1994年5月18日アテネのオリンピアコスタディオ。デヤン・サビチェビッチの左足から放たれた緩やかな弾道がネットを揺らした3点目は、ヨハン・クライフの尊厳を崩壊させるゴールとして語り継がれている。
約半年後にはトヨタカップで再来日。国立競技場でロッソネロを身に纏う雄姿が日本のミラニスタを熱狂させているシーンが度々映し出される。
旧ユーゴススビア時代のレッドスターベオグラードは三人の天才ドリブラーが存在した。D.ストイコビッチ、R.プロシネツキ、そしてデヤン・サビチェビッチ。
91年UEFAチャンピオンズカップ、幻のゴールシーンは【4分30秒】の映像。黄色のユニフォームは東独王者D.ドレスデン。
複数のマーカーを翻弄しゴールネットに突き刺した同点ゴール。
しかしこの試合はその後、暴動勃発で没収(無効)試合となり初戦勝利していたレッドスターが準決勝へと進出。続く西独王者バイエルン・ミュンヘン戦。【5分20秒】の映像でも長い距離のドリブルからシュート。
初戦のアウェーを制したレッドスターはファイナルへ。同胞で元同僚ピクシーと後の盟友パパンのO.マルセイユを下しての戴冠。トヨタカップ、コロコロ(チリ)戦の映像。数的不利をモノともせず、組織を「個」の力で駆逐する異才が初来日。
1995年4月19日UEFAチャンピオンズリーグ準決勝第2戦、ホームの試合でも白いユニフォームの着用が欧州仕様。サビチェビッチの2ゴールがPSGを破り二年連続のファイナルへと導く【1分】の映像。
映像のハイライトは1996年3月24日、セリエA第27節パルマ戦。前半43分に左サイドを制圧したサビチェビッチから中央のロベルト・バッジョがあわせた先制ゴールのシーンは【3分30秒】の映像。
アズーリの至宝でさえ「10番はサビチェビッチがつけるべき」と18番を選択した逸話が全てを物語る。国立で不貞腐れながら退場するラストには苦笑した。