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Yoshitaka Yokozawa

About Yoshitaka Yokozawa

1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。
21 10, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【64】ブレンビー・スタディオン / ブレンビュベスター

By | 2018-10-21T17:51:04+00:00 10月 21st, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

テリア・パルケン【第二十三景】にて、空港が東端、つまりスウェーデンとの国境付近に位置する為、行き先を間違えると橋を渡って国境を越えてしまうと書いた。 海峡=国境を眺めると、20代の頃に見た映画『ペレ』を思い出す。“ペレ“とはFIFAワールドカップの優勝トロフィーを三度手にしたキング・・・ではなくスウェーデンからデンマークに移住した主人公の少年だ。少々脚色されてはいるが、原作者の自叙伝でもある。 ◆◆◆◆◆◆ カンヌでパルムドールを受賞したし、ゴールデングローブでは外国映画賞にも選ばれた。監督はビレ・アウグスト。筆者お気に入りの名監督であり、三年前にはこんなの↓を書いた。 http://soccerlture.com/synario_in_lisbon/2/ ビレ・アウグストがメガホンをとった『リスボンに誘われて』が日本でDVD発売・レンタルされてまだ間もない頃だったのか。 『ペレ』の舞台は19世紀のボーンホルム島。ペレ少年と父親が島の港に着き物語は幕を開ける。デンマークの豪華な食事を想像していたが、塩漬けニシンだけの食事が待っていた。デンマーク領でも、その位置は、スウェーデン、ポーランド、ドイツに囲まれたバルト海の中央。コペンハーゲンからだとフェリーでも7時間を要するらしい。 現在のコペンハーゲンの街並からは、飢餓、貧困、移民への差別など想像もつかない。 ◆◆◆◆◆◆ カバー写真はあづ紗さんを南青山で撮影した。高級住宅とオフィスが共存し、壁面や屋上の緑化が進んでいるエリア。↑はニコライ・バーグマンのカフェに立ち寄った際に収めたショット。著名なフラワー・デザイナー、ニコライ氏のプロフィールには「デンマーク、コペンハーゲン出身、1998年初来日以降・・・」云々と記されていたが、先日コチラのインタビュー記事に小さく驚いた。 ◆◆◆◆◆◆ 第64景はデンマークの名門ブレンビーの本拠地ブレンビー・スタディオン 1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選を突破、本大会出場はデンマーク史上初の快挙である。 2003-04シーズンのUEFAカップにより同クラブの存在を多くのフットボールファンが知ることに。スタジアムの正面ロビーには、ロナウジーニョに手を指し出して起こすトーマス・カーレンベルグの写真パネル。FCバルセロナと交換したペナントの隣に、2回戦で対戦したシャルケ04の青い逆三角形が並ぶ。 ◆◆◆◆◆◆ 前年ブンデスリーガ7位、インタートトカップを勝ち抜いたスタメンには、コビアシビリ(グルジア)アニバル・マテジャン(アルゼンチン)トマシュ・ヴァウドフ&トマシュ・ハイト(共にポーランド)カンプハイス(オランダ)ダ・シルバ・ピント(ポルトガル)ハミル・アルティントップ(トルコ)ハンケ(ドイツ)アガリ(ナイジェリア)。 そしてコペンハーゲンから移籍したデンマーク人クリスティアン・ポールセンが名を連ねる多国籍ぶり。ちなみに監督は1998-99シーズン、レアルを欧州王者に導いたユップ・ハインケス。 ◆◆◆◆◆◆

18 10, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【63】エスタディオ・ダ・マタ・レアル / パソス・デ・フェレイラ

By | 2018-10-19T03:05:18+00:00 10月 18th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

