サッカーをプレーした経験がない人がサッカー観戦をし始めるキッカケは日本代表やJリーグ、海外サッカー関わらず、最初は特定の選手のファンになる、もしくはその選手の所属するチームに関心を持つ事からスタートするのだと思います。次第に相手チームや選手が気になって、サッカー観戦がクセになる人がコアなサポーターやサッカーフリークとなって行くのだと思います。
選手やチームの特徴を自分なりに研究しみるのも楽しいでしょうし、雑誌や僕のような勝手気ままに書いているコラムやら各種SNS関連の記事を参照して意見を摺り合わせみるのも面白い事だと思います。その時間が経つごとに、好きだった選手が引退して監督やゼネラルマネージャーとして活躍する姿を観ていくと、そこには「続けて観る楽しみ」が生まれ、「あの選手が現役の時は~」と言えるのは2倍の楽しみと言えるでしょう。
サッカーを「続けて観る楽しみ」の1つにあるのはトレンド、あるいは潮流という部分もあると思います。戦術的な特徴の流れも大まかに言えば、攻撃に特化したサッカーが流行すれば、それに対応する守備戦術という免疫を作るという具合のシーソー感覚で揺れ動くものだと思います。
また、各国の国内リーグにも政治・経済などの国内情勢を含みつつ優劣が時代ごとにやってくるものだと言えます。いくらドイツが育成に継続した強化をしてきたと言っても、あの無骨なサッカーをする国からマリオ・ゲッツェや、マルコ・ロイスといったテクニックやアイデアに優れた選手が台頭するなんて想像も尽きませんでした。90年代は世界最強リーグの名を欲しいままにして来たイタリアの国内リーグ“セリエ”が凋落し、その中でもACミランとインテル・ミラノがさらに極度の低迷を続ける現在は想像できませんでした。その両チームの主力に日本人がいるのは複雑ながらも20年前から考えれば想像できない誇らしさを感じる事もできるしょう。
ただし、現代サッカーは多少の整備があっても大きなルール変更はもうありません。試合中の選手交代がない時代、オフサイドが出来た時代、GKがバックパスを手で扱えなくなる、などの大きな変化はないのです。
サッカー界は代表チームも欧州主導の流れになり、今までは「欧州以外での開催となるW杯で欧州勢は優勝できない」ジンクスは、2010年の南アフリカW杯でスペイン代表が、「アメリカ大陸では南米勢が優勝する」というジンクスも、2014年ブラジルW杯でドイツ代表が破りました。欧州の各国リーグがテレビ放映権料という莫大な金額が流れ込んで各国のスター選手を獲得し、今では「どこの国のチーム?」と問われる世界選抜のようなクラブが多くなりました。それが日常というスタンダードを過ごせる欧州各国が代表チームでも他大陸よりも強化されるのは自然な流れ。同時に、世界最高レベルのサッカーの大会はW杯ではなく、欧州チャンピオンズリーグであるという認識も世界共通になりました。
サッカーは科学的にも研究され、現代サッカーには大枠で言う「教科書」が出来たと言えるではないでしょうか?
現代サッカー=トータルフットボール 歴史認証を知ってサッカー観戦を楽しもう
サッカーの教科書とは何か?と問われば、どこで「現在」と「過去」が別れたかの境目を探す事からスタートしなければいけません。そういう意味で基準になるのは、「今その試合を観て、『古い』と思わないサッカー」という感覚で挙げれば、間違いなく1974年の第10回W杯西ドイツ大会のオランダ代表をリンクする人が大勢いるはずです。
僕はまだ生まれていないので、この大会の決勝をフルタイムで、その他の試合をハイライトで観た事があるぐらいです。しかし、当時のサッカー界は選手のポジションが固定されていてポジションチェンジがなく、最前線と最後尾の間が広い間延びした試合ばかりの中、オランダのサッカーは先鋭的でした。最終ラインの選手がフィニッシュまで持ち込んだり、最前線の選手がスぺ―スを作るために最終ラインまで引いて来たり・・。また、サッカーとは攻撃=能動的、守備=受動的が一般的だった時代に、”ボール狩り”と呼ばれる最前線からのプレッシングによって積極的なボール奪取を狙う守備方法も取り入れられていました。1974年にヨハン・クライフ擁するオランダが披露したサッカーは今観ても「古い」とは全く思えないのです。
それらは”トータル・フットボール」と、当時のオランダ代表監督であるリヌス・ミケルス氏により名付けられました。このサッカーはオランダ代表チームに植えつけられる前には、そのミケルス監督が指揮したオランダ最大のクラブであるアヤックス・アムステルダムでも完成された姿を披露し、アヤックスは1971~1973年までの欧州チャンピオンズカップで3連覇を果たしました。1970年にもオランダのフェイエノールトが優勝しているため、オランダの4連覇でもありました。
翌年の1974年にはオランダ代表がW杯決勝で敗れた西ドイツのバイエルン・ミュンヘンがそこから3連覇を果たし、オランダのヨハン・クライフと、(西)ドイツのフランツ・ベッケンバウアーは永遠のライヴァルであり、犬猿の仲となるのです。
アヤックスとオランダ代表で”トータルフットボール”を披露してサッカー界を席巻していたクライフとミケルス監督は共にスペインのバルセロナへ移籍。このトータルフットボールを移植させます。これは今現在語られる「バルセロナのサッカー」です。つまり、バルセロナのサッカーとはアヤックスから移植されたモノ。クライフは選手としても監督としてもバルセロナにトータルフットボールを植え付け、カタルーニャ文化を象徴するサグラダファミリアを設計した建築家アントニ・ガウディのように”革命家”として伝説となっています。
そして、そのクライフの跡を継いだ歴代のバルセロナの監督には、ルイス・ファン・ハールやフランク・ライカールトといったクライフの教え子となる指導者がトータルフットボールを現代まで引き継ぎました。そして、クライフに見出されたジョゼップ・グアルディオラによって、より現代的なトータルフットボールとしてブラッシュアップされ、彼の在籍期間4年の間に就任初年度の3冠含むリーグ戦3連覇と2度のチャンピオンズリーグ優勝を遂げ、”世界最強”のチームが誕生しました。
しかし、グアルディオラはミケルスのような「発明家」でも、クライフのような「革命家」でもありません。ミケルスとクライフが完成させた哲学を現代版にアップデートさせた多くの継承者の1人に過ぎません。
そこで、グアルディオラは2013年からクライフの”天敵”であるベッケンバウアーが名誉会長を務めるバイエルン・ミュンヘンの監督に就任しました。犬猿の仲だったクライフVSベッケンバウアーは互いの実力は認めても、それを受け入れる事はなく、ベッケンバウアーは今でも「バルセロナのサッカーはいつまでパス回してるんだ?眠くなる」と揶揄していますが、グアルディオラがバイエルンの監督に就任して1年半が経過した現在、バイエルンのサッカーには間違いなく、アヤックス発祥→バルセロナ経由のサッカーが観てとれます。
バルセロナがアヤックスのサッカーをして、「これが伝統的なバルセロナのサッカーです。」と言い出すように、もうしばらくすると、バルセロナのサッカーをするバイエルンが、「これが伝統的なバイエルンのサッカーです。」と言い始めるかもしれません。その時、グアルディオラはドイツで「革命家」と言われるのでしょうか?