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あの日あの時は◼️2004年9月20日ロシアプレミアリ-グ第23節ゼニト·サンクトペテルブルク対トルペド·モスクワ。
前半24分アウェーチ-ムが先制。時計の針は後半も25分を過ぎたところで中盤を一枚削ってセンターフォワードのルカシュ·ハルティヒ:Lukas Hartigをピッチに投入。これを合図に沈黙していたゼニトの攻撃陣が一気に火を吹く。同点弾丸から六分後の逆転ゴ-ル。何れも決めたのはケルジャコフ。二点目をアシストしたのがこの日ツ-トップの相棒アルシャビン。更に二分後ケルジャコフからハルティヒで駄目押し。連勝を四に伸ばして首位をキ-プした。
フボチャンの前任者が2004年からの四シーズンプレーした同胞のマルティン·シュクルテル:Martin Škrtel【1984年12月15日生】。スロバキア代表でも腕章を巻き、その強面には泣く子も黙る。トレンチ-ンから移籍したばかりのシュクルテルも終了のホイッスルが鳴るまでの90分間ピッチ上で存在感を発揮し合格点をつけられるロシアデビューとなった。
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この試合に出場したトルペドのイーゴリ·セムショフ:Igor Semshov【1978年4月6日生】。そのプレーは、日韓大会で横浜のスタンドからトルシエジャパンとの試合で見ている。残念ながら当時十九歳のに出場のチャンスはなかった。この時来日したロシア代表はスパルタク:4/CSKA:3/ロコモティフ:2、セムショフも加えるとモスクワの四つのクラブから十一人の選手が招集されていた。それが現状最後の国際舞台となっている2020年のUEFA欧州選手権にはゼニトから最多八人を送り出す巨大派閥へと成長を遂げていたのだから時間の経過を実感する。
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ロシア人には絶対無理 ゴルビーを失脚へと導いた禁酒政策
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カバー写真はサンクトペテルブルクに本社を置く国内最大手のバルティカのウィンターエール。マンダリンオレンジ風味でアルコール度数4.6%と軽めで女性にも人気の商品。極寒のロシアでは趣味嗜好ではなく体内保温効力を高めるために酒を飲むと聞いた事がある。これは嘘でウォッカやウイスキーなどのアルコール度数の高い酒を飲んでも長時間体温は上がらない。但しウォッカで鍛えられているから酒が強いと言うのは満更嘘ではないだろう。’85年にソ連の最高指導者に就任したミハイル·ゴルバチョフ:Mikhail Gorbachev【1931年3月2日-2022年8月30日没】は、健康管理と経済的生産効率の観点から禁酒政策に踏み切った。これは他国でも例を見ないユニークな政策。ウォッカの販売制限と価格引き上げは、闇市場を生み酒税収入を激減させる愚策でしかなかったと気づいても後の祭り。僅か二年で撤廃されるのだが結局’91年暮れのソ連崩壊の引き金となりゴルバチョフ退陣へのレ-ルが敷かれてしまった。そしてバルティカ社が90年に創業。業績は好調で90年代後半から2010年代にかけてロシア国内のビ-ル消費量が三倍増したのには理由がある。酒類ではなく低アルコール飲料は食品に分類されたからと深夜での販売が許され、広告規制からも除外されていたのである。
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