東京暮らしの長い自分が、欧州独り旅の醍醐味を一言で表すならば、不便を堪能することにある。ならば途上国と言われてもフットボールが目的なので欧州以外に興味はない。 パソス・デ・(PD)フェレイラで金曜のナイトゲームが行われる。しかしこの街には駅がない。 ◆◆◆◆◆◆ ポルトからの距離は北東へおよそ35キロ。とりあえずParedesからバスが出ているようなのでそこまで列車を利用するとして、駅からまずは市内のバス停まで徒歩移動。バスが来る度、運転手に行き先を訪ねる。三台目で乗ったバスが田舎道を曲がりくねることおよそ30分。 ◆◆◆◆◆◆ バス停らしきものがないが、「ここで降りろ」と、運転手から言われるがままに下車する。とりあえず目の前にある店で珈琲を注文しタブレットPCの地図を開き、店主に見てもらう。この街のどのへんに今、自分はいるのか。スタジアムまで徒歩で行ける場所を予約してはいるが手配した宿は何処にあるのか? 二軒隣の金物屋?の2階が宿だった。帰りはポルト行きのバスに乗れたが、バス乗り場に時刻表はなかった。まあ、そんなものだ。 ◆◆◆◆◆◆ 2012年8月19日開幕戦。このスタジアムに足を運んだ観客の数は1221人。 このシーズンで最も不名誉な記録が期待の薄さを物語っている。モレイレンセと1-1のドローに続いてアウェーのエストリル戦もドロー。 第3節ホームで迎える相手はブラガ。2009-10シーズンは3強(ポルト、ベンフィカ、スポルティング)に割って入りクラブ創立以来最高の2位を確保。10-11シーズンはUEFAヨーロッパリーグ(EL)で準優勝を遂げ、リーグ戦は4位。11-12シーズンも3位でUEFAチャンピオンズリーグ(CL)の権利を掴んでおり、“強豪”としての地位は揺るぎないものに成りつつある。 ◆◆◆◆◆◆ そのブラガ相手に先制したのはホームチーム。コーナーキックを頭であわせたのはハビエル・コエネ。パラグアイ人センターバックに続き、後半は新加入のペルー人フォワードがポルトガルでの初ゴールを奪う。2点のリードを死守した初白星は大金星。このペルー人が第50景ギマランイスで紹介したパオロ・ウルタード。ロシア大会終了後は、トルコのコンヤスポルでプレーすることに。一方ブラガを指揮していたのはホセ・ペセイラ。今季からスポルティングCPを任されているのも50景にて触れている。 ◆◆◆◆◆◆ シーズン戦半も好調を維持していたが、ウィンターブレーク以降、快進撃が始まる。1月5日、敵地でスポルティングCPを破り、2月11日にはアウェーのブラガ戦も2-3で制し、5月5日にはホームで再びスポルティングCP勝利。 さすがにベンフィカ、FCポルトの牙城は崩せなかったもののシーズン30試合で僅か4敗。その黒星を喫した相手がこの二強。因みにこのシーズンの優勝はポルト。ベンフィカは僅か1ポイント及ばず涙を飲んだ。そして直接対決での連勝がものを言ってブラガに2ポイントリードし史上最高の3位を確保。 PDフェレイラはクラブ史初のCL予選出場権を手に入れた。こんな田舎街のクラブが・・・それは奇跡のシーズンと呼んでも過言ではない。中盤の大黒柱アンドレ・レオンは当時27歳。リーグ戦出場は29試合を記録した。 ◆◆◆◆◆◆

15 10, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場【62】マモト・セジェリ・シュタディオン / ツェグレード

By | 2018-10-15T21:40:03+00:00 10月 15th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

10月06日UEFAヨーロッパリーググループステージ第二戦、ハンガリー王者ヴィデオトンはスタンフォード・ブリッジで0-1と善戦した。 支配率、シュート数とも圧倒されたが、枠内のシュート数はチェルシーが5に対して3。自滅寸前のチェルシーから貴重な勝ち点1を獲得できそうな気配も漂ったのだが・・・ 8月18日UEFAチャンピオンズリーグ(CL)プレーオフ、後半12分ロイク・ネゴの同点ゴールで追いついたヴィデオトン。 しかし初戦のホームを1-2で落としている。残り10分エルデル・ロペスに赤紙。ピッチからポルトガル人が消えると試合は更にヒートアップしたが、このレベルで戦うには攻撃のオプションが足りない。セルビア人監督マルコ・ニコリッチは動かずスコアも変わらず。 ◆◆◆◆◆◆ ローランド・ユハスにとって実現すれば6年ぶりとなるCL本選出場の夢もかなわず。35歳のベテランDFにとっては最後のチャンスかもしれない。(※6年前の対戦相手はACミラン) ◆◆◆◆◆◆ 第62景はユハスの出身地、ツェグレードにあるマモト・セジェリ・シュタディオン。 ◆◆◆◆◆◆ ユハスは地方クラブから2000年にMTKブダペストのユースを経て同クラブでトップデビューを果たした。 ツェグレードはブダペストの北東70キロ。人口は3万5千人程度。日本では「市」になる条件が5万人なので、ツェグレードDVEは、まさに「町」のクラブ。 ◆◆◆◆◆◆ 黄パプリカの名産地として知られる。近年日本の食卓でも頻繁に見かけるようになった鮮やかな色彩の野菜はハンガリーで品種改良され、世界に広まった。ツェグレードDVEのチームカラーもイエロー。 ◆◆◆◆◆◆ パプリカを使った代表的な民族料理といえば具沢山スープのグヤーシュ。牛肉、玉ねぎ、じゃがいも、人参とお馴染みの具材。調理方法は、各家庭で千差万別。我が家オリジナルが一番美味いと思えるのは日本のカレーライスと同じ。 ◆◆◆◆◆◆

