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テロとサッカー

「イギリスのデイリー・メール紙などによりますと、今月12日に行われたサッカー・アジアカップ、イラク対ヨルダン戦をイラク第2の都市モスルで観戦した少年13人が、イスラム国によって銃殺されました。

イスラム国の兵士は、サッカーを観戦していた10代の少年らを拘束し、運動場で公開処刑したということです。そして、周辺の住民に対して「処刑は、イスラム国の決まりを破る者に対する警告だ」と拡声器で処刑理由を読み上げたということです。少年らの遺体は、家族がイスラム国の迫害を恐れて、引き取らずにそのまま放置されたということです。モスルはイスラム国が勢力を広げている地域で、「サッカーは西洋のものだ」として観戦禁止令が出ていたということです。」
(テレビ朝日のサイトから抜粋)

世界中を恐怖と義憤に溢れ返させている「IS」ことイスラム国。同胞が犠牲になり決して人ごとではないことを実感させられたが、このニュースもまたなんとも表現しようがないほど怒りを感じる出来事である。

サッカーは世界中の人がプレーしているからいろいろな宗教を信仰している人が、同じピッチに立って、同じルールに基づいて行われ、その歴史を重ねてきた。

たとえ戦争当事国同士であってもサッカーの試合だけは行われることも珍しくはなかった。

しかしサッカーを観戦しているだけで、公開処刑とは完全に狂気である。

今回のアジアカップでは日本が加わったグループDはパレスチナ、イラク、ヨルダンである。
かつてこのことに関してパレスチナに関するコラムを書いたが、イラク、そしてヨルダンも同じように大変な状況の中この大会参加していることを改めて知った。

イスラム国には「倫理警察」というものが存在し、市民の日常生活を監視している。
このサッカー観戦の子どもたちもそういった組織の犠牲になったのだろうか。

この事の是非を論じる事は馬鹿らしくてしょうがないけど、現実にこうした悲劇があるということがただただ悲しいだけだ。そして(とくにシリアとイラクの)サッカーファンやサッカー選手そして関係者は大丈夫なのだろうか。とても心配である。

今回イラクは4位に終わったが、こうした状況を考えると大健闘だろう。
きっと国民に元気を与えることになったと思ったが、
その勇姿を自国民が見届けられらいということはなんという悲劇なのだろう。