英国人作家が『フランダースの犬』の舞台に選んだ街
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パリ五輪も明日で閉幕。今回も過去に五輪を開催した都市を取り上げる。一次大戦で荒廃した国土と施設の再建を世界にアピールしてベルギー国家の復興に一役買ったのが1920年のアントワープ五輪。日本人選手初のメダリスト誕生もこの大会。種目はテニスだったから意外な気もする。
前回2000年に開催されたUEFA欧州選手権の開催四都市のオランダ側はアムステルダム/ロッテルダム/アイントホーフェンと三強の本拠地にアーネムであると述べた。一方ベルギーは首都ブリュッセルにブルッへのオランダ語圏、フラマン=フランス語圏のリエージュとシャルルロワが選ばれている。
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現在ベルギーの人口分布はブリュッセルと隣接したアンデルレヒト&スカールベーク両市一帯が首都圏最大エリアを形成。ここに肩を並べるのがアントウェルペン州のアントワープ周辺込みで500万人を越える大都会。以下ヘント、シャルルロワ、リエージュ、ブルッへと300万人以下の都市が続く。
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オランダに近過ぎるという理由でアントワープが選外となるのは事前に想像がついた。地元市民が受けた精神的なダメージは如何程のものか。そのアントワープにあるボサイル·スタディオンが160話。中央駅から5番トラムで10駅13分とアクセスは文句のつけようがない。
1880年に創立されたクラブの競技種目は英国のお家芸クリケット。その八年前に発表された『フランダースの犬』の舞台がアントワープ近郊であると知っていても作者をベルギー人と勘違いされている方も多いはず。女流作家のウィーダは、イギリスの女性作家。ウィーダ: Ouida【1839年1月1日生-1908年1月25日没】の本名はマリア·ルイーズ·ド·ラ·ラメー。海を隔てた英国との縁は深いベルギ-。
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フットボール部門が始動したのは90年代から。旧市街の東約6kmの距離にある住宅地ドゥールネへと移転したのは1923年11月1日。
デヘル(地獄)ファン·ドゥールネと呼ばれたのが定期的に行われたベルギーとオランダの国際試合。これは懐かしの日韓定期戦同様、両国民の感情が爆発し荒れに荒れるのは毎度の事。公式サイトによると1950年のベルギー-オランダ戦は45,432人の超満員。6年後に総収容人数は約六万人まで拡張工事が施されている。このダービー·オブ·ザ·ロー·カントリーズは、1977年オランダの勝利で幕を閉じ、アントワープ市は 80年代と90年代に安全を優先して数回閉鎖し部分的に改修を施している。
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前述のユーロ落選を経て2001年、南側は取り壊し大規模なリノベーションに着工。2013年から15年にかけて、メインスタンドのAVTトリビューンの改修、17年には5600席を設けた5階建てのグランドスタンドが誕生した。
ロビー階にはショップ、ダイアモンドボックスとプレスルームにドレッシングルームなど選手専用施設も充実。1階はサポーターゾーン、2階はオープンVIPエリア、3階には700人規模の宴会場レストラン、4階ロッジの上には報道関係者専用のフロアが用意されている。気になるフードコ-ナ-で販売していたビールはMAES。 カバー写真のとおり今の時期、頭の中の半分は金色の液体と白い泡に占領されている。
ロイヤルアントワープに在籍した選手で日本のメディアが最も活字で取り上げたのは2019年から四シ-ズンを過ごした三好康児:Koji Miyoshi【1997年3月26日生】であることは間違いない。
その三好よりも二日だけ誕生日が遅いマヌエル·ベンソン·ヘジラツィオ:Manuel Benson Hedilazio 【1997年3月28日生】。下写真はヘンクからムスクロンに貸し出されていた際のマヌエル。