9 10, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【61】スタディオンFKヴィクトリア・ジシコフ / プラハ

By | 2018-10-09T16:57:48+00:00 10月 9th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

チェコを代表する音楽家 レオシュ・ヤナーチェクの没後90周年に当たる本年。代表曲の歌劇『ブロウチェク氏の月への旅』はビール好きのオヤジが酔っ払って月に住む芸術家と絡むストーリー。たしか設定はフラッチャニにある居酒屋。初公演もプラハ国民劇場。 ◆◆◆◆◆◆ 2018年4月8日朝、プラハhlavní nádraží中央駅に到着。西側に隣接した公園を進めば通り沿いにトラムの停車場。2番、7番、9番、26番左から来たらどの車両でも良いから飛び乗れば良い。どうせワンストップで下車するのだから。フシネツカで降りれば目の前がスタジアムの入り口。これまで訪問したスタジアムの中で、最もターミナル駅からの移動に時間を割かずに済んだのが第61景プラハのスタディオンFKヴィクトリア・ジシコフ。 ◆◆◆◆◆◆ チェコ二部リーグ2017-18シーズンの第21節。11位と14位の対戦でも、慌ててスタジアムに駆け込む程、気になったのがこの選手。ヤン・クフタは、1997年8月生まれ。この試合の時点では20歳の若手ストライカー。彼の名前を知ったのはこの試合から12日前。 ◆◆◆◆◆◆ 欧州フットボールシーズンがクライマックスを迎える中、一足早く終了したU20エリートリーグ。昨シーズンの国際マッチデ―に欧州の強豪8か国で総当たりリーグ戦を開催。U20代表は97年1月1日以降に生まれた選手が対象。 首位ドイツと3位チェコまで勝ち点差3の状況、最終節を迎えたが波乱は起きず、結果優勝はドイツ、続いたイングランド、チェコが、セカンドグループ5か国を引き離してのフィニッシュ。 ◆◆◆◆◆◆ チェコは3月27日アウェーで若きオランイェと対戦。開始6分いきなり先制ゴールを決めたのがヤン・クフタだった。 スパルタからスラヴィア・プラハの育成部門に移り、U19→U21へと昇級。トップの層は厚く、武者修行として一部のボヘミアンにレンタルされたのが2016年。昨季は4カ月だけ二部で過ごしたが、今季は一部のFCスロヴァーツコで経験を積むことに。 しかしスタディオンFKヴィクトリア・ジシコフで赤白縦縞のユニフォーム姿のクフタは、決定機に決めきれなかった。それでも8分の先制点で試合の趨勢はホームチームに傾くはずが・・・ あづ紗さんが手にしたコースターに刷られたクルショヴィツェ醸造所のロゴ。 ◆◆◆◆◆◆ プラハより西に50キロほど離れた街のブリューワーは、社会主義時代の国有企業から89年のビロード革命を経て、1993年完全民営化され、 米国や英国へと輸出される。 2007年7月にハイネケンが買収されても残念ながら日本ではお目にかかれない銘柄。

5 10, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【60】シュクリュ・サラジオウル・スタジアム / イスタンブール

By | 2018-10-05T12:54:42+00:00 10月 5th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

