ぷら~り欧州蹴球場百景【42】ヒデクチ・ナーンドル・シュタディオン / ブダペスト

もはや狂喜の祭典と化したロシア大会。その主役は日本代表であり、火中の栗を拾った西野劇場は幕を閉じた。

幕開けは5月19日コロンビア戦。敵将はアルゼンチン人のホセ・ペケルマン。
勿論、前回ブラジル大会で、ザックジャパンをコテンパンに叩きのめした指揮官を知らないサッカーファンはいないだろうが、我々の世代にとっては、95年カタール、97年マレーシア、2001年の自国開催とU20で世界を三度制した「育成の名手」のイメージが強い。この95年カタール大会以降、Jリーガーで構成された日本代表がアジア予選を突破して本大会に出場しているが、93年豪州大会のアジア予選(92年UAE開催)は、西野朗監督と山本昌邦コーチで挑み、宿敵韓国の前に苦汁を飲んだ。大会後西・山コンビはこの世代を託され、アトランタ五輪を目指すことに。

第42景はハンガリーの首都、MTKブダペストの本拠地。ヒデグチ・ナーンドル・シュタディオン・スタジアム。

コチラで書いたとおり、初訪問時は2013年6月。あすみさんが持っているのは、シーズンの最終戦のチケット。


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現在は近代的なスタジアムに様変わりしプレス・ジャケットもこのようなオリジナルデザインを採用しているが、5年前は日本円に換算して1000円もしないチケットを購入していた。プレス席、VIP席と一般席の区別もなく、古巣を応援しに来た代表のエース、ジュジャークを簡単に見つけることもできた。

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試合前に列挙されたベンチ入りメンバー氏名に目をやり「さすがに知っている選手はいないだろう」と半ば諦めていたのだが、・・・いた。
記憶に自信がないので、宿に戻りPCを開いて確認した。

この日、MTKブダペストの対戦相手は デブレツェンVSC。ベンチに控える背番号7はティボル・ドンビ。


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1996年7月25日オーランド・シトラスボウルスタジアム
最終戦で対戦したハンガリー五輪代表の右ウィンガー。同じく背番号7の赤いユニフォーム姿のドンビと、マッチアップした背番号3は鈴木秀人。(日本から見て)左サイドで繰り広げられたスピーディーな攻防にブラウン管の前で釘付けとなった。
1973年11月11日生まれなのでこの時39歳の大ベテラン。そんな彼も2016年にスパイクを脱いでいる。


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最終戦を前に敗退が決定していたハンガリー五輪代表ではあるが、金メダリストのナイジェリアとの初戦は0-1、ブラジル戦でも一度は同点に追いつくなど、欧州予選を勝ち抜いてきただけのことはある。


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それにしてもこのシチュエーションは出来過ぎ。だからこそ西野監督も敢えて火中の栗を拾いにいったのか?
初戦は南米勢の中でもブラジル、アルゼンチン同様攻撃的気質のコロンビア。(ウルグアイやパラグアイ、チリは守備的に分類される。)二戦目は身体能力が高いブラックアフリカン。
ナイジェリアに比べ、守備面での規律=組織面で優れたセネガルは今回アフリカ最強の誉れが高い。そして最後に東欧の古豪は、ハンガリーの隣国ポーランド。