9〗Campo de Fútbol de Vallecas / マドリッド

お世話になってます コスタコーヒー

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羽田空港の第三タ-ミナル五階だけでなく欧州各都市の空港内で見掛ける《コスタコーヒー》。イタリア·パルマから移ったコスタ兄弟が1971年創業した地は英国のロンドン。今や欧州各都市の空港でもよく見掛け結構利用もしている。空港のフリ-Wifiの受信状況が悪く、急いでいれば迷うことなくコスタコーヒーの店舗前に立ち止まる。通信速度は申し分ない。

珈琲豆の生産国一位、不動のブラジルは消費国でも二位にランクイン。No.1はアメリカ。三位は欧州ではトップとなるドイツ。確かに朝駅のホームでカップを手にする人を見掛ける。そして四位にアジア代表の珈琲党である我が国が続く。ヴィクトリア駅からテート·ブリテンに向かう際に何度か通ったヴォクスホール·ブリッジロード:Vauxhall Bridge Roadに記念すべきコスタ1号店がオ-プンした記念すべき場所。


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ポルトガル語圏からは多くのコスタがフットボーラーとして栄光を手にしている。筆者世代ならばコスタと聞けば先ずはルイ·コスタ:Rui Manuel Costa:【1972年3月29日生】。今やSLベンフィカの会長におさまっている。

マドリッドで明日のジョーを撮影するならここしかない。

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フランコ没後のスペイン、モビーダ·マドリレーニャが国全体へと拡がったのは80年代。経済成長と共にこの革命的な文化運動と、新たな価値観を掲げる若者たちのエネルヒーアで、眠らない刺激的な街へと大きく変貌を遂げたマドリッド。この頃、薬物の氾濫で著しく治安が悪化したのが南東部に位置するヴァジェカス地区。2009年のこのヴァジェカス地区を初めて訪問した際、道端を歩いているとマリファナの臭いが鼻についた。現在でもスペインではマリファナを厳重に取り締まる気配はない様子。合法化という表現は不適切だが、個人的な使用目的での栽培ならば御咎めなし。公共の場で吸った場合に限り罰金の対象。それにしても昭和のドヤ街を思わせるのがヴァジェカス地区。お若い方にドヤ街と言っても分かり難いか。肉体労働者が多く少々柄は悪いが基本住宅街でスラムや貧民窟のように貧困層が集まっている危険エリアとは違う。漫画『あしたのジョー』で知られるようになった現在の台東区や荒川区にドヤ街があった。

横を通ると悪臭が目に染みるスタジアム

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第九話はマドリードのカンポ·デ·フットボル·デ·ヴァジェカス。カバー写真のマフラーもその’09年にオフィシャルショップで購入したもの。当時新スタジアム構想を発表したはずが、十年後に訪問してもまったく変らぬたたずまい。スタジアム名でもあった女性会長の名前だけ抜け落ちて空白に。スペイン初の女性クラブオーナーがその役職を退いてたのは2011年のこと。オフィシャルスポンサーがフランスのパトリックから自国のケルメと変わっているのにも気づいたが、それぐらいか。労働者階級の下町、熱狂過ぎるラーヨサポーター=ラジスタスも、この街も嫌いではない。但し公道でマリファナを楽しむ輩よりも悪臭の元凶、スタジアム外壁への放尿だけは勘弁してほしいのだが。


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晴れ男を自負する自分にしては非常に珍しいレイ二ーデー。スペインでも雨が降るのかと思いつつ、試合もないのにスタジアム周辺を彷徨きカメラを取り出す。バジェカスがユニークなのは隣のマンションとの距離が異常に近い。もはやスタジアムの一部。住人からすれば自宅の庭で試合が行われている感覚である。

ヴェジェカーノで汗を流す競技者達

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総合スポーツクラブであるラーヨ·ヴァジェカーノに各競技種目の部門があるわけではなく、マドリッド市の各スポーツ協会がバジェカスの中に練習施設を置いている。バラエティ豊かな看板が並ぶ。ボクシングジムの”エルラヨ”はスペインでも屈指の名門。泪橋の下に丹下団平がこさえたジムとは比較にならない。
映画『ハスラー2』(1986年制作)を劇場で鑑賞し、プールバーに通った世代からするとビリヤードは見ているだけでも楽しい。小学生の息子と競ったのも懐かしい想い出。卓球もラケットが描かれているのでわかるとしてチェス協会。別にトレーニング施設はいらないし、そもそもスポーツなのかと疑問符が。それにしても欧州のスタジアム近郊では、体操やテニスなど汗を流して帰宅前の女の子達をよく目にするが、
ここは雰囲気が異なる。自分の娘をこんな所には通わせない。それでも2000年にラーヨの女子部が誕生しこれまで日本人女性フットボーラーおふたりが過去に所属している。