テキストテキストテキスト

テキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキスト
23 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【17】メスツスキ・フォトバルコヴィ・スタディオン・スルブスカ / ブルノ

By | 2018-02-23T21:31:49+00:00 2月 23rd, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

今回からカバー写真のモデルが大山成美さんに。そして四月の帰国まで週2本のペースで掲載する過酷なスケジュールが始まった。編集部から強制されたわけではないのだが、Jリーグ創生期の水曜・土曜・週2回開催が基本+Vゴール採用を思い出す。「この日程が熟せないようでは世界とは闘かえない」と川淵三郎チェアマン(当時)の叱咤が耳元から離れない今日この頃。 第十三景で取り上げたコメルツバンク・アレーナ。第23節の勝利で三位まで浮上。好調フランクフルトを牽引する主将の長谷部誠。およそ一年前、奥寺康彦氏のブンデスリーガ日本人選手最多出場記録を更新し今も「鉄人ぶり」を発揮する。既に34歳を超えた彼が半年後に控えたFIFAワールドカップ・ロシア大会に臨む日本代表において不可欠、 唯一無二の存在であることに異論を挟む余地はない。 長谷部のブンデスリーガで歩んだ道程はけして順風満帆ばかりではない。2010-2011シーズンのヴォルフスブルグは大不振。鬼軍曹マガトを復帰させるもシステムが定まらす、頻繁に選手を入れ替え混迷のままシーズン終了を迎えた。特にセントラルミッドフィルダーによる定位置争いは、熾烈を極めながら効果を発揮することなく、長谷部も苦悩していたのが11-12シーズンだったと記憶している。 ◆◆◆◆◆◆ 第十七景はチェコのブルノ。チェコと云えばビール。17年間大手ビールメーカー、ガンブリヌスが国内リーグ一部の冠スポンサーを担う。試合前プレスルームでサンドイッチと一緒に手渡されたビールの缶は同国では御馴染みの王様の絵柄。現在の冠HETは塗料メーカー。 ◆◆◆◆◆◆ チェコ共和国の都市&スタジアムを取り上げるのも今回が初めて。まずは彼女の右手にあるのは地元FCズブロヨフカ・ブルノが、1FCスロヴァーツコと対戦した2017年10月14日のマッチデープログラム。メスツスキ・フォトバルコヴィ・スタディオン・スルブスカに訪れた観客は3800人。試合はホームチームが、前半ロスタイムに先制、後半ロスタイムにダメ押し。 その後1点を返されたがブルノは勝利を手にしており、開幕当初の不振から徐々に調子を上げていた。 ◆◆◆◆◆◆ この日はカードを貰ってしまい、残り7分でベンチに退いたのが大ベテラン、ヤン・ポラーク。