高萩洋次郎の故郷、福島県いわき市勿来。
2011年3月11日、彼の実家にも津波に容赦なく襲い、一階部分が喪失。
両親は無事だったものの、祖母が未だに行方不明である。
彼が前年ナビスコカップで勝ち取ったニューヒーロー賞のカップも消えていた。
震災後、発足した「東北人魂を持つJ選手の会」に参加を表明。
前年まで所属していた広島を中心として慈善活動を行なっていた。
「東北人魂を持つJ選手の会」はJクラブの現役を含む経験者で構成され、
東北各5県から一人づつが発起人となった。
青森県=柴崎岳、岩手県=小笠原満男、宮城県=今野泰幸、秋田県=熊林親吾、山形県=秋葉勝、福島県=茂木弘人。
彼らの活動は大きく評価された。サッカー界に対しても大きなインパクトを与えた。
プロ選手が被災者に何ができるか、そうした根源的な問いや、もっと掘り下げればプロ選手は誰のためにあるのか。そして事を見直すことの大きなきっかけになったに違いない。
高萩洋次郎はいわきから親戚を招待したと言う。
そしてあの横断幕の後押しもそうだし、このスタジアムも被災したのであり、何かを伝えなければいけない。
たとえ多くのオージーが冒頭に書いたようにそうした遺伝子を持つとしても
このスタジアムでの高萩の思いが全てを上回り、主役となることを望んだだろうし、
それが何よりも被災者への恩返しであるはずだ。
そしてそれが現実のものとなった。
こうした中で、この結果を受けて柴咲の目が赤くなったのは、人として自然なことだと思う。
だから恥じることなく失ったものは奪い返し、忘れたものは思い出せばいい。
そして大ベテランとして発起人として小笠原満男はさらに思いを新たにしたに違いない。
なおニューヒーロー賞のカップは損傷はあったが奇跡的に見つかり、修復され今はいわきの実家にある。