41〗MAC³PARK Stadion / ズヴォレ

ヤンスがJSLのマツダに入団したのは1987年。プロ化の波が押し寄せる中、日産が元セレソン主将を招き入れるなど助っ人は珈琲豆とサンバの国からが主流。そこにハンス·オフト:Hans Ooft【1947年6月27日生】が母国からストライカーを呼び寄せたから其れなりには脚光を浴びている。’87年の自分を振り返ると二十二歳でツアコンやら複数のバイトを掛け持ちしていたからFromA初代編集長が命名したフリーターそのもの。旅行業務取扱主任者(※現在は総合旅行業務取扱管理者)の資格は取りたいとは思っていたが勤勉とはかけ離れた毎日を過ごしていたからオランダの都市名を問われてもアムステルダムとロッテルダムの次が出てこない。ズヴォレ出身PECズヴォレでプロデビューしたヤンスの経歴に、濁点が続く語感の悪さから勝手にど田舎の町を想像していた。
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 デカイプでの衝撃 創立百年目で手にした初タイトル

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ヤンスとフランク·デ·ブール:Frank De Boer【1970年5月15日生】が笑顔で並ぶ写真が紙面を飾る。報道陣との関係にも気を使い、記者会見ではウィットやエスプリの利いたコメントで和やかにするのがヤンス。4月20日のロッテルダムのデ·カイプで待ち受けるのはエールディビジ四連覇目前のアヤックス。KNVBベーカーとの二冠獲得に自信満々だったのだが。
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この試合は発煙筒もどきがピッチに投げ込まれ途中試合が中断。アヤックスが先制して良い流れだったのだが信じられない愚行で断ち切られたから選手達が気の毒。マーケティング·ダイレクターのエドウィン·ファンデルサール:Edwin van der Sar【1970年10月29日生】がマイクを握って混乱を沈めた。その後アヤックスの歴史上稀に見る無残な展開。四十二分間で五失点の屈辱を味わったケネス·フェルメール:Kenneth Vermeer【1986年1月10日生】は現在PECズヴォレ所属。控えキーパーで出番のないまま三十九歳の誕生日を年明けに迎えた。それにしても今写真を見直してもズヴォレサポーターで膨れ上がったスタンドに驚く。ズヴォレ市の人口は十二万人以上。オーファーアイセル州の州都はオランダでは中規模都市の部類。少なくともド田舎ではないことを二十七年の歳月を経て知ることとなった。
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このカップウィナーに輝いた試合が格上相手に見事なジャイアントキリングとあって、戦術家タイプの指揮官と決めつけていたがトウェンテや昨季のユトレヒト(※三強に続く四位)での仕事ぶりはジェネラリストとして辣腕を発揮している。上のヤンスの写真はトウェンテでの’13年5月のリーグ最終戦、ハイティンハが暫定で指揮を執るアヤックスに逆転勝ちした試合の前に撮影した。このシーズンのトウェンテはボールキープ力に優れ、最終ラインからのビルドアップも得意だが、オランダ不変のステレオタイプではない。高い守備ラインで前からプレスをかけショートカウンターを得意としていた。ボールを奪ったら前線に人数かけるスタイル。両サイドのスピードを活かしたトランジション重視の意識が浸透し、アヤックスにボールを持たせて狙い通り。それにしてもアヤックスを観戦·取材した中でオランダ国内のクラブに負けた試合はこのズヴォレ戦とトウェンテ戦の僅か二試合のみ。それが何れもヤンスの采配で同じように逆転負けだから苦笑するしかない。
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 旧友との再会に触発 爆発したモロッコ系ミッドフィルダー

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第41話はズヴォレにあるMAC³PARK stadion。あの日あの時は■2016年4月9日30節 PECズヴォレ対ローダJCケルクラーデ。MAC³パ-クスタディオンには一万二千五百人の観衆が足を運んだヤンス三年目のシーズン。前年六位はそのクラブ予算を考えれば快挙と呼べる好コストパフォーマンス。それでも前(29)節では首位アヤックスに0-3の完敗。この試合でアヤックスの主将章を巻いていたのは十番トップ下のダフィ·クラーセン:Davy Klaassen【1993年2月21日生】 。一方ズヴォレの八番は元アヤックスのウァシム·ブーイ:Ouasim Bouy【1993年6月11日生】。
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