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Yoshitaka Yokozawa

About Yoshitaka Yokozawa

1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。
16 01, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【11】スタディオ・マルカントニオ・ベンテゴディ/ヴェローナ

By | 2018-01-17T04:08:52+00:00 1月 16th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, その他コラム, ひゃくぷら|0 Comments

 2010年W杯南アフリカ大会以降、2012年欧州ポーランド・ウクライナ大会、2014年W杯ブラジル大会、2016年欧州フランス大会と予選敗退の辛酸をなめてきたセルビアが国際舞台に帰ってきた。しかし功労者ムスリン監督が電撃解任。 現在中国スーパーリーグの広州富力で指揮を執る“ピクシー”ドラガンストイコヴィッチ監督も後任候補としてメディアは報じていた。 ◆◆◆◆◆  第十一景は、イタリアのヴェネト州西部ヴェローナ県の県都にあるスタディオ・マルカントニオ・ベンテゴディ。シェイクスピアの戯曲『ヴェローナの二紳士』や『ロミオとジュリエット』の舞台がこの街。 ということで花園ななせさんには、シェイクスピア作品を愛する真面目系文学少女のイメージでキエーボ・ヴェローナVSインテル戦のチケットを持ってもらった。 ◆◆◆◆◆  2015年、ポルタヌオーボ駅前からバスに乗ったが徒歩でも良かったか。ローマ帝政時に造られた円形闘技場円形=コロッセオを彷彿させる曲線のフォルム。照明鉄塔を四コーナーに建てるのではなく屋根の下に投光器設置方式を採用した日産スタジアムを見上げて、「イタリアみたいだ」と思ったのは20年前。 ◆◆◆◆◆  この試合長友佑都の活躍は日本人として喜ばしいことではあるが、筆者が注目したのは、セルビア人対決。インテルの中盤はダイヤモンド型。ズドラヴコ・クズマノヴィッチが左ハーフ。一方キエーボはの中盤はボックス型。守備的ミッドフィルダーはイバン・ラドヴァノヴィッチとアルゼンチン出身のマリア―ノ・イスコを並べている。 you tube 開きます⇒  クズマノヴィッチの父親が職を求めてスイスに移住。ベルンで生まれ育ったがA代表はセルビアを選択した。80年代のユーゴスラビアでは、セルビアが政権を掌握していため工業が盛んで富裕なスロベニアやクロアチアは多額の税金を徴収されることに不満を抱き独立の機運が高まっていた。 1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会。12都市で激戦が繰り広げられたが、ストイコビッチは決勝トーナメント1回戦スペイン戦、35,500人の観衆の前で「これぞ世界レベル」の妙技を決めている。 「ここでキックフェイントかよッ!!」って突っ込んだDFは思ったはず。DF、GKはもちろん、見ている観客でさえ騙されたストイコビッチの見事なキックフェイント。 ◆◆◆◆◆  結局、この後スペインのフリオ・サリナス(元横浜Fマリノス)に決められ試合は延長戦へ。延長戦ではこれまたピクシーの華麗なフリーキックがネットに突き刺さり2-1で勝利。この国際映像が世界に発信された当時妖精が日本で数シーズンに渡りプレーするとは誰も思っていない。 マルカントニオ・ベンテゴディは、ストイコビッチにとって天国だったが数年後、再び彼を迎え入れた時、そこは地獄に変っていた。コソボ紛争以降は、英米がアルバニア人勢力(コソボ独立派)側を支援し、宣伝専門のエージェントがロビー活動を展開した結果、国際メディアにセルビア側に「民族浄化」「強制収容所」即ち負のイメージを植え付けることに成功した。1991-92シーズン、エラス・ヴェローナFCに移籍した際には、対戦相手は言わずもがな、観客、チームメイト、審判と全方向から悪魔のセルビア人として差別の対象に。ユーゴスラビア代表は内戦により国際大会からもはじき出された。 ◆◆◆◆◆  エラス・ヴェローナの黄色いウェアを撮影した写真を昨年掲載している⇒【長靴の国で観た異邦人たち 十の巻 コソボの守護神は斜塔の街に】。ピクシーほどではないにしろ、中盤に足元の技術が高い選手が二人いて誰かと思いきや、背番号2はユヴェントスにレンタルしていたロムロ、そして24番は17歳からインテルで育ったブラジル人、ダニエル・ベッサだった。今季一部復帰を果たしたエラスを牽引するブラジル出身の二人。ミラン相手に四日前の借りを返した12月17日の第17節。ロムロはコーナーキッカーを務め先制点を演出。

9 01, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【10】メルセデス・ベンツ・アレーナ/シュトゥットガルト

By | 2018-01-09T15:16:32+00:00 1月 9th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, その他コラム, ひゃくぷら|0 Comments

