ユニフォームを脱ぐ。そして二度とピッチには立たない。
プロサッカー選手にとって一番、悲しい気持ちになるときがこの瞬間だろう。それを今年も二人の選手が決めた。
J1リーグ鹿島アントラーズ所属中田浩二、ベガルダ仙台柳沢敦だ。
両選手は79年組として鹿島アントラーズに1998年に入団。同期には、本山雅志、曽ヶ端準(両選手とも鹿島所属・現役)らがいる。
中田は、ボランチやセンターバックとして活躍。05年にはフランスリーグ1、オリンピックマルセイユに移籍を果たす。その後、スイスリーグのFCバーゼルを経て08年に鹿島アントラーズに再び復帰。左サイドバックや、センターバックなどプレーした。
しかし、時間が経つにつれて出場機会を失っていく。増田誓志、柴崎岳らの台頭で居場所はなくなっていった。
日本代表としては日韓W杯のメンバーに選出され、当時監督のトルシエに重宝されフラット3の左センターバックとして4試合フル出場。ドイツW杯にも出場し、2大会連続のW杯を経験する。
「チームと11月に入って話をしました。チームが世代交代をしている中で、いつまでも(ベテランの)自分が居座っているのも良くないと思いました。出場機会も少なくなり、チームが良い状況の中で練習だけしているのも苦しかった。移籍の選択肢もあったが、他のチームのユニホームを着てプレーすることを想像できなかった」(スポニチアネックス12月07日記事より)
と、本人は話す。
左利きのCBは、中田浩二以来代表に定着していない。闘莉王も、吉田麻也も右利きだ。アギーレジャパンで、サガン鳥栖のDF坂井達弥が代表選出された理由は、左利きだったという。中田浩二、二世の誕生を願ってやまない。
◇中田浩二◇
1979年7月9日生まれ
B型 滋賀県出身
182cm/74kg
帝京高校→鹿島アントラーズ(98年~04年)→マルセイユ(05年)→バーゼル(06年)→鹿島アントラーズ(07年~14年)
背番号13。と言えば柳沢敦を思い浮かべる人も少なくないだろう。動き出しの質で得点をとってしまう。中盤に落ちてきて、ボールを受けると思えば、DFラインの裏を狙い、ゴールをかっさらう。
ストライカーというよりは、セカンドトップと表現した方がいいかもしれない。オフザボールの時が彼の勝負どころであった。
海を渡り、イタリアでプレーしていたこともあったが、日本に復帰後、出場機会を減らしていく。機会を求め、京都サンガ、ベガルダ仙台に。今年はピッチに立つ機会が減り、引退を決意した。
彼はシュートチャンス時に、味方選手にパスを出すこともあった。物議をかもしたこともあるが、「点を取るだけがFWの仕事ではない」と教えてくれたのかもしれない。