UEFAコンペティションは2節が終了。グループステージの星取表に目を通した中で、勝ち抜け予想がひと際困難なのはヨーロッパリーグのD組だろう。 昨季プレーオフを3位で終了したアンデルレヒトは、試合開始から後半立ち上がりまで計5枚のイエローカードを連発する形振り構わぬスパルタク・トルナヴァの堅守にゴールを割れず、2節もまさかの連敗。 驚くべきはUEFAランキング61位のフェネルバフチェと77位のディナモ・ザグレブ。数字以上に実力差があると思っていたが蓋を開けてみれば、4-1でザグレブの圧勝。その勢いでアンデルレヒトも飲み込んだ。 ◆◆◆◆◆ 一方フェネルバフチェは、イスタンブールでレスターから貸し出されたアルジェリア人ストライカーが連発。復調の兆しが朧気ながら見えてきたか。 あづ紗さんの手にはトルコ最大手のビールメーカー、アナドル・エフェス社のブランドとなった銘柄『ボモンティBomonti』のコースター。 昨年日本に入荷された際のCM。和歌山県近海でエルトゥールル号が海難事故にあった1890年。トルコ共和国(旧オスマン帝国)で初めてビールが醸造された。アドルフとウォルター・ボモンティ兄弟の名前をブランド名にした醸造所の跡地は現在、ビジネスの拠点であると同時にショッピングセンターやレストランが立ち並び、トレンディスポットとして観光客で賑わう。ボスポラス海峡の欧州側、ボモンティ地区を挟んで北にガラタサライ、南の港町ベシュクタシュがホームスタジアムを構える。 ◆◆◆◆◆ 一方イスタンブール広域市のアジア側カドゥキョイ。都内でいえば欧州側=山の手に対しと下町の関係。ダービーに異常な熱気が帯びるのも頷ける。 筆者が最初に訪問したのは2008年の冬。安宿に泊ったが財布をスられて高くついた。そんな出来事さえ時間が過ぎれば貴重な経験と笑って話せる。 ◆◆◆◆◆ 最後に訪問したのは2015年の秋。この年の夏、IS自爆攻撃への抗議と国内侵入を許した政府批判のデモを警察が鎮圧したばかり。「テロの脅威に対する注意喚起」の文字を至るところで目にした。 その後2016年12月にヴォーダフォン・アリーナ 【22景】でも触れた爆弾テロが勃発。中心部は観光客が激減したのに対し、カドキョイ地区は然程影響なく、生活感を漂わせている。 第60景は同地区にあるフェネルバフチェの本拠地シュクリュ・サラジオウル・スタジアム ◆◆◆◆◆ 今季ここまでフェネルバフチェは国内リーグ7試合を消化、2勝4敗1分け(10月4日時点)と冴えない。相手がガラタサライやベシュクタシュならいざ知らず、ローカルクラブに3連敗ではフィリップ・コクも頭が痛い。 顔ぶれを見ても一昔前と比べると、国際的な知名度のある選手は、元オリンピック・マルセイユコンビ、マテュー・ヴァルビュエナとアンドレ・アイェウ、トルナヴァ戦で2ゴールを決めたイスラム・スリマニぐらい。 写真は2012年に発売されたFRANCE FOOTBALL誌。リーグカップ決勝当日に購入した。デシャン時代のOMがお気に入りでこんな事も書いていた。 ◆◆◆◆◆

30 09, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【59】スタディオ・シルヴィオ・ピオラ / ヴェルチェッリ

By | 2018-09-30T23:21:23+00:00 9月 30th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