 戦後ドイツの経済の発展、工業部門の成長を牽引してきた自動車産業。バイエルン・ミュンヘンのアウディ、ヴォルフスブルグのフォルクスワーゲンなど有名メーカーがクラブチームを支援している。そしてシュツットガルトといえば高級車の代名詞メルツェデス・ベンツ。 ◆◆◆◆◆  バーデン=ヴュルテンベルク州の州都は、この国の南西地域で経済・文化・観光の拠点を担う。市内には、博物館や劇場などの文化施設や救援など歴史的建造物が点在する。お薦めは自動車系博物館とワイン醸造館。南部に位置するこの周辺はドイツでも唯一赤ブドウ栽培が可能な地域。ビールに飽きたら「ヴュルテンベルガーワイン」を味わうべし。 ◆◆◆◆◆  オーバーリーガ(5部)バーデン=ヴュルテンベルクのSGVフライブルク。メルツェス・ベンツ・アリーナのスタンドで「写真撮って」と声かけてきたのはユース世代の面々。未来のブンデスリーガーとの交流となるのかどうか。 第十景は2011年の岡崎慎司在籍以降、酒井高徳、浅野琢磨と日本人選手の活躍を一目見ようと邦人観光客が訪れたであろうシュツットガルトのメルツェス・ベンツ・アリーナ。しかし2012年1月29日ブンデス第19節のアジア対決(AFC圏内対決)に関心を持たれた方がいるとは思えない。 ◆◆◆◆◆  5万3700人の大観衆。1点ビハインドのホームチームは、後半から中盤の底クズマノビッチを下げ岡崎を投入。このシステム変更も奏功せず、残り10分2ゴールを奪われ万事休す。ここで余裕のボルシアMGは終了間際に若手豪州人プレーヤーを送り出した。 マシュー・レッキー。1991年メルボルンに生まれ。 翌シーズンは2部のフランクフルトへ、ワールドカップ・ブラジル大会、ベイラ・リオスタジアムでの銅メダリスト、オランダとの壮絶な撃ち合いで、その才能が世界へと発信された。ドリブルで翻弄されるダレー・ブリント。印象に残ったのは前半ロスタイム。ゴール前キーパーと一対一のシーン。スルーパスに反応したレッキーがブリントの胸を押してファールを取られたが、この強引さが日本人FWに足りないところでは? レッキーからの美しい放物線を描いたロングフィードを豪快にダイレクトで叩きこんだケーヒルのスーパーボレーは今大会屈指のゴールと記憶に残る。 「すっごい奴でてきたな!オーストラリア」 14-15シーズンはインゴルシュタットへ移籍。リーグ戦34試合中32試合に出場7ゴール7アシストで一部昇格に貢献。中断期間に開催された地元開催のアジアカップでは母国を栄冠に導いた。 2015-16シーズン開幕戦。アウェーでマインツを破る開幕白星。3節アウグスブルグ戦は、63分レッキーのゴールが決勝点。8節ホーム初勝利はフランクフルト戦。ちなみに長谷部誠は57分に交代している。8節終了時点で4勝2敗2分。好成績で8位を確保。昇格チームの健闘を誰が予想しただろうか。 ◆◆◆◆◆  2015年10月18日メルツェデス・ベンツアリーナ 10月半ばを過ぎると日照時間も減り、セーフティー・スチュワードのおねえさんも既に冬の装い。ファー付きのダウンジャケットに首回りにはニットのスヌードと防寒準備万端である。スヌードを巻いたゆったりコーデは可愛らしさ2倍増しと感じるのは筆者がオジサンだからかもしれない。 ◆◆◆◆◆  日本人不在のシュツットガルトは15位に低迷していた。プレス控室にもピッチサイドにも日本人の姿は見当たらない。そんな試合で注目の選手を一人あげろといわれれば豪州代表マシュー・レッキーしかいない。ここはオージーにとって忘れられない特別な場所なのだから。

2 01, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【9】ラト・フェルレーフ・スタディオン/ブレダ

By | 2018-01-07T14:20:27+00:00 1月 2nd, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, その他コラム, ひゃくぷら|0 Comments

 東京都美術館で開催されている『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』が間もなく終了する。  写真はラーゲ・ズワールーエ駅で撮影。ロッテルダムからベルギー、フランス方面へと列車で移動する際に通った南ホラント州と北ブラバンド州境界の街。 ゴッホ生誕の町、ズンデルトもブレダから15キロ南に下る。第九景はオランダ北ブラバント州 ブレダのラト・フェルレーフ・スタディオン(RVS)。 ◆◆◆◆◆  ブレダといえば、メントスやフリスクの製造メーカー、ペルフェティ・ファン・メレ社で知られる街の人口は17万人。記憶に新しいところでは昨年なでしこジャパンが遠征してオランダ代表に惜敗している。1996年に完成したスクエアの外壁は二色の煉瓦で覆われ、いかにもオランダの蹴球場。 ◆◆◆◆◆  2014年10月8日の訪問時宿泊したプレミア クラッセ ブレダ。駅近辺に安宿が見つからず、中央駅から5キロ程の距離にあるホテルでダブルサイズベッドを2泊予約しておいた。鬼のかく乱、体調を崩し、36時間トイレと自動販売機で飲み物を買う以外、ベッドから動かず静養したおかげで10月10日にはアムステルダムへ無事移動、オランダ代表の試合を観戦できた。この施設の二色に色分けされた煉瓦壁面とRVSの記憶が重なる。 【欧州蹴球文化探訪 第二十二の巻 ルイス・スアレスの凄さ】で2008年12月のアヤックス-NACブレダ戦にふれている。写真はアムステル・ビール缶に当日のマッチデープログラムの表紙はスレイマニ。 ◆◆◆◆◆  RVSの30年に及ぶ歴史の中で最大のビッグマッチは翌シーズンのUEFAヨーロッパリーグ・プレーオフ。08-09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは準々決勝でアーセナルに敗れたがベスト8入りしているヴァレンシアの名門との対戦。(結果は1-3でヴィジャレアルの勝利) アイキャッチ画像の花園ななせさん。向かって右頁がビジャレアル戦のマッチデープログラム。ちなみに左は予選三回戦 のポロニアワルシャワとの試合。 ◆◆◆◆◆  昨季、入れ替え戦(プレーオフ)を勝ち抜き一シーズンで一部に復帰したが17位と低迷中のNACブレダ。 それでもフットボール人気は高く今季19000人収容のRVSは18000人を越える。唯一届かなかった平日(金曜)開催の第二節でも17900人。 【ハイライト動画6分13秒】  ラト・フェルレーフの悲劇とでも呼ぶべきか。昨年11月18日ブレダはアヤックスに0-8と18,000人のファンに顔向けできない大敗を喫した。(この日の入場者数は18.969。アヤクシートはおそらく1000人弱。ファン・デ・ベークはハットトリック達成。 RVSでのアヤックスのハットトリックと云えば2014年9月27日。シグトルソンが決めた試合のスコアは5-2。

