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ゆとり世代フットボーラーのルーツ 〜同世代との距離の推移〜

丸山龍也選手画像

オランダで奮闘する宮市君のインタビューが上がっていました。

宮市、欧州での苦闘/ロングインタビュー・
日刊スポーツ

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とても刺激的だった。同感するところもあるし、差を感じるところも、羨ましく思うところもある。いいものを読ませてもらった。

自分のブログはゆとり世代フットボーラーと題打ってるわけですが、そもそもルーツを辿ればプラチナ世代へのアンチテーゼだったりします。

1992年生まれの僕と同じく、1992年生まれのサッカー選手達は13歳の時、日本代表として世界大会で優勝したことをキッカケに、「プラチナ世代」と名付けられるようになりました。

宇佐美貴史、宮市亮、柴崎岳、小野裕二、武藤嘉紀・・・代表や海外で活躍する選手が多い世代で、時を同じくして生まれた僕は負い目を感じていました。だから、「俺はプラチナ世代じゃねえ!一緒にすんな!」的な、言わば反骨心というかジェラシーの塊からブログ名を「ゆとり世代フットボーラー」としたのです。プラチナ世代ともてはやされる彼らに敵意を抱いていたからこそ、このブログの名前は誕生したわけです。

宇佐美選手が最初にスポーツ報知の最終面で特集されたのは僕らが中2の冬。
来季、所属するガンバ大阪ジュニアユースからユースを飛び越し、中3でのトップチームデビューが期待されるという記事でした。(その時の1面はカズ選手が契約を更新し、来季40歳でのプレーが確実とされたという内容でした)
その頃の僕は、県大会の1回戦をどうにか勝てるぐらいの弱小サッカー部のサブ選手でした。その新聞を学校の教室で読んだことを鮮明に覚えています。

柴崎選手が1年生で青森山田の10番を背負っていた頃、僕は定時制高校に通うチンピラ崩れでした。彼が高2で全国優勝し鹿島アントラーズと仮契約を結びキャンプに帯同していた頃は、ようやく本腰を入れてサッカーに取り組み始めたぐらい。まだまだプロになることは愚か、JFLでプレーすることを目標と掲げていた17歳でした。

小野裕二選手が高3でトップ昇格し、僕が死ぬほど好きなマリノスでゴールを重ねていた頃、一方の自分はクラブのアルバイトスタッフとしてスタジアムの脇から彼の活躍をただ眺めていました。何度か彼とすれ違った時に、あ。俺負けてる。って、話もしてないのに痛いほど実感した。

宮市選手がボルトンでゴールを決めた時、テレビでそれを眺めていた僕は前十字靭帯と内側側副靭帯を断裂してリハビリに励んでいました。いや、リハビリどころかピザ運んで、家電量販店で働いて、バイトばっかりしてた。泣きました。病んだ。