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1部残留を賭けた入替戦に挑む長谷部誠〜日本代表主将の古巣との因縁

 1部残留を賭けた入替戦に挑む長谷部誠~日本代表主将の古巣との因縁

 ドイツ・ブンデスリーガ1部リーグは今季の全日程を終了。9年前にリーグ優勝を果たすなど過去5回のリーグ優勝を誇る名門・シュツットガルトが2部降格の憂き目に遭った。かつて日本代表FW岡崎慎司(現・レスター・シティ/イングランド)とDF酒井高徳(現・ハンブルク/ドイツ)が同時に在籍していたこともあった名門は、今季をリーグ17位で終えて来季は2部へ自動降格する。
 そして、ドイツでは1部リーグ全18チーム中の16位でフィニッシュしたチームと、2部で3位に入ったチームが来季の1部リーグに参戦できる18チーム目の座を賭け、ホーム&アウェイの2試合で直接対決する入れ替え戦プレーオフがある。
 今季はその1部16位に入ったのが、日本代表の主将を務めるMF長谷部誠が所属するフランクフルト。そして、そのフランクフルトと対戦する2部3位に入ったのは、長谷部の前所属クラブであるニュルンベルクだ。長谷部にとっては実に因縁めいた対戦になった。

ドイツで9季目の日本代表主将~リーグ優勝を経験し、代表でも不可欠な存在に

 今季でドイツでのプレーが9シーズン目となった長谷部。ドイツで最初に加入したヴォルフスブルクではブンデスリーガ優勝にも貢献した。
 ただし、そのポジションは日本代表でも定位置を掴んだボランチではなく、右サイドMFや右サイドバックなど自身が希望するボランチではなかった。
 ヴォルフスブルクはメインスポンサーである地元の世界的自動車メーカー=フォルクスワーゲン社が多額の強化費をつぎ込んで代表クラスの選手を次々と獲得してくるため、どんなポジションでも器用にこなして結果を出した長谷部と言えども、徐々に立場が危うくなって来た。
 とはいえ、長谷部は常にプレーの幅を拡げて来た選手だ。藤枝東高校を卒業後、日本のJリーグでは2002年に加入した浦和レッズ一筋にプレーした長谷部。浦和時代は「和製・カカー」と称され、中盤から自らドリブルで持ち上がって得点まで決めてしまうプレースタイルに特徴があった。
 しかし、浦和には2列目にタレントが揃っており、長谷部はポジションを1列目下げてボランチとして定着。それでも当時の長谷部の特徴は、ボランチながらも中盤で自らドリブルで駆け上がって直接多くのゴールに絡むプレーだった。ボランチ像としては異端に見えるプレースタイルだったが、2列目で起用できなくても何とか先発に組み込ませようとボランチ起用に至った当時のハンス・オフトやギド・ブッフバルト両監督の手腕は大胆かつ斬新だった。
 長谷部をレギュラーに据えた浦和は2003年にヤマザキナビスコカップ、2005~2006年度の天皇杯の2連覇、2006年のJ1リーグ、2007年のAFCチャンピオンズリーグ、と毎年のように主要タイトルを獲得。そんな長谷部が2008年1月にドイツへ移籍後、実は浦和は1度も主要タイトルを獲得していない。昨年も明治安田生命J1リーグ第1ステージこそ制覇したものの、年間優勝はならず。長谷部の偉大さはここでも際立っている。

 そんな長谷部はドイツのサッカーに適応するためのボール際のタフな守備力を体得。フィジカルの強化はもちろん、体格で劣るために緻密なポジショニングにも力を注いだことで、日本代表でもボランチのレギュラーに定着。
 いつしか日本屈指のボランチとして攻守のバランスを取れる必要不可欠な存在となった。今では守備面での方が目立つほどの大きな変貌だ。
 海外クラブに移籍して成長を遂げ、それを日本代表に還元する、という理想的なプロセスを体現しているのだ。

出場全試合未勝利に終わったニュルンベルクでの苦悩、フランクフルトでの復活

 2013年、ボランチでの出場機会を希望して移籍したニュルンベルクでは希望したボランチとしての出場機会だけでなく、キャプテンマークも巻きながらプレーする事もあった。
 しかし、そのニュルンベルクでは全く結果が出せなかった。1シーズンに3度の監督交代があり、長谷部自身もシーズンの折り返し地点で長期離脱となる怪我を負ってしまい、後半戦は最終節直前まで欠場。チームの1部残留へ僅かな望みを託された最終節、長谷部はキャプテンマークを巻いて強行出場したものの惨敗に終わり、2部降格が決定。
 しかも、このシーズンの前半戦を未勝利(11分6敗)で終えていたニュルンベルク。長谷部は出場したリーグ戦14試合全てを未勝利で終えたまま、1年で退団に至った。さらに契約事項に「2部へ降格した場合は選手側から契約解除ができる」との条項を加えていた事も波紋を呼んだ。