あづ紗さんとイル・ポッゾ バルバレスコのボトル。トリノを州都とするピエモンテ州周辺で栽培されるネッビオーロ種の醸造は、この地域以外ではなかなかお目にかかれなかったが、最近はカリフォルニアや南アフリカでも栽培されている。 ◆◆◆◆◆◆ ブルゴーニュのピノノワールと似ている気もするが、畑の地質や生産者の指向性によりワインの味は大きく異なる。ヴェルチェッリ県のガッティナーラで栽培されるスパンナは、呼び名が違うだけで同じ品種の黒ぶどう。ネッビオーロの名はクーオネ県でしか通用しない。 ヴェルチェッリ県の県都ヴェルチェッリ市はトリノとミラノのほぼ中間、微妙にミラノが近いか。長男と二年前の夏休み、訪問した際も最終列車で宿泊先のミラノへと戻った。・・・と以前同じことを書いたのを思い出した。 http://soccerlture.com/italy-eleven/ FCプロ・ヴェルチェッリは当時セリエBで開幕戦。しかし今季のステージは三部。2011-12シーズンにプレーオフに勝ち抜き、2012-13シーズン、実に65シーズンぶりのセリエB昇格以来しがみついてきたのだが。 ◆◆◆◆◆◆ 駅南側ローマ広場から大通りコルソ・ジュゼッペ・ガルバルディを真っ直ぐ歩き左方向でセッテンブレ通りへ、カマナ公園を手前のテルナ通り、奥のトリポリ通りのどちらを曲がるか迷ったがトリポリ通りを選ぶと僅かに遠回りだったと後になって気づく。 ◆◆◆◆◆◆ 北側のゲート壁面に描かれたグラフティ。公用車のエンブレムが剥げているのもご愛敬。スタディオ・シルヴィオ・ピオラは1932年に建てられただけあって、ファサードは趣ある佇まい。写真は《長靴・・・》にupしたので其方を見ていただきたい。 ◆◆◆◆◆◆ 2011年以降改修を重ねイタリアでは珍しく人口芝を使用している。スタジアム南側に面したマッサウア通りは、歩行者天国どころか完全閉鎖の通行止め。 ◆◆◆◆◆◆  この開幕戦は不可解な判定に苦しみながら土壇場で追いつきドローに持ち込んだホームチーム。中盤の攻防ではプロヴェルチェッリが終始優勢で存在感を発揮したのは右ハーフの21番と右サイドバックの3番。スタジアムでは名前も知らかったジョカトーレの経歴を翌日調べる。21番ルカ・カスティーリャ(1989年3月生)クーオネ県チェバの出身。典型的なセントラル・ミッドフィルダータイプ。 ◆◆◆◆◆◆ 一方3番のウンベルノ・ジェルマーノ (1992年4月生)はヴェルチェッリ県のチリアーノ出身。この日は右サイドバックに配置されたが中盤の前でも後ろも熟せるユーティリティープレーヤー。実はこの二人には共通点があった。共にユヴェントスのプリマヴェーラ出身。

25 09, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【58】ドーサン・アレナ/ プルゼニ

By | 2018-09-26T18:42:58+00:00 9月 25th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

9月18日モスクワのシェルメチボ空港を発つアエロフロート機。チェコのプラハ ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港行きの便に西村拓真も搭乗した。 ◆◆◆◆◆ 人口17万のプルゼニに空港はないが、プラハからバスで1時間半の距離。ピルスナー発祥の地には1842年創立のウルケルと、1869年のガンブリヌスの2大ブランドがある。 ◆◆◆◆◆ あづ紗さんの目の前にある麦酒銘柄はブドヴァー。英国留学時に旅行でチェコまで足を延ばした際に飲んだらしく、少しだけ懐かしの味なのだとか。 その起源は13世紀修道院で醸造が行われた時代にまで遡る。プルゼニよりさらに南、オーストリアに近いチェスケー・ブジェヨヴィツェに設けられた醸造所。この舌を噛みそうな都市名をドイツ語ではブドヴァイスと発音したのが、ブランド名の由来である。 第58景はプルゼニのドーサン・アリーナ ◆◆◆◆◆ 2018年9月19日は、かつてないほど、日本のサッカーファンが注目したはず。しかし西村拓真がガンブリヌス缶のデザインが施されたベンチに腰を降ろしたものの、ピッチに入る機会はなかった。11,312人の観客が見守る中、チェコ代表クルメンチクが烈火の如き連続ゴールで2-0とリードしながら、アディショナルタイム3分、左からのコーナーキック、エリア内で両軍縺れあいPKを献上。20歳のクロアチア人ニコラ・ヴラシッチが決め土壇場で勝ち点1を手繰り寄せた。ホームチームの指揮官パヴェル・ヴルバは背を向け、手で顔を覆った。どアップの渋い表情は今春、プラハでのボヘミアン戦時撮影したショット。 ◆◆◆◆◆ グループのもう一試合、昨季王者レアルとベスト4ローマの激突はサンチャゴ・ベルナベルで貫録の3-0。次節プルゼニの相手はローマ。 ローマとプルゼニは一昨季、ヨーロッパリーグのグループステージでも同居しており二年ぶりの対戦。昨季CL準決勝でバルサに土をつけ欧州の度肝を抜いたローマを、一昨季ELへとプレーオフで蹴落としたのはFCポルト。 抽選翌日のコリエレ・デロ・スポルト紙面でも大きく取り上げ、「何でポルトやねん!?」とロマーノの友人は怒り、彼の嫌な予感は的中した。 ◆◆◆◆◆ 2016年9月15日グループステージ初戦は開始間もなくローマがPKを獲得。ペロッティが決めるが7分後にマレク・バコシュがクロスに頭であわせネットを揺らす。後半互いにゴールを割ることはなくドロー。 西村拓真の電撃移籍がなくても、プルゼニとCSKAモスクワの試合には惹かれるものがあった。 UEFAネーションズリーグ、ウクライナ戦の4日後。ウクライナとの国境に近いロストフ・アリーナでチェコ代表はロシアとの親善試合が組まれていた。 自国開催FIFAワールドカップで堂々ベスト8の看板に偽りなく5-1でチェコ代表を破ったロシア代表。 その9日後、代表に続いてクラブで同国対決が実現。しかし現ロシア代表の主力はゼニト勢。CASKAからは2016年帰化したサンパウロ州出身のマリオ・フェルナンデスのみスタメンに名を連ねた。 チェコ代表チームのプルゼニ所属はセンターバックのラディム・ジェズニーク、セントラルミッドフィルダーのトマーシュ・ホジャヴァ、途中出場したストライカーのミハエル・クルメンチク。

