。
また、当時は選手登録がプロ野球の1軍と2軍のように、トップチームとサテライトチームに分けられており、トップチームは色付き。
でもサテライトは白黒と差がつけられていました。