26 12, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【8】グリフィン・パーク/ロンドン

By | 2017-12-28T13:28:10+00:00 12月 26th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

 ロンドン西部フラム出身の俳優ダニエル・ラドクリフが7月に28歳誕生日を迎えた。スクリーンのハリーの活躍に心を躍らせ「ホグワーツ魔法魔術学校のグリフィンドールに入寮したい」と夢見た世界中の子供達も皆成人している。花園ななせくんもその一人。取りあえずハリー・・・と云うより『キル・ユア・ダーリン』を意識して眼鏡をかけてもらった。 ◆◆◆◆◆  今春のロンドン滞在時グリフィンドールには行っていないが、グリフィンオールの実物は見て来た。ロンドンのチズウィックにあるGriffin Brewery=グリフィン醸造所。その起源は17世紀。ジョン・バード・フラーとヘンリー・スミス、ジョン・ターナーが受け継いだ「フラーズ社」の創業は1845年。同社のロゴは金色のグリフィン。上半身がワシで下半身がライオンという伝説の生き物はシティオブロンドンの紋章でも有名だ。 ◆◆◆◆◆  第八景は ロンドン西部、ブレントフォードFCの本拠地グリフィンパーク。1904年9月1日にオープン。名前の由来となったのはスタジアムの目の前にある醸造所直営のパブ。ここがドレッシングルームとして使われていたのも遥か昔。今は本場のフットボール狂達でにぎわっていた。フィールドに入るとピッチコンディションは上々。専門家を招いての管理される芝は二部レベルではなかなかお目にかかれない上物。 11月14日ワールドカップ予選欧州プレーオフの壮絶な幕切れ。アウェーをスコアレスドローで乗り切り、ホームでは開始6分に先制ゴール、アイルランド国民が熱狂しデンマークサポーターが落胆。しかし終了のホイッスルが鳴るとスコアボードは1-5の表記。クリスティアン・エリクセンがハットトリック達成の千両役者ぶり。 ◆◆◆◆◆  センターバックのアンドレアス・ビェランは予選6試合にフル出場、予選突破に貢献した。 2017年5月7日チャンピオンシップ最終節。グリフィンパークには多くのブラックヴァーンサポーターも駆けつけ12000人と大盛況。 3日後にモンテネグロとの公式戦を控えている為、出場は見送らるかと半ばあきらめていた最終節、一年間の声援に感謝し残り25分、背番号5がピッチに登場した。 ◆◆◆◆◆  この日のスタメンには、もう一人のデンマーク人、ラッセ・ヴィベが1トップを務め、1ゴールを記録した。負傷で出場機会はなかったが、昨年のキリンカップにも来日していたはず。 U-20デンマーク代表の黒人ストライカー、ジャスティン・シャイブも含め、デンマーク勢が増える傾向は、オーナーがデンマークの強豪ミッティランを所有していることが影響しているのかもしれない。 かつて茅場町には山一証券の本社ビルがあった。戦後最大の証券会社が廃業して既に20年が経過する。数学理論をフットボール界に持ち込み、プロギャンブラーとして巨額の富を手に入れたスマートオッズ社のマシュー・ベナム。1989年名門オックスフォード大学を卒業した彼が、就職したのは山一證券のロンドン現地法人、ヤマイチインターナショナルだった。当時から先見の明に優れていたのかもしれない。 2006年にはコミュニティ組織のビーズ・ユナイテッド(BU)がクラブを買収。ビーズ=蜂のマスコットはかなり微妙な気もするが地域の子供達には意外にも人気がある様子。 ◆◆◆◆◆  この年FAのコミュニティ・クラブ・オブ・ザ・イヤー翌2007年にはサッカーリーグベストクラブスポンサーシップを受賞。新たなクラブ運営システム、画期的なコミュニティ・モデルとして注目された。元オーナーのロン・ノアデスとバークレイズ銀行への負債を無利息で補填したのがベナムである。 ブレントフォードFCは1989年創立、ロンドン西部と聞けば高級住宅街を想像されるだろうが、テムズ川を南側に越えると、そこは工場だらけの労働者階級層のエリア。 現在のブレントフォードFCは、サポ―ター組織のBU、コミュニティスポーツトラスト、地元の商工会議所(Brentford Chamber of Commerce)の三本の柱によって支えられている。慈善団体のコミュニティスポーツトラストは年間、6,000件以上の指導、教育、メンタリングセッションを実施し学習、健康、およびフィットネスの機会を地域住民に提供している。

19 12, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【7】グルデンスポーレン・スタディオン/コルトレイク

By | 2017-12-21T22:03:32+00:00 12月 19th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, その他コラム, ひゃくぷら|0 Comments