間もなく彼は37歳の誕生日を迎える。前述の11-12シーズンのヴォルフスブルグでは暫定監督ケストナーがボランチに固定したのがポラーク、長谷部は一列前の右サイドとボランチで併用される扱いだった。 そのポラークはこの街の出身。プロデビューしたクラブに戻り、ドイツでの188試合を含む栄光のキャリアに間もなく終止符がうたれようとしている。 ◆◆◆◆◆◆ 一方成美さん左手のプログラムは、2017年12月02日16節同スタジアムでのズリーン戦。この試合を終えると長いウィンターブレークに。 都内は年が明け二度の積雪に悩まされたが、11月末には同程度まで気温が下がるチェコ。ピッチサイドの凍った雪を避けて歩を進めた。 ◆◆◆◆◆◆ 12位まで順位を上げたブルノに対しズリーンは9位。しかしこのクラブ昨季のカップ戦覇者で今季はUEFAヨーロッパリーグに同国を代表してエントリー。10月にはデンマークの強豪FCコペンハーゲンとホームで引き分けている。格上で荷が重いかなと思いきや、ブルノが前半に先制。69分退場者を出して万事休すと思われたズリーンが83分の同点ゴールでドローに持ち込んだからフットボールは判らない。 ◆◆◆◆◆◆ 残念ながらポラークはベンチにも入っていなかったが、この日筆者のお目当ては、ズリーンでキャプテンマークを巻いた8番ペトル・イラーチェク。彼は2011年冬にヴォルフスブルグに加入。2012年1月28日、首位バイエルン・ミュンヘンの本拠地に乗り込んだヴォルフスブルグ。マガトは右サイドハーフに長谷部、その後ろにイラーチェクを配した。この試合ボランチのクリスが前半で負傷退場。急遽長谷部とイラーチェクのコンビに変更している。翌月10日の21節フライブルグ戦では先制点と決勝点を決めて得点力もアピールしたイラーチェク。 翌週は22節シャルケとのアウェー戦。スタメンン復帰の長谷部だが与えられたのは4-2-3-1の右サイド。イラーチェクはボランチ、内田篤人がフル出場したシャルケに4-0と大敗を喫した。 2012-13シーズン有り余る中盤選手は整理されイルーチェクはハンブルガーSVへ。ケストナー暫定監督は、長谷部とポラークのダブルボランチを試したが、年明け就任したヘッキングから任されたポジションは右サイドバック。しかしこの急造SBで結果を残す。日本のメディアにも取り上げられた2013年5月5日こどもの日。ハンブルガーSVとのアウェーゲーム。ヴォルフスブルグは中盤の底にポラークとセルビア人のメドジェヴィッチ。ペルシッチのクロスに長谷部がダイビング。劇的なゴールが生まれる。この日この瞬間も長谷部をマークしていたのは元同僚、長髪髭面のチェコ人だった。ちなみにフランクフルトで長谷部と再会したメドジェヴィッチは昨季をまるまる怪我で棒に振り、この冬ダルムシュタットへ。2016年3月12日ボルシアMG戦が長谷部と共に中盤を形成した最後の試合となった。