22 09, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場【57】 ワンダ・メトロポリターノ / マドリッド

By | 2018-09-23T06:36:55+00:00 9月 22nd, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

UEFAネイションズリーグが今月遂に開幕。世界王者フランス代表は、初戦ドイツとドロー、第二戦ではオランダを一蹴した。 7月15日世界中のサッカーファンがTV画面に釘付けになったロシア大会の栄光は既に過去のもの。 あづ紗さんのカバー写真は、何となくTVを観てるような感じの写真。そしてザビワカにしがみついてもらった。 ◆◆◆◆◆ モスクワ・ルジニキスタジアムのピッチに立った22名。革命歌「ラ・マルセイエーズ」を斉唱するフランス代表にアントワーヌ・グリーズマン、リュカ・エルナンデズ、ラファエル・ヴァラン。対するクロアチア代表にはシメ・ヴルサリコ、そしてルカ・モドリッチ。 ◆◆◆◆◆ 昨日の友は今日の敵。4月8日マドリードダービーでの対戦は、スコアレスドローで折り返し、クリスティアーノが先制ゴールを決めた数分後、にグリーズマン。背番号7の競演で双方譲らず。グリーズマンの髪が中途半端な長さで寝起きの自分と変わらないのが気になる。 ◆◆◆◆◆ 第57景は、今シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)、決勝の舞台に選ばれたワンダ・メトロポリターノ。 アトレティコ・マドリーの新スタジアム建設について三年前寄稿している。磯野家の未来を心配していたが東芝がスポンサー降板したのは想定外。 http://soccerlture.com/blue_sky_of_iberia/ 結局スポンサーの中国企業大連万達グループの名前を冠した新スタジアムの建設は、1億ユーロの利益が生じる計画から 1億7000万ユーロの負債を抱え込んだ。 ◆◆◆◆◆ マドリード空の玄関口、バラハス空港に到着。滑走路から建設費3億ユーロを投じた巨大なスタジアムを目にする。カニジェハス地区とラス・ロサス地区の間に位置し環状線M-40号から近いが空港周辺の道路は迷路のようでお薦めできない。 ◆◆◆◆◆ 第37景に記した通り、このスタジアム訪問は、UEFAヨーロッパリーグ(EL)準々決勝1STスポルティングCP戦の直後。入手したBALONの頁をめくると、見開きで2015年12月のベンフィカ戦の写真。このシーズンはグループステージで同居し、共にノックアウトラウンドへ。アトレティコはファイナルまで駒を進めた。 ◆◆◆◆◆ 欧州の街を歩けば、歴史の重みを実感させられるが、フットボールにおいても新聞、雑誌は兎に角過去を掘り下げるのが大好き。 右頁下に、アトレティコ対ポルトガル勢の対戦スコアが表記されているがベンフィカ戦の前となると2011-12シーズンのギマランイス(EL)、2009-10スポルティング(EL)、08-09ポルト(CL)までは良いとして、1986-87ギマランイス(UEFAカップ)、81-82ボアヴィスタ(UEFAカップ)と昭和まで遡り、1963-64のインターシティーズ・フェアーズカップ/ポルト戦に至っては「来年の大河ドラマでやるでしょ。この時代を」と独り言を呟く。