 ななさせんがポテトでVサイン。フライドポテトは日本のファスト・フード店で気軽に注文しているがフリッツの本場ベルギーの各都市でも食した。 第一景、フランスのリールで食べたフリッツも美味かった気がする。気がするというのも、この日朝から慌ただしく口にしたのはカフェオレだけだったから。リール・フランダース駅から地下鉄で移動しスタジアムに到着。周りを散策するが飲食店らしきものが見当たらず。トゥルネー通り側(北側)にファスト・フード店Friterie Sensasの移動スタンドを発見し味わいながらフリッツの歴史を思い出す。16世紀スペイン・ハプスブルグ時代、南米からフランドルに持ち込まれたジャガイモを最初に揚げて食べたのは、17世紀ワロン人らしい。 ◆◆◆◆◆  リールのトゥルネー通りとは少々紛らわしい。トゥルネーはリールと国境を挟んで位置するワロン地域の都市。欧州連合(EU)の前身「ヨーロッパ経済共同体」の発足当時、フランスとベルギー、それにドイツ、イタリア、オランダ、ルクセンブルグが加わり僅か6カ国。EUが国境を超えての事業がやり易くなるように、地域協力グループに法人格を与える制度EGTCを設けている。  初のEGTC誕生は2008年1月28日。ユーロメトロポール・リール・コルトレイク・トゥルネー(ELKT)とその名前はおそろしく長い。 ここでもメトロポールの6文字。英語ならばメトロポリス、日本語表記ならば大都市圏共同体。1968年にリールメトロポールが創設され現在85自治体で構成されている。リールメトロポールは90年代からベルギー側4つの自治体連合と連携しており、リール大都市圏を包括するフレームが構築されるための下地は整っていた。フランスのリール市、ベルギーのコルトレイク市とトゥルネー市が形成するトライアングル周辺には現在147の自治体に、人口約210万人が暮らしており、今やEU最大規模の越境大都市圏なのである。 ◆◆◆◆◆  前置きが長くなったが、リールから85キロ東に国境を越えたコルトレイクが第七景。  2015年10月29日強豪アンデルレヒトを迎えてホームゲーム、プレス席最終列に腰を降ろす。コルトレイクで気になったのは最終ライン、右サイドのサミュエル ジゴ、中央2枚はブノワ・プランとルクセンブルグ代表のマクシム・シャノもナンシーの出身。4バックの三人がフランス人。負傷でベンチに退いたプランに代わり後半から出場したファビアン・ボワエ。中盤のエロアン・ロランも含めると登録されたメンバーの中で最も多いのが仏国籍だった。 写真はキックオフ前。白地に赤の十字がイングランド国旗にしか見えない。 ◆◆◆◆◆  ネーデルランド=オランダの南部フランドルは11世紀当時、イングランドから輸入した羊毛で繊細産業が発達するなど両国の関係は深い。現在のコルトレイクはリネン(亜麻)産業で知られる。14世紀初頭フランスの侵攻時、イングランドと同盟を結び対抗するも力及ばす。1300年、フランドルはフランスに併合された。しかしフランドルの都市同盟は圧政に対して武器を手に立ち上がる。1302年の7月11日、欧州戦史に名を残すコルトレイクでの「黄金の拍車の戦い」。フランス国王軍をフランドル庶民軍が撃退し独立を勝ち取る。騎士団=個の力を上回る相手に組織戦術とホームアドバンテージを活かした歴史的ジャイアントキリング。 ◆◆◆◆◆  11月14日、日本代表がベルギー代表と対戦したクラブ・ブルージュの本拠地名は「黄金の拍車の戦い」におけるフランドル庶民軍を指揮した英雄ヤン・ブレイデルに由来している。  グルデンスポーレン・スタディオンを訪れてから丸二年。10月28日のKRCゲンク戦のスタッツを眺めた。FWは9番テディ・シュバリエ、43番とえらく重い背番号をつけたジェレミー・ペルベの名前が記されているではないか。ビジャレアル時代にはリーガで二桁得点。15-16シーズンにはジュピラープロで自身二度目の得点王に輝き、記憶に新しいところでは昨季UEFAヨーロッパリーグ、ペルベの2戦連続ゴールでトッテナム・ホットスパーを下した。クラブ・ブルージュに移籍した今シーズン、レンタルされてコルトレイクでプレーをしていたとは。このフランス人ツートップに加え、マルセイユ・ユース出身のラリー・アズニ、最終ラインにはリュカ・ルジョーと、顔ぶれは変わってもフランス人がベルギー人を上回っていたKVコルトレイク。  1667年フランスが侵攻、フランドルの都市シャルルロワ、リールが包囲され、陥落したリールやコルトレイクなど12都市がフランスに奪われる。18世紀後半ナポレオン没落後、オランダがフランスから独立。ベルギーもフランスの影響下から分離させる目的で、オランダに併合されてしまう。しかし1830年ベルギーにおいてワロン人が決起。オランダから独立を宣言。政権鎮圧に動くオランダ軍、その際ベルギーを軍事支援したのはフランスだった。

12 12, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【6】 シュタディオン・アントナ・マラティンスケーホ/トルナヴァ 

By | 2017-12-23T20:33:05+00:00 12月 12th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