20 02, 2018

なでしこリーグ2部昇格のバニーズ京都SCが新体制を発表!~現日本代表候補のFW谷口木乃実、元代表DF加戸由佳らが新加入

By | 2018-02-22T23:33:49+00:00 2月 20th, 2018|Categories: コラム, なでしこジャパンコラム, なでしこリーグコラム|Tags: , , , , |0 Comments

・補強ポイントは「スピードのあるFWと経験値の高いDF」
・すでに食生活を支えている新人選手も
・千本監督「良い結果を出すために“バニーズらしさ”を!」
・大木イズムも浸透するバニーズ京都
・次回予告:加戸由佳選手インタビュー

20 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【16】エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ/リスボン

By | 2018-02-20T10:54:04+00:00 2月 20th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

卒業シーズンには少々早いが今回でカバー画像の花園ななせさん卒業。3ヵ月半計16回UPした中で、個人的にこのショットが一番気に入っている。 曇り空の適度な自然光の中で撮影したが、この写真だけ簡易レフ板で光、正確には光ではなく影を調節した。 《ななせさん有難うございました。今後のご活躍を祈念しております》 彼女の首に巻かれているのはスポルティングCPのマフラー。日本ではスポルティング・リスボンの名前が根を下ろす。 第十六景はエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ。これほど豊富に彩られたスタンドは中々お目にはかかれない。より際立たせるのはイベリア半島の強い陽光。 UEFA欧州選手権開催のために新設された空間を手掛けた建築家・デザイナーの名はトマス・タベイラ。60年代リスボンの美術学校を経て、大西洋を越えた彼はマサチューセッツ工科大学:MIT)にて地域・都市計画の大学院学位を習得、その後カリフォルニア工科大で教鞭を振るう。70年代リスボンとサンパウロにオフィスを構え、同国のポストモダン建築を牽引した巨匠。 ◆◆◆◆◆ 筆者が訪問したのは2010年4月2日第25節対リオ・アヴェ戦。金曜のナイトゲームとあって観衆は1万6400と少々寂しい。前日ルスでのリヴァプールサポーターを含む5万人の熱狂が脳裏に焼きついた直後だけに、寂寥感も一入。 ◆◆◆◆◆ 前年までのFCポルトの一強時代に終止符を打ち、ジョルジ・ジェズス率いるベンフィカが席巻するのを横目にスポルティングは迷走状態。しかし南米各国代表級をずらりと揃えたベンフィカに対し、モウチーニョ、ベレーゾ、ポスティガ、現在もゴールマウスを死守するルイ・パトリシオと自国代表のタレントを充分過ぎるほど揃えていたスポルティング。この日の試合は5-0でリオ・アヴェに圧勝している。 ◆◆◆◆◆ 今シーズン、レアル・マドリードやモナコでプレーしたファビオ・コエントランが2011年以来6年ぶりに国内復帰を果たした。ベンフィカ時代にジュズスが中盤から左サイドバックにコンバートした愛弟子。恩師の下、今期は軽傷で欠場した4試合を除き、11試合に出場。二試合連続しての欠場がなくフィットネスレベルを高く維持できているようで、14節には今季初得点も決めている。 移籍直後の昨夏8月には、ワールドカップ予選のフェロー諸島戦、ハンガリー戦にも召集されている。前回紹介したが、次回からぷらひゃく秘書の看板はななせさんから、こちらの成美さんに引き継がれる。 ◆◆◆◆◆ 田中順也がスポルティングを退団して二年が経過。金崎夢生がポルトガルを去ったのも同時期。2017年12月17日第15節。久しぶりに日本人フットボーラーがジョゼ・アルヴァラーデのピッチを踏んだ。中島翔哉。ルスでの5万2000人には及ばなかったもののこの日の観客数は4万3000人を越える。二十三歳の年齢を欧州では若武者とは呼べないが、ビッグスタジアムでの公式戦が日常になり、経験は財産として確実に蓄積される。この試合はスポルティング相手に11位ポルティモネンセも健闘したが2-0。 ◆◆◆◆◆ 左にコエントラン、この日中島が対峙した右サイドバックは、昨季まで2シーズンレアル・ベティスのレギュラーを張った、クリスティアーノ・ピッチーニに蓋をされた。実はピッチアーニは昨季、エイバルの乾と対戦した際、後ろから倒したとして一発赤退場を喰らっている。ジャポネのドリブラーには気を引き締めて臨んだか。 このイタリア人に加え、中央にはバルサからジェレミー・マシューと三人をリーガから獲得。もう一枚のセンターバックはウルグアイ代表のセバスティアン・コアテス。サンダーランド時代(2015年)には開幕戦で岡崎のレスター、サウサンプトンの吉田とも対戦している。

13 02, 2018

女子サッカーの監督は「指揮官」ではなく、「指導者」であるべき!?

By | 2018-02-19T21:06:41+00:00 2月 13th, 2018|Categories: その他コラム, なでしこジャパンコラム, なでしこリーグコラム|Tags: , , , , , |0 Comments

・バニーズ京都・千本監督「僕は何もしていません」
・監督だけが“プロ”の女子サッカー ~「ティーチング」と「コーチング」の使い分けを!
・女子サッカーは、<4-4-2>のチームばかり
・“自由”を美化してはいけない!
・女子サッカーの監督は、腕の良い「仕立屋」であるべきだ!

13 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【15】パルク・デ・プランス/パリ

By | 2018-02-13T19:34:53+00:00 2月 13th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

