20〗Skonto stadions / リガ

バルトの玄関《リガ空港》十年前の議長国を振り返る

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EU加盟国は現在二十七ヵ国。英国が脱退してから変わりはない。現在の議長国はポーランド。昨年大晦日までのハンガリーから元旦襷を受け取った。このEU議長国は任期六か月の輪番制。議長国が半年間理事会の活動を推進する。これは国の規模や加盟期間はまったく関係なく各加盟国十年前の2015年は上半期がラトビア、下半期はルクセンブルクに権限が委譲された。下写真は、毛糸玉のようなロゴにEU2015Lvの白文字。旗を裏側から撮影したため逆になってはいるが’15年にリガを訪問したのは間違いない。東洋人の観光客も最近は珍しくないとのこと。’05年時点で約百八十万人だったリガ空港の利用者は、’16年には五百四十万人。’18年には八百万人を越えているから鰻上りどころか、鯉の滝登り。その後パンテミックで落ち込んだのは仕方ないとして’23年には、六百六十三万人まで回復。これは’22年に比べて23%増加となる。勿論バルト諸国の中ではトップであり、バルト諸国の航空旅客総数の42%を占める数字。
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空港では様々な言語が行き交う。市内では聞き覚えのない言葉が飛び交うから、これがラトビア語なのだろう。それでもjā:ヤーが英語のイエスなのはオランダと同じ。ところが空港でダ-ダ-言ってる人達に遭遇。会話に耳を攲てて納得。ロシア語でのやりとりは間違いない。ちなみに筆者は、ロシア語もオランダ語も話せないし訳せもしないのだが、これだけ欧州を旅していると何語かは判別できるようにはなっているから我ながら面白い。
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バルトの空を舞う フラッグカラーの旅客機

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四年ぶりとなるリガ訪問。前年がラトビア建国百周年だった為、祝事を記念して赤白のフラッグカラーに塗装されたのはエア·バルティックのエアバスA220-300型機。尾翼にはSを寝かせたような百の文字と国旗。それまで目にしていた黄緑と白の機体とはかけ離れたデザインにまた新たな航空会社が参入かと一瞬勘違いした。エア·バルティックはリガを拠点として七十二都市に就航しているもののバルト三国共有のフラッグキャリア。エストニアのタリン、リトアニアのビリニュスからも欧州各都市に直行便を運航。リトアニア機には黄·赤·緑のウェーブが、エストニア機は青黒と各国の国旗をデザインした特別塗装が施された。
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ラトビアの建国は1918年11月18日。リトアニア、エストニアと歩調をあわせた。ロシア革命から第一次世界大戦を経て二年後の’20年、タルトゥ条約によってロシアからの独立を宣言。バルトの宝石とも称されるリガはバルト三国妻帯の都市。ロシア領に属していた当時はモスクワ、サンクトペテルブルグに次ぐ第三の都市として繁栄しており見所も多い。ダウガヴァ川東岸に広がる旧市街は’97年に世界遺産に登録されている。
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駅を挟んで南側に何やら見覚えのあるような構造物。以前はKulturpalast(文化宮殿)と称された化学アカデミーの高層建築。モスクワのセブンシスターズを模倣したスターリン様式にソ連時代の名残りを感じる。翌々日ワルシャワで同様式の文化科学宮殿も目にしたが、重厚感ではリガが優る。写真では分かり難いかもしれないが、細い送信アンテナが張り巡らされておりテレビ局やFMラジオの放送局がオフィスを構える。
自由の記念碑広場に向かって歩を進めると涙雨が空から。ラトビア独立戦争の戦没者の慰霊と平和への祈りを込めた『自由の慰霊』の前で手をあわせ目を閉じた。このモニュメントは同国の自由·独立·主権の象徴でもある。完成は1935年11月18日。建国記念日と同じで自分の誕生日の一日前なので覚えやすい。高さは四十二メートル、上へ行くに従って細くなる四角柱の上には『自由の女神』のお姿。
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三百メートル歩いてラトビア大学前まで三号線(もしくは十一号線でもよい)のトラムバスに乗車。芸術アカデミー、国立美術館の建物を右手に眺めて僅か二区間、およそ五分で降車。百メートル歩けばスタジアムの照明塔が左方向に見える。
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