後の日本代表監督 ナカタのパルマを破る
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前話で度々登場した地元のフットボールクラブ、リールOSCも躍進。ヴァイッド·ハリルホジッチ:Vahid Halilhodžić【1952年5月15日生】監督が手腕を発揮して、一部へと昇格させる。2000-01シーズンは三位の好成績でUEFAチャンピオンズリーグ予選の出場権を獲得する躍進。2001年8月8日パルマのホーム、スタディオ·エンニオ·タルディーニ。このシーズンASローマから移籍した中田英寿:Hidetoshi Nakata【1977年1月22日生】は十番を背にスタメン出場。ローマ在籍時は二年連続してUEFA杯を経験しているヒデも予選とはいえ欧州最高のコンペティションの舞台に立つのは初めて。日本人では奥寺康彦:Yasuhiko Okudera【1952年3月12日生】氏以来、チャンピオンズリーグの名称に変更されてからは日本人初となる。アーセナル、フェイエノールトのGS参戦でこの記録は霞んでしまったのは否めない。
試合は0-2でまさかのホームチーム完敗。アウェーでは0-1と一矢報いるものの合計1-2で予選敗退。この番狂わせに対しては、既にシーズンが開幕していたフランスのクラブが相手では、始動の遅いセリエAの不利は否めないと冷静に分析する専門家の声も。後にオーナーとなる映画プロデューサーのミシェル·セイドゥ:Michel Seydoux【1947年9月11日生】が株式の一部を購入しクラブの経営に関わるようになったのもこのシーズンから。
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欧州文化首都の「街おこし」プロジェクト
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大陸に刻まれた悠久の歴史はあまりにも国境を動かし人種をクロスオーバーさせ過ぎて複雑な感情を育んだ。欧州文化首都のコンセプトはシンプルで明確だ。欧州各国の文化から共通のエレメントを見つけることと各国の違いに気づき異文化を尊重しあうこと。EUに中東欧など十もの国が新加盟して計25カ国の大所帯へと発展した2004年。この年のUEFA欧州選手権はギリシャが優勝すると誰が予想できただろうか。そして文化首都を任されたリールは、《芸術文化での都市再生》へと舵をきる。結論から先に述べればこの計画は大成功。新ジャンルの雇用創出をビジョンとして掲げ、商工会議所を中心にITマルチメディアの企業や学校など地元でのクラスター創生を成し遂げて現在へと繋げる。
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トライアングルのど真ん中に水玉チュ-リップ現れる
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ユーラリール再開発の目玉としてリール·ユーロップ駅とリール·フランドル駅、二つの駅をつなぐミッテラン広場には、全長8mヴィヴィッドな水玉に彩られたチューリップのモニュメントが設置されている。日本を代表する草間彌生:Yayoi Kusama 【1929年3月22日生】の作品されたのも文化首都プロジェクトの一環。パリからTGVに乗ってきてブリュッセルやロンドンへの乗り換える旅行者は必ず目にするはず。
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芸術文化による都市再生といっても、リールで新たなハコモノ(劇場、ホールなどの施設)建設の発注ラッシュは無し。郵便局など老朽化の著しい公共施設にリノベーションを施して活用した。リールではこの時期メゾン·フォリなる名称のカルチャースペースを街の隅々で目にしているが、これは製造業全盛期の面影残す過去の遺物となった工場や倉庫を、創作のアトリエとしてアーティストに提供する試み。子供からお年寄りまで幅広い年齢層が自由に楽しめるワークショップスペースへと変貌を遂げた。欧州文化首都開催の気になる予算規模は百億円強。長期的視野に立ったシステムや費用対効果を熟考したプログラなど予算の大半がソフト面に費やされている。フランス政府は’98年開催のFIFAワールドカップ設備建設の予算を、既存のスタジアムを活用したために総額二百億円程度しか組んでいない。日本がひとつのスタジアムに二百八十億円前後の建設費を割り振り、開催各都市に建設したのに対し「歴史の差」と一言で片付けるべきではなかった。
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