ウィーンのバーで昼過ぎからビールを飲み、12月11日隣国スイス・ニヨンからの映像を凝視した。日本でもスカパーが生中継されていたので、仕事帰りのスポーツバーでグラス片手に注目された蹴球狂も少なくはないはず。いきなりレアル・マドリードとパリSGとは、連日飲み過ぎて荒れた胃袋が痺れるビッグマッチ実現。 ◆◆◆◆◆◆ 第十五景のパルク・デ・プランス。パリ・サンジェルマン=略称PSGの本拠地。本業が芸術(美術)関連の筆者が欧州で最も訪れた街のスタジアム。足が向き始めたのはカタール王室の資金が流れ出した2011-12シーズンから。但し試合が翌日に延期された為キックオフの時間にはシャルル・ド・ゴールを発ち機上の人になっていた切なくも苦い思い出がある。スペインやトルコならば直前に試合開始がコロコロ変わるのは茶飯事でも、パリは手堅いだろうと油断した。 2017-18のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)・グループステージは、スタンフォードブリッジと翌日のウェンブレーに惹かれてロンドンを選択、結果パルク・デ・プランスへの連続訪問は断ち切れた。 ◆◆◆◆◆◆ 2015年に本媒体でコラム連載が始まってからは、事前のプレス申請を忘れぬよう心掛ける理由がある。 アペリティフはフランス発祥の文化。プレスホスピタリティには、各国の文化と経済状況が如実に反映されて興味深い。ミラノやウィーン、ロンドンでは「しっかり腹ごしらえしてから仕事してください」と重めの食事が用意されるもだが、パリではこんな感じ。さすがアミューズブーシュの本場。 正確にお伝えするならば、パリやリヨンのスタジアムで振る舞われるメニューは、一般的なオードブルの類。本来のアミューズブーシュとは、シェフがワインにあわせ、スプーン一杯程度の大きさで供される無料サービスと・・・フランス人からの聞きかじり。 ◆◆◆◆◆◆ まずはビールで喉を潤して三品ほどつまむ。再びビール瓶に手を伸ばしなくなるが、酒盛りに来たわけではないので、オレンジジュースで我慢する。ななせさんが持っているミニペナントには裏表にはホーム&アウェーの日付がプリントされている。2015年 レアル・マドリードを迎えてのゲーム。結果は互いに無傷のスコアレスドローだった。その両雄が今季はノックアウトステージで対戦。 ◆◆◆◆◆◆ PSG加入後初となるネイマールは「白い巨人」に対して格下意識が微塵もない。バイエルンとドルトムントの同国対決となった2014年を除けば、欧州の覇権争いはスペインとイングランド両大国に絞られて久しい。フランスに限定するならば、1993年のオリンピック・マルセイユ以来四半世紀蚊帳の外。金満と揶揄されようが、マンネリを打破する意味でPSGとスペイン勢の対戦が組まれればPSGに肩入れしたくなる。 しかし今季はレアルマドリーの勝利を願って止まない。更にはヨーロッパリーグもアトレティコ・マドリーのベスト8進出を期待する。 ◆◆◆◆◆◆ なぜかと申せば3年半ぶりのスペイン、マドリードに至っては8年ぶりに訪問するので、もし準々決勝が同市で開催されないと三週間で六カ国を巡る予定が一層過酷な日程に。 いずれにしても3月16日の抽選が終了しなければ、プラハから先の航空券が手配できない。 CL前後のリーグ・アン公式戦となると一転、アンチPSGになるのが常。

6 02, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【14】スタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ

By | 2018-02-07T06:28:51+00:00 2月 6th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

