しかし、ヴァレリー監督が中国の山東魯能に引き抜かれて1年で退任すると、その攻撃サッカーは消え失せてしまった。後任のガジ・ガジエフ監督はロシア国内ではロシアリーグ最優秀監督賞を受賞するなど、ヴァレリーと同クラスの名将だった。ただ、彼はヴァレリーが植えつけた攻撃サッカーの流れをぶち壊した。せっかく育った下部組織出身選手もレギュラーから外し、その上でヴァレリー時代の組織的なサッカーもぶち壊した末に辞任。ヴァレリー時代のコーチを務め、サンフレッチェユースの監督としても森崎兄弟や駒野を指導していた木村孝洋氏がクラブ初の日本人監督に就任するも、失われた半年を巻き返すには時間が足りなかった。クラブを挙げて、「ジュビロのようなパスサッカー」を目標に育成と強化に取り組んだが、そのジュビロ磐田が第1ステージも第2ステージも制した完全優勝を成し遂げた2002年、逆にサンフレッチェはJ2に降格した。