ポルトガル / Portugal

Foot ball Drunker〔176〕visiting『Estádio dos Arcos』ヴィラ·ド·コンデ / ポルトガル

水道橋が歴史を物語る『伯爵の町』◇◇◇十六世紀大航海時代に造船で栄えたヴィラ·ド·コンテ。十八世紀に建てられたのは999の橋脚が全長七キロに連なる水道橋。その右端にはスタジアムの照明をフレームに収めた街のシンボルでもあるキャラベラ船のレプリカの前で観光客が足を止める。三本マストに三角帆を装備したこの帆船は漫画·アニメ『ONE PIECE』ファンならばメリー号を見たヒロイン·ナミの発

Foot ball Drunker〔161〕visiting 『Estádio do Mar』マトジニョシュ / ポルトガル

◇◇◇◇最終予選の中国戦 森保ジャパンにサプライズ招集はあるのか◇◇◇◇早いもので来月5日からFIFAワールド杯アジア最終予選の幕が上がる。埼玉スタジアム2002でに中国代表と対戦する我らが日本代表。台頭著しいのがポーランドで開催された2019年U-20ワールド杯出場組。ベスト16でアジアのライバル韓国に敗れた悔しさを糧に成長し

Foot ball Drunker〔141〕visiting 『Estádio Municipal de Braga』ブラガ / ポルトガル

好調イベリア勢 北海道は意外に広い◇◇◇◇明日でグループステージが終了するUEFA欧州選手権:EURO2024。ここまでのところ、クロアチアとイタリアを粉砕したスペイン代表の好調が目に付く。さて連勝で当確のポルトガルはジョージア戦にどう臨むのか。かつてイベリア半島最北西部で隆盛を誇った王国ガリシア。現在のスペイン·ガリシア州に加え、カスティーリャ·イ·レオン州にアストゥリアス州

Foot ball Drunker 〔119〕visiting 『Estádio do Bessa XXI』ポルト/ ポルトガル

緑のワインと蟹挟 ◇◇◇以前の職場同僚から「飲み食い」のリクエストが届き久しぶりにポルトガル料理店を予約。この日初対面となる元同僚姉とツーショット。筆者と同年齢の酒豪。カバー写真でリスボアカードを手にしている女子大生は、その元同僚の娘さん。つまり写真隣のお姉さんからすると姪っ子になるのだが、性格込みで母親よりも似ている気がする。元

Foot ball Drunker 〔92〕visiting 『Estádio 1º de Maio』ブラガ / ポルトガル

 クリスプブレッドは フットボールに似ている ◇◇◇◇欧州の伝統的な食べ物にクリスプ·ブレッドがある。ブレッド=パンなのだが、北欧ではクラッカー状の薄い形状のパンを指す。一方南欧でクリスプ·ブレッドといえば、ドゥルセソル社の製品が頭に浮かぶ。欧州の伝統的な食べ物にクリスプ·ブレッドがあるブレッド=パンなのだが、北欧では

Foot ball Drunker 〔81〕visiting 『Estádio da Luz』リスボン / ポルトガル

日本のファマリカンサポーターには嬉しくても 浦和サポーターには厳しい時代◇◇◇◇一富士二鷹三茄子、欧州に富士山はないが意外と鷹はスタジアム内を羽ばたいている。ナスはフランスやオランダでも食卓に並ぶ大衆料理の具材。子供の頃は正直美味いとは感じなかったが、この茄子が料理の中でボランチ的な役割であると気づかされるのは大人になってから。オ

Foot ball Drunker〔64〕 visiting 『Estádio João Cardoso 』トンデラ / ポルトガル

日曜日よりの使者は スタジアムに集まる◇◇◇◇甲本ヒロト 作詞作曲の「日曜日よりの使者」が発表されたの1995年。当時から大好きな曲ではあったが欧州蹴球に魅了されてからは勝手に自己流で歌詞を解釈するようになった。《世界中が どしゃ降りの雨だろうとゲラゲラ 笑える 日曜日よりの使者》

Foot ball Drunker 〔12〕visiting 『 Estádio do Clube Desportivo das Aves 』アヴェス / ポルトガル

タベルナで食べた謎の煮込みリーグ・アンが先週末は、既に第四節。開幕前には早くも前半の天王山かと注目されたオリンピック・リヨン対PSG。しかし開幕から白星なしのリヨンがこの日も四失点の絶不調。後半から期待の新戦力をピッチに送り出しても焼け石に水。車窓から放牧された牛や馬を目にする機会は、欧州では珍しくもない。かつて羊毛の生産大国ポ

Foot ball Drunker〔4〕 visiting 『Estádio D. Afonso Henriques』ギマラインス/ポルトガル

前回羅列したナイジェリア人にはA代表の常連も。日本代表がスーパーイーグルスと対戦して深く記憶に刻まれたのは1995年年明けのリヤド・キングファハドスタジアム。木っ端微塵に粉砕された加茂ジャパン初戦のスコアは0-3。97年10月カザフスタンでの更迭までの2年の10か月。当時は非常に長く感じたが今振り返ると意外に短い。複眼を得るポルトとリスボンの風景。しかし初代国王アフォンソ1世ゆ