2017年最後の欧州巡回。まずは駅売店で手に取ったガゼッタ・デ・スポルト。 11月28日の日付に苦い記憶が蘇る。一面にはACミランの新監督にジェンナーロ・ガットゥーゾ就任が正式に発表された記事。年が明けてからは22節ラツィオ戦勝利を含めここまで無敗と復調の兆し。但し昨季ピサを三部に降格させた人物の手腕に大きな期待を寄せるのも如何なものかと。 写真は2008年開業したトリノ・ポルタ・スーザ駅。 ◆◆◆◆◆ リヨンからTGVで到着。この近代的な駅舎からトラムの10番線に乗って南方向へ十数分(7区間)。ポルタ・ヌォーバからもほぼ同じ距離。アクセス快適なスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ。 ◆◆◆◆◆ ヴィットリオ・エマヌエーレ2世。サヴォイア家当主が統一したイタリア王国の首都は当初トリノにあった。僅か四年の間ではあるが。トリノは当時からチョコレート、その後自動車産業、フットボールで名を馳せる。19世紀産業革命は、チョコレートの製造技術も格段に進歩させ、トリノにはマイアーニをはじめ周辺国からチョコレート職人が集まる。カファレル社を創業するピエール・ポール・カファレルの『カファレル』、『ヴェンキ(VENCHI)』と現在も名の知れたチョコレート工房がこの時代に誕生する。 ななせさんが味わったのは吉祥寺のカファレル店で購入した一品。 フランスのルノー社創業より一年遅れて1899年、トリノでジョヴァンニ・アニェッリ他数人による出資で産声をあげたのがフィアット社。「トリノのイタリア自動車製造所」頭文字を取ってFIATと命名された。そのフィアットは新型車タイプ4を発売するにあたり、チョコレートのコンペティションを企画した。この話題づくりは奏功し、四層構造のチョコレートを発表した1911年以来、現在もマイアーニのショーケースにはフィアットロゴ入りのチョコレートが並んでいる。 フィアット社創業よりも二年程さかのぼる1897年。高等学校の学生によってユヴェントスは誕生していた。1905年に全国大会で優勝するもクラブは分裂。元会長のアルフレド・ディックがFCトリノを創立する。一方エドアルド・アニェッリがユヴェントスを買い取ったことでフィアット社との蜜月、そして両クラブが火花を散らすライバル関係が始まる。 ◆◆◆◆◆ トリノでは強さの象徴が牛。街中を散策するといたる所で牛さんをモチーフにしたデザインと出くわす。また欧州屈指の美食の都でもある。ピエモンテ料理を詳しく紹介できるほどのグルメではないが、ファッソーネ牛の生肉をオリーブ油、塩、胡椒のみで味つけ、チーズを添えれば『Battuta=バットゥータ』が完成、これに優るものは無し。ピエモンテ地方はカステルマーニョチーズ発祥の地でもある。 美しいカメリエーラに赤ワインのボトルを開けてもらい、グラスに注がれたワインとのマリア―ジュは無双。ロベルト・バッジョとエンツォ・シーフォが同時にピッチに立つほど贅沢である。今や習慣となった食前酒=アペリティフも18世紀の後半からこの街で始まった食文化である。 ◆◆◆◆◆ 前述のとおりユヴェントスの後ろ盾は、フィアットクライスラーグループ。一方2013年からは日本の四輪二輪メーカー、スズキの現地法人がトリノFCの胸ロゴスポンサーに名乗りをあげる。 15-16シーズンは、ヨーロッパで販売された新型SUV「VITARA(ビターラ)」の名も。 再び2017年11月28日のガゼッタ・デ・スポルトの紙面。 ◆◆◆◆◆

30 01, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【13】コメルツバンク・アレーナ /フランクフルト

By | 2018-02-06T11:26:41+00:00 1月 30th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|Tags: |0 Comments