本日、本年最後の欧州巡回から帰国。あちらはクリスマス・カラーに染まり厚手のコートや防寒着を羽織らなければ外出できない季節の到来。新バナーも、暖かそうな、花園ななせさんの写真に衣替えした。 ◆◆◆◆◆  第六景は、スロバキアのトルナヴァの蹴球場。日本のサッカーファンは誰も知らないだろうしメディアも取り上げたことがないだろうと思いきや、一昨年湘南ベルマーレがトルコで対戦していたスパルタク・トルナヴァ。下写真は駅売店で購入した新聞とズラティー・バジャント(黄金の雉)のロング缶。この銘柄もハイネケン傘下にあり、近隣国でも度々見かける。紙面にはフォルタナリーグ(スロバキア一部)18節アウェー、ニトラ戦に0-1勝利の詳細。 続く12月9日19節もタトラン・プレソフをホームで撃退(1-0)。2017-18シーズンは、2位のMSKジリナに9ポイントの差をつけて首位を独走しているのだから紙面の扱いも大きくて当然。 ◆◆◆◆◆ そのホームスタジアムは名前のインパクトだけなら欧州トップクラス、シュタディオーン・アントナ・マラティンスケーホ。Malatinskéhoは、マ●チンと発音したほうが正しいのだろうが、モデルさんから苦情が出そうなので英語読みのティンと表記する。 湘南と対戦した数カ月後、2014-15シーズン。ジリナでスパルタク・トルナヴァを見て、こんな写真をUPしている ⇒エネルギー問題とフットボールの方程式  プレス席からフィールドまでの距離が極端に短い。こじんまりとしたスタジアムの魅力が伝わるだろうか。記念にチケットも購入。ななせさんが持っている写真では文字が小さくて判り難いが価格は3ユーロと印字されている。 ◆◆◆◆◆  その後、ブラチスラバへ移動する途中、トルナヴァに立ち寄る。1977年、ローマ教皇がスロバキア大司教区としてハンガリーから独立したこの街には多くの教会、聖堂を見掛けるが地味な趣。政府出資のスタンド改修工事も大詰め、眺めたスタンドは間もなく完成し、2015年8月22日 リニューアル・オープン。 それから一年後、極上のドラマを自宅のPCで目の当たりにする。日本と韓国同様、欧州でも歴史的因縁も深い隣国同士の対決は、異常な盛り上がりをみせる。 ◆◆◆◆◆  日本では子供達が待ちに待った夏休みを迎える頃。欧州では猛暑のなかでの過酷なシーズンの幕開け迎えていた。 UEFAヨーロッパリーグの予選は2回戦まで終了。2016年7月28日の三回戦:1stレグが行われた会場は、1995年アヤックスが欧州の頂点に立った舞台エルンスト・ヘッペル。下写真は先週行ってきたばかり撮りたてほやほやのワンショット。 ◆◆◆◆◆  ハッペルに乗り込んだスパルタク・トルナヴァ。あらためてトルナヴァを説明するとスロバキアでは7番目の人口、その数なんと6万8千人。 170万人を越えるオーストリアの首都クラブとの距離は僅か130キロである。東京から甲府あたりか? この試合は0-1。サッカーでは度々起こるジャイアントキリング。計21本放たれたホームチームのシュートはネットを一度も揺らさなし。対して僅か四本、それも枠内に二本だけのスパルタクのシュートが50%の確率で決まった。後半キックオフ直後に決まったこの虎の子を守るため、トルナヴァは後半だけでも七枚のイエローカードを貰う、荒っぽくも決死の守りでギリギリ凌ぐ。5万人収容のスタジアムに当日僅か6800人程度の観客。その中でかなりの割合を占めたトルナヴァ・サポーターの熱狂と歓喜が目に浮かぶ。

5 12, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【5】ヨージェフ・ボジク・スタディオン/ブダペスト

By | 2017-12-23T20:35:02+00:00 12月 5th, 2017|Categories: Soccerlture League|0 Comments

 前々回、東京五輪代表のドイツ(デュイスブルグ)遠征にふれた。1964年ブラウン管の映像は見れなくても、母親の腹の中で国立競技場の歓声に耳を傾けていたような気もする。 当時の男子サッカー競技はプロ選手が参加できないレギュレーション。ベストメンバーで挑める東欧勢が有利で金メダルを持ち帰ったのはハンガリー、続く68年のメキシコ大会と連覇を果たしている。64年の欧州選手権スペイン大会、開催国スペインが準決勝でハンガリー、決勝でマルセリーノの決勝点で前回覇者のソ連を退け、欧州を制した。ハンガリーは2回戦で東ドイツ、準々決勝ではフランスを破っており、会場がサンティアゴ・ベルナベウでなければ異なる結果になっていたはず。イグナシオ・ソコとアマンシオ・アマンシオ、ユヴェントスに移籍していたルイス・デル・ソルも62年まではレアルに所属していた元白い巨人。 ◆◆◆◆◆  この年のUEFAチャンピオンズカップ(現リーグ)決勝はインテルとレアルが対戦。ルイス・スアレスがユーロと併せ二冠達成、初のバロンドールを獲得したことでカタルーニャのバルセロニスタ達は溜飲を下げた。  翌64-65大会、連覇を達成したインテルと相対したベンフィカは、ハンガリー王者ジェーリETO FCを破っての決勝進出。クラブレベルでも欧州では強豪国と認知されていた半世紀前のハンガリー。 ◆◆◆◆◆  ななせさんが持っているのは2014年3月22日ブダペスト・ホンヴェドFC―カポシュヴァール・ラーコーチFC戦のプログラム。表紙は集合写真とボジク・ヨージェフ、そしてフェレンツ・プスカシュ、レジェンド二人のモノクロ写真。今回取り上げる蹴球場は、そのボジク・ヨージェフの名を冠するブダペスト・ホンヴェドFCのホームスタジアム。  FIFAが毎年ベストゴールを決めた選手にプスカシュ賞を贈っているが、このスタジアムの敷地に面した500メートル程度の通り名もフェレンツ・プスカシュの名を冠する。 ◆◆◆◆◆  上の写真は、プスカシュ通りのスタジアム入口。次節ハラダス戦(2016年10月撮影)の告知がなされている。2014年に閉鎖されてはいるが、ハンガリー版国立競技場のプスカシュ・スタジアムも今後改修される予定。先日、大使館から招待されたコンサートのスピーチで教育文化副大臣は、「日本の皆さまもよくご存じのリストやコダーイ・・・」とハンガリー音楽界偉人の名前をあげた。19世紀なら小学校の音楽室に肖像画が飾られていたリストだろうが、現代のフェレンツと云えば、プスカシュの名前が世界で最も知られているのではないか。現代といっても2006年既にブダペストで他界しており、その日は筆者の誕生日だったので記憶に残っている。ちなみにブダペスト国際空港は別名フェレンツ・リスト・エアポート。空港から市内に入るのにリムジンバスからケーバーニャ・キシュペシュト駅で地下鉄3号線に乗り換える。市南部に位置したホンヴェドの本拠地キシュペシュト。プスカシュもこの街で生まれ育った。 ◆◆◆◆◆  ライバルのフェロンツバロシュやMTKのスタジアムが立て替えられるのを横目に、1939年に完成したスタディオンが改修を重ね今日に至る。  本年4月15日パクシュSE戦の告知。ホンヴェドは昨季大混戦を制し24年ぶりの国内王者に。ターニングポイントは、このフェロンツバロシュ戦と振り返る⇒。冒頭の写真はメインスタンド。1万人に満たない収容人員ではあるが、強敵を迎えての重要な一戦とあって空席は見当たらず熱気がピッチまで伝わる。 そして5月にブダペストに戻ると猛暑・・・⇒ ◆◆◆◆◆  U17ワールドカップが幕を閉じ、FC東京は久保建英選手のプロ契約を発表した。昨季からJ3にFC東京、ガンバ、セレッソのU23三チームが参戦しており育成面での成果は合格点。バルセロナの外国人選手獲得違反による制裁=公式戦出場停止処分で帰国した久保も参戦。18歳海外移籍解禁までは国内でのプレーでJリーグを盛り上がるのは火を見るよりも明らかなのだが・・・  5月14日夏の陽射しを浴びながらブダペストで久保建英のことを考えていた。ボジク・ヨージェフ・スタディオンのサブグラウンドで女子一部リーグを撮影。その華奢な肢体はフットボールより、バレエでも踊ったほうが似合うだろうし厳しい表情にもあどけなさが残る。右膝のテーピングは赤く痛々しさが増長する。彼女の名前はBUCHMÜLLER ADRIENN ÉVA ブチミラー・アドリエヌ・エヴァ。2000年11月20日生まれなので久保よりも半年早い。女子の場合、なでしこ二部で14歳の中学生がプレーしているのだから彼女の若さにも驚きはしない。

