59〗Anfield / リヴァプール

フットボ-ルでは’81年のフラメンゴ戦、’84年のインディペンディエンテ戦とトヨタカップでの来日もよく覚えてはいるが、1988-89シーズンの悪夢《ヒルズボロの悲劇》で表舞台から消え情報も途絶えた。
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そんな低迷期にあって1992年にスポンサー契約を結んだのがカールズバーグ社。2010年にユニフォーム胸のプリントをスタンダードチャータード銀行に譲ったものの公式ホームぺージを開くと、日本航空/講談社の日本企業二社と横並びでお馴染みのロゴが表示されていた。
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リスボンでの激闘 勝負の流れを変えた退場劇

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2001年2月ASロ-マ戦は、レッズサポ-タ-の聖地アンフィ-ルドに日本人が初めてピッチに立った記念すべき試合。UEFA杯の試合では中田英寿:Hidetoshi Nakata【1977年1月22日生】がトップ下に君臨したASローマは敵地では0-1で勝利したものの、初戦のホームを0-2で落としていたから八強進出はならず。勢いづいたリヴァプールがUEFA杯を制し、FAカップ、リーグカップと併せ三冠制覇を達成している。
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それから九年後、2010年4月1日ポルトガルのリスボン。
UEFAヨーロッパリーグ準々決勝を観戦。両クラブのレプリカを着た六万二千を超える満員のサポーターで真っ赤に染まったエスタディオ·ルス。アウェーユニホームでも胸にライバー·バードと炎のエンブレム、そしてカールズバーグの文字。右ウィングにディルク·カイト:Dirk Kuijt【1980年7月22日生】、左にライアン·バベルのオランダ代表コンビ。アウェーのレッズが先制した試合は三十分なんとバベルの一発退場で数的不利に。リヴァプールもフラムが相手であればドローに持ち込めても十五年前のポルトガル王者は南米から集めた曲者揃い。リーガやプレミアの上位クラブ相手でも互角に渡れる。’05年にイスタンブールで奇跡を演出したラファエル·ベニテス:Rafael Benitez【1960年4月16日生】を以ってしても打つ手なし。この試合はベンフィカに逆転負けを喫している。
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時代のスタ-が見つかるフュ-チャ-カップの記憶

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黒に差し色でゴールドがあしらわれたアウェーユニフォームも見栄えはしたがリヴァプールといえばやはり上から足元まで赤で統一したホームユニ。
ところがその姿をまさか四日後に見ることができるとは。但しカールズバーグのロゴはない。この年創設された国際クラブの交流戦『Future Cup』に招待されたのはリヴァプールU17チーム。

この年は正直目立ったタレントが見当たらず、不本意な結果を残して英国への帰路に就く。翌11年はデニス·プラ-ト:Dennis Praet【1994年5月14日生】のアンでルレヒトに連覇を阻まれたが次の’12年に奪回したのはホストのアヤックス。マンチェスタ-ユナイテッドとのPK戦を制したこの世代ではケニー·テテがトロフィ-を掲げている。
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