16 09, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【56】 AFASスタディオン / アルクマール

By | 2018-09-28T11:30:26+00:00 9月 16th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

昨季クラブ創立50周年を迎えたエールディヴィジの強豪AZアルクマール。合併したアルクマールとFCザーンストレークの頭文字が現クラブ名の由来である。 2012年にはヴァレンシア、2014年にはベンフィカに敗れ、UEFAヨーロッパリーグではベスト4進出ならず。但しアルクマールの人口10万人強の小都市であることを忘れてはいけない。 ◆◆◆◆◆ 2006年に17,000人収容のスタジアムがお披露目された際には、些か驚いた。こんな小さな街で随分立派な器を用意したもんだと。当時の冠スポンサー企業はDBS銀行。完成直後に、2階建てのスタンドを増設し3万~4万席まで拡張する計画がぶち上げた時は、「それはさすがに無茶だろう」と首を傾げたが、2009年同銀行の破綻が報道されると、一瞬目が点になった。 2010年にビジネスソフトウェアを開発企業AFAS社が名乗りを上げ現在の名称に。ベルギーへとシェアを拡げた同社は2014年からKVメッヘレンの共同スポンサーにもなる。 ◆◆◆◆◆ 第56景はアルクマールのAFASスタディオン。三年前に書いたのがコチラ http://soccerlture.com/do_not_hung_around_alkmaar/ Jリーグとの比較ならば人口7万人の鳥栖市をホームタウンとするサガン鳥栖。フェルナンド・トーレスが来たのも驚きだが、昨季は3年ぶりに平均入場者数が14000人越えは立派。お隣に久留米市なる30万都市=ブリジストンの創業地があり、鳥栖駅と久留米駅は10キロも離れていないのだから潜在顧客はアルクマールの比ではない。トーレス効果は大いに期待できるだろう。 ◆◆◆◆◆ このテキストを書いた2015-16シーズンは、平均入場者数は15000人を超えていたのだが、一昨季、昨季は大台に達せず。エールディヴィジ全体に目を向けると16-17シーズンの1万9287人から17-18シーズン1万9014人と減少してはいるものの比較的安定している。 レベルの低下が懸念されるエールディヴィジだが集客力は5大リーグに次ぐ位置をキープしていると思ったら昨年、順位を一つ下げた。何処の国が盛り上がったかと思えば、イングランドのチャンピオンシップ。確かにブレンドフォードも満員だった。 ◆◆◆◆◆ “アルクマールを歩き回るな“と駄洒落を書いた理由は、この写真。人口ひとりあたりの自転車保有率が世界で最も高い国らしいが、アムステルダムでもロッテルダムでもこんな駐輪状況の蹴球場は見たことがない。 ◆◆◆◆◆ 車でもA9高速道路出口が近くて便利。駅からはバス163番Uitgeest方面バスを利用できるが歩いても30分程度。ならば駅前を中心街=スタジアム方向に200メートルも歩けばレンタサイクルがあるので、《歩き回らず自転車を借りる》のがお薦めというわけ。 こけら落しのアーセナル戦から2週間、2006年8月19日開幕戦。1万5837人の間の前でルイス・ファン・ハール指揮するAZはNACブレダを8-1と木っ端微塵に粉砕した。 ◆◆◆◆◆ 一方、この年の夏、日本でもAとZが大きな話題となる。青森県弘前出身の現代アーティスト奈良美智、大阪のクリエイティブユニットgraf、更に日本全国から集まったボランティアの数は約850人。吉井酒造の煉瓦倉庫には国内外から約8万人が訪れアートワークを鑑賞した。

13 09, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【55】ゼネラリ・アレナ / プラハ

By | 2018-09-13T17:38:46+00:00 9月 13th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