28 11, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【4】アレーナ・ガリバルディ – スタディオ・ロメオ・アンコネターニ/ピサ

By | 2017-12-12T21:00:09+00:00 11月 28th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

 前回、昨秋(10月)と今春(4月)のブダペスト訪問にふれている。二回ともブダペストからフィレンツェに移動するスケジュール。その場合のルート選択は、リスト・フェレンツ空港からピサのガリレオ・ガリレイ空港。その後ピサ中央駅から列車でフィレンツェのサンタマリア・ノベイラ行きに。ピサ国際空港の別称は、科学者であり天文学者であり哲学者であり数学者でもあった偉人の名前を冠している。 大聖堂では揺れるシャンデリアから「振り子の等時性」を、斜塔から球を落として「物体の落下速度は 重量に関係なく一定である」と証明したかどうか定かではないが、ガリレオはピサで生まれ育ったのは間違いない。  ガリレオ空港に降り立つとまず目に飛び込んでくるのはU-BORTの巨大な広告看板。イタロ・フォンタナのブランド腕時計はドイツ軍潜水艦を意味する。 フォンタナの本社はルッカにある。ピサ共和国同様城壁に囲まれた都市国家は、メディチ家との戦闘に負け領有される各国を尻目に自治を守り抜いた。城壁は現在もほぼ完全に残されており、距離にして約30キロ、ピサ中央駅から30分でたどり着く。 ◆◆◆◆◆  第二次大戦中イタリア空軍とドイツ海軍のために設計された幻の戦闘用時計を再現したU-BORTは、視認性や耐久性、防水性能に優れ、高い精度が売り。  「・・・ドゥンガだろ」。一人のフットボーラーの姿が脳裏を過る。ドゥンガが似合いそうとかではなく時計がドゥンガそのもの。昨年までブラジル代表監督を務めた彼の現役時代、視野が広く、精度の高いロングフィードで攻撃を司る一方、絶妙のポジショニングで中盤の防波堤を務め、味方にも怒号を浴びせる鬼軍曹。  ブラジル国民からはつまらないと批判され、シュツットガルトサポーターには絶賛されたプレースタイルからドイツ系移民の血がクローズアップされるが、彼の本名は、ヴェリ。 父親エデルセウ・ヴェリもプロ選手。ミラノで同名のメンズファッションブランドを見掛けたが、彼の故郷リオグランデ・ド・スール州ポルトアレグレは、ドイツ、日本、そしてイタリア系移民が多い港湾都市。そして欧州で最初にプレーしたのが、かつて北ティレニア海に君臨した海運国家、ドゥオーモ広場がユネスコの世界文化遺産に登録されその年だった。  ドイツ人よりドイツらしいプレーをするブラジル人も実はブンデスリーガ、来日する前の2シーズンだけ。盟友・ライバルのジョルジーニョ(元鹿島)はリオ出身だがレバークーゼンとバイエルンで6シーズンを過ごしているのに対してドゥンガはイタリアでの5シーズン、技術とキャリアを磨き共に95年のJリーグ入り。 ◆◆◆◆◆  第五景はピサのアレーナ・ガリバルディ - スタディオ・ロメオ・アンコネターニ。ななせさんが首から下げたプレスカードはACピサ1909-エラス・ベローナ戦。1993年に財政破綻。昨季僅1シーズンで二部から三部に降格したクラブのホームは、幸いと云うべきか、ドゥンガがプレーした当時の面影が色濃く残されていた。2017年5月9日ロンドンからブダペストに移動。数日後ブダペスト市のタバコ屋でイタリアより遅れて発売されるガゼッタを購入する。ユヴェントスのUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出が紙面を大きく割く、片隅で同日セリエB(イタリア2部)でジェンナーロ・ガットゥーゾ監督率いるピサの3部リーグ降格が決定した記事を目にした。 ◆◆◆◆◆  ファイルのコピーはアンコネターニでのデビュー戦となった1987年9月13日のACミラン戦。ドゥンガを挟んでいるのはファンバステンとアンチェロッティ。 二部から昇格したクラブは開幕から4連敗の洗礼を浴びる。それでも5節コモ戦でホームドロー、6節アウェーのエンポリ戦で片目が開く。 そして遂にその日がやってきた。11月1日相手は同じく黒と青の縦縞前年3位のインテル・ミラノ。率いるは名将とトラパットーニ。開始7分に先制したホームチームは、後半15分ドゥンガの右足が火を噴く。イタリア代表ワルテル・ゼンガは一歩も動けす。豪快なミドルがネットを揺らしインテルを突き放す。4分後にゴールを奪われるが1点差を守りきってビッククラブから価値ある初勝利。  写真には星条旗とローズボウルの文字。試合も催しも無くローズボウルスタジアムを眺める為に列車でロサンゼルスからパサデナへ。 1994年7月17日、9万4000人を越える観客と世界中のフットボールファンがTVの画面に釘付になったFIFAワールドカップ米国大会決勝。それはドゥンガとロベルト・バッジョ、筆者が愛して止まない二人の長い物語のクライマックスと同時にエピローグだった。

