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この日エルンスト·ハッペルでゼニト·サンクトペテルブルクとアウストリア·ウィーンの試合を観戦。筆者はアエロフロートソ連航空の代理店に勤務し初めて訪問した有名美術館はルーヴルでもメットでもなくエルミタージュ美術館だったからゼニト側のゴール裏に陣取るのにも抵抗はない。当時のゼニトの指揮官がルチアーノ·スパレッティ:Luciano Spalletti【1959年3月7日生】だったのもゼニト贔屓の理由だった。然し、まさかの逆転負けだったから決勝トーナメント進出は絶望と決めつけていた。というのもアトレティコは負け無しで余裕の予選突破確定済み。ポルトに敗れても首位通過は決まっているのだから完全な消化試合。ポルトとのモチベーションの差は天と地ほどの開きがある。
それでもビセンテ·カルデロンに集った二万五千人の前で気の抜けた試合は見せられない。熱血漢シメオネはほぼベストのスタメンを組んでこの試合に臨んでいる。前月スペイン代表への招集がブラジルでは騒動にもなったジエゴ·コスタも含めるとスペイン人が八人。ブラジル人が二人で唯一のラテン言語圏外がベルギー人のトビー·アルデルヴェイレルトtoby Alderweireld【1989年3月2日生】だけ。ボスマン判決以前のチームを想起させるのに対して、前線のBBCにドイツ人とクロアチア人の中盤は白い巨人。この年リスボンでの決勝で当たる両クラブのコントラストが絶妙だった。そんな情熱の国の首都に相応しく激情的かつ自由奔放な振る舞いで強く印象に残っているのがこの異邦人。
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トルコ代表の英雄、百試合出場のアルダ·トゥラン:Arda Turan【1987年1月30日生】。この大会でも初戦のゼニト戦と敵地でのポルト戦で得点を決めて存在感を発揮している。このポルトとの最終戦は後半からの途中出場。16年にバルサへと移籍してはみたもののトゥランには赤白縦縞の背番号十のウェアのほうがが遥かに似合っていた。
引退後は指導者の道を歩んでおり、現在はシャフタール·ドネツクを指揮しているから怖い物知らずを地で行くこの人らしい選択ではある。
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お薦めはノートン·サイモンとチョリソー入りトスターダス
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最後の写真はパサディナにあるノートン·サイモン美術館。ロサンゼルス市内で最も美しいと評判のユニオン駅からパサディナのメモリアルパーク駅までの乗車時間は約二十分。そこから徒歩で約二十分で着いたから一時間もかかっていない。実はこの美術館、世界の主要アートミュージアムもを訪問してきた中でも個人的には一番とお薦めしたい。
まず器が大き過ぎない。コレクションは地域年代分野と全てにおいて幅広く、日本や東南アジアの作品も展示されている。それでも作品の質はかなり高く途中庭園で気分転換もできるから集中して作品鑑賞ができる。前述のメットやエルミタージュを丸一日かけて見た後で、脳が疲弊して吐き気をもよおすのは自分だけだろうか。
ノートン·サイモンで満腹ならぬ満頭感を満たしたので残りの時間はローズボウルの外観だけ眺めてロサンゼルスに戻った。
正直アメリカ訪問食べたものはステーキ、ハンバーガーとポテトなどのファーストフードぐらいしか思い出せない。唯一例外がこのロサンゼルスで、新鮮な海産物等食材も豊富とあって多国籍な食文化を堪能した。特にメキシコには行ったことがないので自家製チョリソーを使った本場のトスターダスが気に入り三日続けて注文したほど。
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さて80,619人のファンが集まったローズボウルでのPSG対アトレティコ戦。事前の周知が明らかに不充分だったようで規格外は持ち込めないとあって持参した多くの水筒がスタジアムの外に捨てられる羽目に。屋根は勿論カリフォルニアの強い陽射しを遮る建築物等も周りにはない。六月の真っ昼間にまたもや灼熱地獄での死闘が繰り広げるとは。
蘇るのは史上最悪の頂上決戦の記憶
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