そんな中、イタリアの攻撃は1993年度のバロンドールとFIFA最優秀選手をダブル受賞したR・バッジョの個人技に頼る“戦術・バッジョ”に転換。しかし、そんな彼が絶不調で公に監督批判までする始末。
「なんだコイツは?身勝手過ぎるだろ?」
それが筆者が感じたR・バッジョの第1印象でした。そう思う背景にはR・バッジョには自由が与えれて守備も免除されている反面、同じファンタジスタであるジャンフランコ・ゾラや、直近の(イタリア1部リーグ)セリエA得点王を2年連続獲得していたジョゼッペ・シニョーリですら守備に献身的に参加し、それも与えられていたポジションが左サイドMFという脇役だったから。彼等の不遇を思うと、得点すらないR・バッジョの行為は最低なもの。実際にイタリア国内外からも最低の評価を受け、決勝トーナメントへ向けてはゾラやシニョーリを先発に推す報道が多く、小学生の筆者にとってもそれが妥当だと思って見ていました。
“ロベルト・バッジョのための大会”~自ら決勝へ導いた悲劇のヒーロー
しかし、自らを批判されてもサッキ監督はR・バッジョを先発から外すことはなく、R・バッジョ自身もその期待に応えて行きます。
決勝トーナメント1回戦では終盤まで1点リードを許し、さらに攻撃の切り札として投入したはずのゾラが退場処分になる苦しい展開。それでも89分、右サイドからエリア内を突破したロベルト・ドナドーニのマイナス気味の横パスを丁寧なインサイドキックでサイドネットに決め、起死回生の同点弾。延長戦でもPKを決め、アフリカン・パワーで鳴らしていた大会屈指の好チーム“スーパー・イーグルス”ことナイジェリアを相手に逆転勝利。勢いがつく、エースの大会初ゴールを含む2得点でした。
続く準々決勝のスペイン戦では1-1の同点で迎えた87分、自陣からのカウンターでシニョーリが懸命に繋いだボールがDFラインの裏に。R・バッジョが抜け出してGKを交わし、角度のないところから決めて決勝点。狡猾なカウンターの中に個人技を忍ばせるイタリアらしい鮮やかさ。あのシニョーリもR・バッジョのもとへ向かって走り、抱き合う姿は非常に美しかったです。
そして準決勝のブルガリア戦。左サイド高い位置からのスローインを受けたR・バッジョが中央へカットイン。DF1人を交わして、GKの手の下でバウンドする絶妙なシュートを決めてイタリアが先制。続く25分にはMFデメトリオ・アルベルティー二から如何にもボランチの出す浮き球スルーパスがエリア内へ走りこむR・バッジョへ通り、ゴールを見ないままに右足で放ったノールック・シュートが逆サイドネットに決まってイタリアが追加点。試合は大会得点王を獲得することになるブルガリア代表FWフリストフ・ストイチコフ(元・柏レイソル)にPKを決められて追われるものの、イタリアがR・バッジョの決勝トーナメント後3試合5得点で決勝へ進出。
まさに、自らたった1人で決勝へ導く大車輪の活躍ぶりでした。それも得点する時間帯が89分や延長戦、87分という終了間際での同点弾や決勝点。シュートのコースは逆サイドネットで、その弾道の美しさは言わずもがな。サッキ監督が自らの戦術を諦め、ゾラやシニョーリが脇役を受け入れ、性格に難のある「伊達男のファンタジスタ」ロベルト・マンチーニ(現・インテル・ミラノ監督)が代表にすら呼ばれない理由。それはR・バッジョは正真正銘のスーパースターだったから。まだ小学生だった筆者からすれば、その姿はバスケットボール界のレジェンドであるマイケル・ジョーダンと同じ域にいる存在なのだと認識したのでした。
タイトルに恵まれないキャリア~度重なる名将たちとの確執・衝突
そのマイケル・ジョーダンと違うのはタイトルと縁がないところ。この大会の決勝、ブラジルを相手に肉離れの症状が続くR・バッジョは強行出場するも、120分終えてスコアレスのままPK戦へ。イタリアはR・バッジョと共に強行出場していたバレージと、FWダニエレ・マッサーロ(元清水エスパルス)の2人が外す。ブラジルもDFマルシオ・サントスが外していたものの、PK戦は5人目に突入。キッカーのR・バッジョが大きく外す“あのシーン”でイタリアは準優勝に終わりました。
ただ、R・バッジョがPKを決めても同点で、後攻のブラジルが決めていたら結果はそのまま。むしろ、戦術が全く機能せず、ファウルトラブルに巻き込まれ、守備の要のバレージを欠きながら決勝まで導いたR・バッジョの活躍は、イタリア国内での批判はよそに、この大会が「ロベルト・バッジョの大会」という代名詞がつけられる程。サッカーファンの間では、「ロベルト・バッジョの大会」と言えば、「1994年」が合言葉になるという意味でも歴史に残るプレーぶりに感激しました。
ただし、R・バッジョがタイトルに恵まれないのはこの大会だけではありませんでした。また、サッキを始めとした名将と称えられる監督たちとの確執も絶えず。それは彼にも問題があり、それでも譲れないポリシーが彼にはあり、それこそがR・バッジョたる所以であるのでしょう。