5〗Eduard Streltsov Stadium / モスクワ

酒は飲んでも飲まれて醜態を晒すな

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カバ-写真の缶ビ-ルにはЖигулиの六文字。ジグリ·バルノイェ:Zhiguli Barnoyeはモスクワではかなりポピュラ-なビ-ル。名前の由来はモスクワの新アルバート通りにあったレストラン。醸造技術が発展し品質は向上しても、1968年にこのお店で考案された独自の配合が現在まで引き継がれている。モスクワでビールやウォッカを鱈腹呑んでも酔いつぶれたことはない。異国で精神·肉体ともに緊張が緩まないからか。


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日本国内では緩みっぱなし。雪が積もる中気持ちよく大の字で寝ていたら「兄ちゃん死んじゃうよ」と地元の方(広島)に介抱してもらったのは若気の至り。雪で気が付かなかったがどうやら車道のど真ん中だったらしい。それにしても30歳を過ぎていたから若気とは云えない。

『ロシアのペレ』 ストレリツォフの名前は永遠に

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第六話はトルペドの本拠地、エドゥアルド·ストレリツォフ·スタジアム。
1990年7月22日に喉頭癌で鬼籍に入ったロシアのペレことストレリツォフ:Eduard Streltsov【1937年7月21日生-1990年7月22日没】。その功績を称えトルペド·スタジアムは彼の名を冠する事に。訪問したのは2021年の秋、このシーズンはファーストリーグ(二部)優勝で2014-15以来となるプレミア昇格を果たしたトルペド。普段は無表情で不愛想のロシア人サポーターも試合後には笑顔でビールを流し込んでいただろう。クラブの母体である国営自動車メーカーは連邦崩壊で国内市場を外国企業に奪われる。経済的困窮によるクラブチーム存続の危機。売却されると’09年アマチュア(四部)からの出直した苦い過去を持つクラブ。


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週末に露プレミアの試合取材は済ませたので、平日の夕方はスタジアム横のコートで小学生年代の練習を保護者と一緒に見学させてもらう。
「自分の子供がいるわけでもないのに、この東洋人は何が楽しいのか。」 不思議そうな視線が自分に向けられているのは自覚しているが気にもならない。眺めながら我が息子の小学生年時代、指導に携わった経験を振り返る。大変だったのは降雪の朝。氷って固まる前にスコップで小学校グラウンドの雪を取り除く作業。一緒に汗を流す教員には20代の女性もいてこの重労働は少々気の毒に。本年は積雪がないことを願うがそんな生易しい状況ではないのか。

あの日あの時は■2015年5月22日ロシアプレミアリーグ29節トルペドモスクワ対FCウラル·スヴェルドロフスク·オブラスト 

このシーズン、最も印象深いのは降格してしまうトルペドが王者ゼニト相手にフッキ:Huwki【1986年7月25日生】の得点でリードされながらアディショナルタイムに追いついた試合。しかしこのホームゲーム別の会場。従ってエドゥアルド·ストレリツォフでのウラル·スヴェルドロフスク·オブラスト戦をセレクトした。


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残留争いの14位と15位が直接対決。ウラルのストライカー90番フョードル·スモロフ:Fedor Smolov【1990年2月9日生】。写真はロコモティフ·モスクワ在籍時の2019年ゼニト戦を撮影。一方トルペドのワントップは横浜Fマリノス、コンサドーレ札幌でもプレーしたポルトガル人ウーゴ·ヴィエイラ:Hugo Vieira【1988年7月25日生】。