フランクフルト・アム・マイン。金融都市として繁栄を誇る大都市。筆者の記憶にあるフランクフルトは、富豪の屋敷にクララと執事のロッテンマイヤーさんが住む街。アルプスの大自然と対局に位置する大都市とし描かれている。 キャッチ画像のななせさんが手にしている小瓶は、シェッファホッファ。実際口に含んだ彼女も「まったり甘く、トロッとした舌(喉)ざわり」と、表現しているが本場のヴァイツェンは甘すぎて、ドライ好きの日本人の口には正直あわない。しかしこのシェッファホッファは、とろみと甘さをおさえ、程よい飲み心地。今日ドイツ全土、そして日本でも入手できるシェッファホッファは、代表的なヴァイツェン(小麦)ビールだが、バイエルンと云えばアルプス、白ビール、そしてフットボール。グアルディオラも白ビールシャワーの洗礼を浴びた。シェッファホッファはフランクフルトのコンラド・ビンディングに買収され、そのビンディングもラーデベルガー(ザクセン州ドレスデン)の傘下にあるのだが、フランクフルトで醸造されているのは間違いない。 第十三景はそのフランクフルトにあるコメルツバンク・アレーナ。 ◆◆◆◆◆◆ 地元のコメルツ銀行がネーミングライツを獲得したのは2005年。2013年12月12日ヨーロッパリーグGS最終節。対APOELニコシア戦、4-1-4-1のフォーメーション中盤4枚に左端に背番号8乾貴士の姿があった。 試合前のピッチサイドには公式マスコットAttilaアッチラを見つけた。高原直泰がハンブルガーSVから移籍したのが2006-07シーズン。同じ年に加わった新人は“本物”のタカ。 ◆◆◆◆◆◆ その高原と稲本潤一の同級生コンビ、現在所属する長谷部誠と鎌田大地に加えポルティモネンセの中島翔哉にも興味を示した日本人贔屓。しかしその歴史を紐解くとアジア各国のプレーヤーがこのスタジアムのピッチを踏んできた。 1980年のUEFAカップでは準決勝のバイエルン・ミュンヘン、決勝でボルシア・メンヒェングラートバッハを破りトロフィーを掲げたの範根車(チャブンクン)。ちなみにボルシアが準決勝で対戦したのはシュツットガルト。同年のチャンピオンズカップでは惜しくもノッティンガムフォレストに敗れ銀メダリストを手にしたのはドイツ王者ハンバルガーSV。ブンデス黄金時代を象徴している。この年この街で生まれた範根車の実子、車 ドゥリも同クラブでプレー、90年代半ばには豪州代表のネド・ゼリッチがプレーした。2002年に浦和レッズでプレーした彼は現役引退後コメンテーターとして豪州のTV画面で頻繁に目にする。1998年には楊晨(ヤン・チェン)が欧州のトップリーグで初の中国人プレーヤー登場と話題に。そして高原、稲本と同時期にはイラン代表メフディ・マハダヴィキアが在籍していた。 ◆◆◆◆◆◆ 2007年9月16日第5節 フランクフルトはホームでハンブルガーSV戦。前節アウェーのブレーメン戦で初黒星を喫したが稲本はスタメン、コンディション不良で出遅れていた高原も右サイドハーフながら後半投入されている。因縁のハンブルガー相手に、日本人初の揃い踏みでホーム三連勝を飾った。あれから十年の歳月が流れている。 当時この試合に注目した理由は複数あり、1998年6月25日大宮サッカー場で観戦した際の記憶もそのひとつ。正式な名称は、大宮公園サッカー場で同公園の南端に位置している。駅から歩くと「神社はあっても公園がないじゃないか」とぼやきながらも、東京五輪年生まれとしては、同五輪で使用された日本初のサッカー専用球技場を感慨に耽りスタンドから眺めた。 ◆◆◆◆◆◆ ピッチ上では翌年ナイジェリアで行われる世界選手権(現U-20)を目指す若者達が躍動していた。同時期開催されたFIFAワールドカップ・ジャマイカ戦に小野伸二が出場。市川大祐も帯同中で不在。主将の高原に関しては既にジュビロ磐田でのプレーを数回目の当たりにしていたが、稲本のプレーを生で観るのはこの日がお初。チケットぴあで購入し代金800円が格安に感じるほど、本山雅志が存分にキレキレのドリブルを披露する横で、前年に最年少=17歳6か月でデビューしたJリーガーは、格下相手ながら拾い視野の広さでバランスを考え「抑えてるな」と感じた。隣の友人も「酒井友之【※集合写真7番】と組ませるなら稲本もっと前でよくねえか?」呟いていたと記憶する。 ◆◆◆◆◆◆ その後、大改装を経て「ナクスタ」と呼ばれるようになると車で数回観戦に訪れていたのだが、昨年10月、およそ20年ぶりに大宮駅東口から氷川神社入り口に向かって歩を進めた。 きっかけはサッカルチャー編集部の責任者がヴェルティ・ユース出身なのにホームタウン活動の参加経験ないと聞いて“それは怪しからん”と、NPO,NGO経験豊富な筆者同行で取材を兼ね「大宮クリーン大作戦」に参加した。ホームゲーム開催週に加え、毎月第4金曜日に大宮区役所職員と合同で実施している清掃活動。

