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「王者」サンフレッチェ広島の歴史〜『紫熊の冬眠』時代

Jリーグ王者サンフレッチェ広島の強さ~暗黒時代に見えた希望の光

 昨年の明治安田生命J1リーグ第2ステージを制覇し、年間勝点1位となって改めて年間優勝を決める明治安田生命Jリーグチャンピオンシップを制覇したサンフレッチェ広島。

 絶対的な強さだった。両ステージ合わせて34試合で73得点と30失点はリーグ最多得点・最少失点。さらにJ1リーグが18チーム制のホーム&アウェイ戦による年間総当たり2回戦制度になった2005年以降の年間勝点では史上最高となる74ポイントという記録まで樹立。その上で、森保監督体制になってからはフェアプレーランキングでも4年連覇を達成している。文句のつけようのないない成績、内容、戦い方、イメージだ。

 サンフレッチェの年間勝点1位は2012年に森保一監督が就任してから4年間で3度目。まさにJリーグの歴史における“広島時代”が到来している。

 日頃の行いも良いのか?彼等はリーグ初制覇した2012年や昨年の第2ステージ最終節もチャンピオンシップの第2戦も本拠地エディオン・スタジアム広島で優勝を決める事ができた。サンフレッチェのクラブとしての歴史をサッカーの神様は祝福しているようだ。いや、サンフレッチェを助けて来た広島県民や市民の方々への感謝の心がホームでの優勝決定という、ファン・サポーター冥利に尽きる事象を引き起こしているのかもしれない。2012年の初優勝時、試合前は雨が降っていたにも関わらず、試合直前に雨が止んだ空には虹が昇っていたように。サンフレッチェを愛する人々はそれをウイング・ザ・レインボーと呼ぶ。

 しかし、そんなサンフレッチェは1993年に開幕したJリーグにおける「オリジナル10」として最も遅く主要タイトルを獲得したチームだった。(1994年のステージ優勝はチャンピオンシップで敗退したため、主要タイトルとは数えない)

 サンフレッチェのマスコットであるサンチェ君はご承知の通り、熊である。熊は一般的に冬の時期は冬眠しているが、冬眠に入る前には長い冬の季節を凌ぐだけの栄養を蓄える。2012年、Jリーグが開幕から20年の節目を迎えるシーズンに初めてリーグ制覇を果たしたサンフレッチェの歩みはそんな“冬眠”の時期を乗り越えて現在の“広島時代”に至っている。

現実路線の意味~久保竜彦の覚醒と育成環境の整備


(成績表スクリーンショット)
※は年間15位でJ2降格、※2は入れ替え戦の末にJ2降格。
 

 華々しいJリーグ創世記。サンフレッチェ広島はハンス・オフトやスチュアート・バクスターなど歴代の外国籍監督がもたらす欧州式の組織的なサッカーでステージ優勝を果たすなど空前の“Jリーグブーム”と呼ばれる時代を謳歌していた。ピッチには後に監督になる森保一や風間八宏、高木琢也、イワン・ハシェックといったインテリジェンスに溢れる選手が揃っていた。盧廷潤やパベル・チェルニーのような独特の雰囲気を持つ実力者が揃っていた。

 しかし、そのブームが過ぎ去った後、サンフレッチェにも当然のように暗黒時代が到来する。悪い事は連鎖し、クラブの筆頭株主でメインスポンサーでもある自動車メーカーのマツダも経営難に陥る。前身のマツダSC時代からの親会社の経営不振により、クラブは主力選手の大量放出に踏み切り、1997年オフにはFW高木琢也・FW盧廷潤・DF路木龍次が退団。現役だったMF森保一(現監督)も期限付き移籍でチームを離れた。翌年にも当時の日本代表の主力だったDF柳本啓成までもが退団する。