29〗 Arena Lviv / リヴィウ

リビィウにオ-ストリアを感じたウオッカ入り珈琲

◇◇◇◇◇

このスタジアムはオーストリアの建築家アルベルト·ヴィマー:Albert Wimmer【1947年生】と地元企業の共同設計。レッドブル・ザルツブルクやFCヴァッカー·インスブルックの本拠地もヴィマーの作品。その時代の支配者達が自国の文化を建築物に残してきたリヴィウ。街を歩いて気づいたのはカフェの数が多い。十七世紀末には、既にカフェハウスがウィーン市内にオープンしておりリヴィウ市民のコーヒー好きはその影響か。メニュ-を開くとアルコ-ルの入ったコーヒーの種類が豊富。これだけ充実しているのは欧州を端から端まで見渡しても、ウィーンとリヴィウしか記憶にない。ウィーンで注文したウォッカ入りのコーヒーは通称ソビエスキー。トルコに包囲され大ピンチのウィーンを救ったポーランド王の名前を拝借している。
リヴィウならばこの話題にふれずにはいられないので建築に話を戻す。一昨年の東京訪問に続き昨年は神戸市の招待で来日したアンドリー·サドビー:Andriy Sadovyi【1968年8月19日生】市長。国内最大の医療拠点をリヴィウ市の計画。設計をプリツカー賞受賞の坂茂:Shigeru Ban【1957年8月5日生】氏が手掛けている。日本人の二年連続受賞が発表され世界から賞賛を浴びたのは2014年3月24日。しかし前月のマルダン革命から世界の視線はウクライナに集中。前月20日のUEFAヨーロッパリーグ(EL)決勝トーナメントは反政権デモと警察の衝突を理由にキエフから中立地キプロスのニコシアでの開催に。同様に国際アイスホッケーリーグKHL第三戦と第四戦はドネツィクからブラティスラヴァのオンドレイ·ネペラ·アリーナへと会場が変更されて行われた。
◇◇◇◇◇

あの日あの時は■2021年10月12日FIFAワールドカップ欧州予選グループD:ウクライナ代表対ボスニア·ヘルツェゴビナ代表
三月から始まったカタール大会に向けての欧州予選。初戦サンドニでの無観客試合はフランス代表と引き分ける上出来のスタート。それがキーウでは格下のフィンランド、カザフスタン相手に続けてドローに終わる手痛い取りこぼし。夏には英雄アンドリュー·シェフチェンコ:Andriy Shevchenko【1976年9月29日生】が契約満了で退任。
オレクサンドル·ペトラコフ:Oleksandr Petrakov【1957年8月6日生】が暫定監督として指揮を執った試合の結果はドロー。フィンランドに抜かれて二位の座=プレーオフ進出の行方は最終戦の結果次第。このボスニア·ヘルツェゴビナとの二連戦の初戦は、試合当日テレビのニュース番組でハイライトシーンだけを見ている。’21年の秋、九月から十月にかけての渡欧取材は忘れ難い旅となった。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

感染症拡大で国内に封じ込められていた時は陸へ上がった河童状態。待ちに待った解禁。欧州各スタジアムのスタンドには既に観客が戻ってきていた。ますはロシアのドモジェドヴォ空港に着陸。パスポートのVISAの頁を開き予防接種の陰性証明書とPCR検査の証明書、この時期の三種の神器を差し出して無事入国。そのままサンクトペテルクへ乗り継ぎ先ずはUEFAチャンピオンズリーグ(CL)。週末のロシア·プレミアリーグの後は、タリンでエストニア代表の試合と矢継ぎ早に取材した。
◇◇◇◇◇

ワルシャワの次をブラティスラヴァにせざるを得ない理由

◇◇◇◇◇

翌朝空路にてヘルシンキ経由ワルシャワ入り。国立競技場でポーランド代表とサンマリノ代表の試合を撮影するが問題はその後、ウクライナとはいえポーランド国境までの距離は八十キロ。ワルシャャワからリヴィウまでは四百キロだから東京·大阪間よりも近く陸路の移動も充分可能。しかしリヴィウでのウクライナ対ボスニア·ヘルツェゴビナ戦は取材の候補から除外するしかない。なぜならば日本を離れて既に二週間。PCR検査の陰性証明書を取得しなければ空港でチェックインできないのだが事前に調べてもリヴィウで検査を受けられる場所の情報が見つからないキリル文字の障壁に。そこでブラティスラヴァへと移動する日程を組む。検査を受けに病院を訪ねるが、麗しい女医に「検査は午前中までなの」とやんわり断られ、ネットの予約サイトもスロヴァキア語のみ。英語翻訳が上手くできずに断念。結局国境を越えてウィーンの空港までバス往復することで取得に成功。オーストリアからスロヴァキアとハンガリーの越境ならば証明書は不要だったので助かった次第。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