23 01, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【12】テリア5G アレーナ/ヘルシンキ

By | 2018-02-06T11:30:14+00:00 1月 23rd, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

 W杯欧州予選。グループIの大混戦。6節終了時点で首位クロアチアとアイスランドが同勝ち点。2点差でトルコとウクライナが追う四強二弱。 当時、日本代表がこのグループに入って、予選突破はほぼ不可能でもフィンランドには勝てるかなと甘く考えていたが冷や水をかけられる。 ところが、この時点で未勝利ポイント1のフィンランドが 秋になると火に油を注いで掻き回す。 第7節9月2日北欧対決。フィンランドがタンペレのRatinan Stadionでアイスランドを破って初勝利を手にする。 10月6日第9節リエカに乗り込み 1-1クロアチア代表相手にドロー。 これがフットボールの本場、最激戦区欧州の醍醐味なのだ。 ◆◆◆◆◆  第十二景はフィンランドのヘルシンキに在るテリア5G アレーナ。昨年改名されたが筆者訪問時の2015年5月21日はソネラ。その前はフィンランド航空の企業名を冠していた。 2017年12月21日、テリア社を含む世界の通信モバイル関連大手30社は、2020年の実用化を目指す次世代移動通信”5G”の標準仕様の初版策定が完了したと発表した。 2002年フィンランドのソネラとスェーデンのテリア社が合併し社名もテリア・ソネラ社に。そして一昨年の社名変更でソネラの名前こそ消えたが、同社の株式の4割は両国政府が所有(フィンランド政府は全株式の13%)している”ほぼ半国営企業”。 ◆◆◆◆◆  9節首位SJKを追う二位HJKヘルシンキは、この日5位のインタートゥルクと対戦。ラスムス・シュレル、ロビン・ロド、そして田中亜土夢、この三人の中盤がテンポ良くボールを繋ぐが、最終ラインに5人を配するゴール前の壁に阻まれスコアレスで後半へ。この試合の結末についてはhttp://soccerlture.com/many_words_in_football/2/に記したので割愛するとして、試合後サポーターに挨拶する31番の姿が印象に残った。 ◆◆◆◆◆  夏のメルカートでギリシャのパナイシナイコスへの移籍が決定した彼はヘルシンキ生まれ、育成部門出身の生え抜き。住み慣れた家から巣立つ息子とファン・サポーター達が、惜別と激励の抱擁が交わされるフィナーレ。 ◆◆◆◆◆  2017年11月9日ヘルシンキ・テリア5G アレーナ エストニア代表を迎えての親善試合。2020年のユーロを目指す新生フィンランド代表。右守備的ハーフにラスムス・シュレル、同サイドハーフに旧友ロビン・ロドが二年半ぶり登場し古巣は盛り上がるのかと思いきやこの日の観客数は2200人。ちなみにロビン自身この二年間、代表にも頻繁に召集されておりW杯予選も冒頭に述べたリエカでのクロアチア戦を除けば全て出場している。 ロドの2ゴールを含め3-0の完勝。今振り返っても田中亜土夢、ロド、シュレルで構成した中盤はフィンランド国内屈指。

22 01, 2018

FC岐阜に花を咲かせる大木武監督~ユースや地域リーグ、女子サッカーを経て

By | 2018-01-22T09:55:01+00:00 1月 22nd, 2018|Categories: J2リーグコラム, コラム, サッカーほのぼの, なでしこリーグコラム|Tags: , , , |0 Comments


・大木武監督は「問題のある監督」?
・愛される“大木イズム”
・バニーズ京都の2部昇格に立ち会った大木監督
・“ハナサカサッカーおじさん” 大木監督

Load More Posts