’23年のUEFAユースリーグ決勝の舞台は国連欧州本部のあるジュネーブ。この年の覇者AZアルクマールU19の前に5-0の大差で敗れ涙を飲んだが、マンチェスターシティを下して勢いにのり、ボルシアドルトムントとのPK戦を制し準決勝ニヨンではACミランU19を退けたのはハイデュク·スプリトのユ-スチ-ム。マリジャン·ブディミル:Marijan Budimir【19/10/1980年10月19日生】と二人三脚で若者達を導いたのは’20年からアシスタントコ-チを務めるミリッチだった。この時ミリッチ二十八歳。?が頭に浮かび検索してみるとハイデュクの公式HPから’18年ミリッチとの契約解除のア-カイブを見つけた。怪我で現役生活の幕を閉じこのザプレシッチ戦がラストゲ-ムになっていたことを五年以上経ってから知る。
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カバー写真は愛蔵本の『東欧サッカークロニクル』。著者の長束恭行:Yasuyuki Nagatsuka 【1973年1月9日生】氏は、2001年9月からザグレブに10年間在住の《クロアチアの達人》。長束氏のnoteには2004年にモドリッチがプレーしていた当時の貴重な写真が掲載されている。イヴァン·ラリャク·イヴィッチのスタンドが賑わっていて驚く。
多くのサッカー関連の書籍を拝読してきたが、同書の中でFCシェリフ·ティラスポリとの試合が開催されるモルドバの沿ドニエストルまで悪名高きバッド·ブルー·ボーイズ一行に随行した体験談ほど笑える話はない。今や猫も杓子もYouTuberの時代に無謀な企画も珍しくないが、この長束氏の旅だけは絶対無理。その行動力には脱帽する。『東欧サッカークロニクル』に収録されているのは2002年から2014年にかけて取材·発表されたルポルタージュ。’92年の学生クイズ王が東海銀行=現·三菱UFJ銀行に就職しながら、ほんの数年前の独立戦争で一万人以上の死者を出した国へと移住。言語をマスターして前述の悪の軍団と大冒険。その経歴とストーリーには池井戸潤:Jun Ikeido【1963年6月16日生】氏も半沢直樹も唖然とする。
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欧州でも変わり続ける日本人のイメージ
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インターネット時代の夜明け前、日本ではリアルタイムの情報が入手できない頃、欧州のTVニュースでは国連·明石氏のザグレブでの映像が流れていたことを後年知った。GDPランキングではインにも抜かれ五位に後退した日本。’90年代半ばひとりあたりのGDPが世界2位ならば防衛費予算も世界2位。しかし「金は出しても手は汚さない」火の粉は被らないのがジャパニーズ。ザグレブからサラエボへと一貫して中立の立場で和平調停に向けて奔走した明石氏は欧州における日本人のイメージを大きく変えた。長束氏自身、巻末では日本人がプレーしたことのないリーグのほうが珍しくなったと記している。
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実際UEFAチャンピオンズリーグの華やかな舞台と凡そかけ離れた旧東欧諸国のリーグに、リスクも顧みず果敢に挑む若者達が間断なく続き日本人のイメージも変わりつつある。十代のシェリフサポーター達はディナモサポーターの東洋人に面食らうが、ディナモはフーリガンだからと優しく忠告する長束氏の何とも日本人らしいエピソード。ちなみに名前はバッド·ブルー·ボーイズだが、彼らがアウェ-にやってくればフィールドはこんな風に真っ赤な状態。投げ込まれる発煙筒の数は一桁ではおさまらない。
そのFCシェリフ·ティラスポリで昨年四月までコ-チ職に就いていたミリッチの足取りがその後掴めていないが現在三十歳。ご活躍とご健勝を東洋の島国から祈りたい。〖第百一話了〗
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