プラハ国際空港から早朝便でロンドンに発つ。深夜空港に入り、アルコールを注入して搭乗口を開くのを待つ。ブラニックは、チェコでもポピュラーな銘柄。初めてプラハを訪問した際、ドレスデンから列車でポドババ駅に到着すると日が暮れていた。市内中心部から外れた宿を手配したのは若気の至り・・・といえるほど若くはない。 ◆◆◆◆◆◆ 街灯のない暗闇を歩く怖さは都会暮らしに慣れてしまうと結構きつい。辿り着いてまずは喉を潤したのが、このブラニック。結局一時間近く駅周辺を歩き回った後だけに美味さは二倍増し。 ◆◆◆◆◆◆ 第55景はチェコプラハのゼネラリ・アレナ。大手保険会社がネーミングライツを取得しているが、かつては日本の自動車メーカーが冠に。ヴァルタヴァ川の西岸にあるレテンスケー公園。この周辺レトナ地区はスポーツ施設が目白押し。 ◆◆◆◆◆◆ 空港では同国を代表する自動車メーカー、シュコダSUKODAのラリーカーが展示されていた。19世紀に創業されているが軍事製品を輸出して成長したイメージが強い。ディスプレーにはモーター・スポーツ以外では自転車とアイスホッケーの支援が表示されているがフットボールは見当たらない。それでも前日アレナで観たアウェーチームの胸にそのエンブレムを確認したばかり。 ◆◆◆◆◆◆ チェコのフットボールの文献を初めて熟読したのはスポーツ・グラフィック「Number」の498号だった。「不敗神話の国・探訪記」チェコ共和国眠れる獅子」の見出しで、橘昇氏のテキスト。写真はカイ・K・サワベ氏が撮影し5頁のボリューム。今読み返すとより興味深い内容ではあるが、印象に残っていたのはキャプションに「19歳のMFロシツキ(中)は代表入りした」とだけ記され当時スパルタに所属していた、ロシツキーの笑顔だった。 ◆◆◆◆◆◆ それから四年、トーマス・ロシツキーのインタビューに頁をめくる手がとまった。ワールドサッカーダイジェスト誌でジーコ率いる日本代表が東欧に遠征、大戦直後にVladimir NOVAK氏のインタビューによる記事。勝者日本で印象に残った選手として三都主、小野、稲本、そして得点者の久保を称えている。 ◆◆◆◆◆◆ 正確な日時は2004年4月28日。 トヨタアレナ。ワールドサッカー・グラフィック誌で小寺かずみ氏が執筆した「今だからこそ求められる資質~失われたポリシーと浪費した二年間の代償は~」は二年後ドイツ大会での惨敗を予見していた。 ◆◆◆◆◆◆ 古い雑誌を本棚から引っ張り出したのは、先日開幕したUEFAネイションズリーグの影響かもしれない。 47景でふれたとおり、今後日本代表が親善試合で欧州勢とのマッチメイクを組むのは極めて難しくなった。一昨日森保ジャパンの初陣が、コスタリカ代表、続いてパナマ、ウルグアイまでは決まったが、11月の相手は未だ未定。格上のスパーリングパートナーは南米勢だけに限定されるのは厳しい状況ではあるのだが、絶望する必要もない。クラブレベルでは外国人枠の問題など欧州で日本人がプレーする環境は向上しているのだから。 ◆◆◆◆◆◆ 2017年12月3日HETリガ第16節ゼネラリ・アレナ。あず紗さんが手にしたカバー写真は同日のマッチデー・プログラム。 ヴァルタヴァ川を26号線のトラムで越えると右斜め、目の前線路沿いにスタジアムが現れた。師走のプラハ、その寒さを証明する写真、屋根にオレンジ色の列を成しているのは暖房機器。 ◆◆◆◆◆◆ 2000年当時16チームで派遣を争うチェコリーグで圧倒的な強さを発揮するACスパルタプラハを指揮していたのは、サンフレチェやジェフでプレーした経験を持つ元Jリーガー、イワン・ハシェックだった。ヴィクトリア・ピルゼンが首都の強豪を退け頂点に君臨するのが現在。 それでもこの日のスパルタは前半怒涛のゴールラッシュ。 ◆◆◆◆◆◆ そしてピッチには背番号10のレジェンドが登場する。三週間後に電撃引退宣言をしたロシツキー。その雄姿をSDカードに収められるのは、これが最後であることは明白だからこそロンドン行きの便を極限まで遅らせてでも足を運ぶ価値があった。 ◆◆◆◆◆◆ 試合終了後スタンドのサポーターに笑顔で応えたロシツキーの写真で締め括る。ケガに悩まされ続けたフットボール人生だったが、若々しく清々しいその表情は18年前のNumber誌面と差ほど変わっていない。【五十五景了】 文/撮影:横澤悦孝 モデル:森川あづ紗

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