21 11, 2017

ぷら~り 欧州蹴球場百景【3】MSVアレーナ/デュイスブルグ

By | 2017-11-22T02:22:01+00:00 11月 21st, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, ブンデスリーガコラム|Tags: |0 Comments

 前々回(一景)はエル・ガジのパフォーマンスに涙したリールのピエール・スタッド・モロウ。そのエル・ガジを冬の移籍市場で放出しても昨季UEFAヨーロッパリーグで銀メダル獲得、手腕を買われピーター・ボス監督は、ボルシア・ドルトムントへ。 ななせさんが握っているのは今夏の浦和レッズと対戦する為来日した際、羽田空港で配分された来日歓迎うちわ。「可愛いですね」と言われるまで、ハート型の形状に気づかなかった。女の子はカワイイに敏感だがおじさんは疎いと自覚する。 ◆◆◆◆◆  そういえば前回取り上げた2015年5月30日のDFBポカール決勝戦。緑のハートの中にマランダの背番号「19」が白抜きされたデザインの追悼ロゴ。このユニフォームがヴォルフスブルグを戴冠へと導いた。 浦和レッズからヴォルフスブルグに長谷部誠が移籍した2008-09シーズン。アウェーの開幕戦は後半からの途中出場で独デビュー。ホームでの第二節は先発フル出場。2-1の逆転勝利に貢献した。 但し・・・・対戦相手はMSV Duisburg? 胸のエンブレムがシマウマ?(ライオンとかマスコットのチームに勝てないだろ?)・・・何処の州にあるのかさえ知らなかったのが九年前。  ノルドライン・ヴェストフォーレン州の北部、俗に言うルール地域でドルトムントの人口が最も多く58万人、エッセンもほぼ同規模、少し劣るデュイスブルグも50万都市。欧州でも屈指の人口密集地域となる。ドルトムントで58万人なら、足立区や江戸川区と同規模、うっし~人気で知られるようになったシャルケ04のホーム、ゲルゼンキルヒェンは墨田区とほぼ同数・・・東京下町在住者にしか伝わらなくてよい。 2010年の欧州文化首都に選ばれるとルール地域ではかつての工場を文化施設として再生するプロジェクトが始動する。それ以前にも、2002年ルール・トリエンナーレ(芸術祭)がデュイスブルグ、ボーフムやエッセンを中心に開催されていたが、ドルトムントは盛り上がりに欠けていた気がする。 ◆◆◆◆◆  デュイスブルグ市北部のマイデリッヒ地区とハムボルン地区の間にあるテュッセン製鉄所は、廃業後自然とイルミネーション・アートがを楽しめるテーマパークに様変わりした。このLandschaftspark(ランドシャフトパーク)は今やケルン大聖堂と並び、ノルトライン・ヴェストファーレン州を代表する観光の目玉である。街の象徴は1993年に完成したファウンテン・ライフセイバー(上写真)。スイスの巨匠ティンゲリー作、黒い立体に、ニキ・ド・サンファールの色鮮やかな作品が乗った夫婦合作。それにしてもファッション・モデル時代のサンファールは美しい。ななせさんが持っているコピーは1949年LIFE誌の表紙撮影時、当時19歳。 ◆◆◆◆◆  写真は中央駅北西部にある旧市庁舎と教会。欧州の都市で旧市街があれば取りあえず立ち寄るべき。一方南部にあるのが現在の庁舎。その北側200ヘクタールの広大な運動公園。名称はSportSchule・Wedau。初代チェアマンの川淵三郎氏が現役時代、東京五輪前の代表合宿で同市を訪問した際、驚かされた施設環境は今も健在。1977年10月22日。この街の旧スタジアムで行われた1FCケルン戦。奥寺康彦氏が日本人として初めて歴史に足跡を刻んだウェダウ・シュタディオンは、2003年からの大規模な改築でMSVアレーナとして生まれ変わったのが2005年。 ◆◆◆◆◆  今季ブンデス二部へ昇格したMSV。2013年の財政破綻で三部に沈んでいた為、日本人ブンデスリーガ―時代到来にも関わらず、このスタジアムのピッチを踏んだ日本人選手は数少ない。2012-13シーズン、ボーフム在籍時の田坂祐介(現川崎フロンターレ)ぐらいではないだろうか。2012年9月23日第6節、この日田坂は右サイドハーフのスタメン。60分途中交代している。  石原 卓が1.FCザールブリュッケン在籍の2014年3月MSV戦に途中出場しているがホームゲーム。 本年9月29日 MSVアレーナ、ウニオン・ベルリンを迎えての第12節。残念ながら負傷欠場で内田人は遠征メンバーに含まれておらず。ザンクト・パウリ所属の宮市亮右ひざ前十字じん帯を断裂、となると次にこのピッチを踏むのはフォルタナ・デリュセルドルフの宇佐美あたりが有力。インゴルシュタットの関根貴大や渡辺凌磨にもチャンスはあるはず。渡辺凌磨について二年前⇒に書いているだけに期待も膨らむ。 ◆◆◆◆◆

14 11, 2017

ぷら~リ 欧州蹴球場百景【2】シュタディオン・ウィーナー・ノイシュタット

By | 2017-11-15T02:48:58+00:00 11月 14th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

欧州四大リーグと聞かれて英・西・独・伊の国名は、サッカーファンならば誰でも即答できるはず。しかし欧州四大ビールと言われて、答えられるビール通のサッカーファンは、意外に少ないかもしれない。ミュンヒナー、ドルトムンダーは、2012-13シーズン欧州の頂点を賭けた両雄の街で醸造されたビール。そしてチェコのピルスナー、オーストリアのウィナーが四天王。ピルスナー発祥のピルゼン、かたや褐色のウィナーラガーは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフから騎士十字章が授与された逸品。 ◆◆◆◆◆ ななせさんが持っている『ゲッサー』は日本でも手軽に手に入るウィナー・ピルスナーの代表格。第二景はウィーンから南に60キロ程下ったウィーナー・ノイシュタット(WN)シュタディオン。その名の通り「ウィーンの新しい街」は第二次大戦時の甚大な爆撃被害からの復興を余儀なくされた。 ◆◆◆◆◆ この連載では蹴球場百景と看板を掲げるからには、毎回一枚はスタジアムの写真を必ずUPする。今回上の写真はかなり気に入っている。ビールのCMにも見えなくもないが。 2015年2月14日、このスタジアムで南野拓実が同国デビューしている。ポジションは左ハーフ。7700人収容のスタジアムに観衆は2100人程度。一方この時点で最下位から浮上することなく降格してしまったWNは、当時ラピド・ウィーン出身のクロアチア人を左ハーフに据えていた。。 2017年11月5日 第14節ウィーンのエルンスト・ハッペルスタディオン アウストリア・ウィーン対SVマッタースブルク。1-1で迎えた後半30分過ぎ、奥川雅也がピッチに投入される。その3分後、右サイド奥川にボールが入ると柔軟なドリブルムーブでマーカーを翻弄、ペナルティエリア内に侵入し左足を振り抜くと、ファーサイドのネットを揺らして見事な勝ち越しゴールが生まれる。その後フリーキックで1点を追加したマッタースブルグがアウェーで掴んだ金星。今季2部のリーフェリングからレンタルされている奥川にとっては記念すべき一部リーグでの初ゴール。翌日は日本国内のメディアも奥川の話題で賑わうかと思いきや、取り上げたのは日経、時事通信とフットボールチャンネル、ゲキサカの四媒体。こんなものかと思ったがオーストリア・ブンデスリーガの注目度からすれば上出来。5万収容のハッペルのシートは一割程度しか埋まっておらず・・・そんなものだ。 第6節アルタッハ戦の動画。前半31分と早い時間帯で投入された奥川。 この試合でアウストリア戦とほぼ同じ位置からシュートを放っているが枠を捉えることができなかった。それでも斬れのあるドリブルは攻撃のアクセントになっているので、観ていただいて損はない。 この動画で29番奥川以外に視覚えのある顔が序盤の円陣に登場した。27番のフロリアン・ジッザム 2016年5月10日エアステリーガ第33節 ウィーン滞在中、WNシュタディオンにリーフェリングがやってくる。南野のデビュー戦は見れなかったが、奥川雅也を見る機会が転がり込んだ幸運。 地下鉄6号線からウィーン・マイドリング駅で乗り換えると30分でWN中央駅に。但しそこからが不安なのでタクシーを利用。帰りの徒歩、ルートを覚えたつもりで挑んだが撃沈、結局1時間以上は歩く羽目に。ウィーン市内の宿に着く頃には日付は変わっていたが、無事辿り着けたので問題なし。下の写真はWN中央駅出発時にシャッターをきった。 ◆◆◆◆◆ 奥川は後半からの出場。ポジションを右から左にかえ、低い位置に下がってボールに触れる回数は幾分増えたが正直この日は見せ場なし。 アルタッハ戦では中盤の左でプレーしているジッザムだが、この日は最終ラインで無失点に貢献。その一ヶ月後の親善試合、ブルガリアU21戦に招集されたジッザムは、1994年12月生まれで奥川より二歳年長。 背番号18がジッザム。奥川は9番。一年前約500人の観客の前で対峙した二人が一部で同僚に。更に上(A代表)を目指すのであれば、マッタースブルグに長く留まるわけにはいかない。 ◆◆◆◆◆ 冒頭で述べたとおり、この新しい街で1952年春スタジアム建設の工事が始まった。80年代に照明が整備されメインスタンドに屋根が設けられた。 スポンサー(パートナー)企業にはプンティガマーが名を連ねる。2003年にオランダのハイネケングループに引き継がれたグラーツ発祥のビール・ブランド。ジッサムはシュタム・グラーツの下部(U18)出身。5歳年下の弟フィリップはグラーツの現在セカンドチーム(四部)でプレーしている。 奥川、ジッザムの他にもう一人、アルタッハの動画には注目すべき人物が映し出されていた。南野と対戦したクロアチア人、クリスティアン・ドブラスがWN時代と同じ30を背負い左サイドでプレーしている。昨季はWMからシュタム グラーツ、今季はアルタッハへ。 ◆◆◆◆◆ アルタッハは本年8月3日UEFAヨーロッパリーグ(EL)予選3回戦で久保裕也所属のヘントを退けている。第2戦80分にピッチへ送り出された久保の目の前でダメ押しゴールを決めたのがドブラスだった。 二部降格後も一昨季は7位、昨季は更に順位を下げてしまったWN。しかし今季は17節終了現在首位と同勝ち点の2位。 隣国ドイツ同様外国人枠は撤廃、但し自国選手の登録数12名が義務づけられるオーストリア。そしてTV放映権の分配金の査定評価に自国の若手選手の起用実績が含まれるシステム。これからもジッザムやドブラスと同じルートを辿るように、音楽とビールの国で芽吹いた若き才能達が経由するであろうこの街の人口はエルンスト・ハッペルの収容人員よりも少ない。【ニ景了】 文/撮影:横澤悦孝 モデル:花園ななせ

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