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16 07, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【45】エスタディオ・モンティリビ / ジローナ

By | 2018-07-16T06:53:26+00:00 7月 16th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

フランス二度目の優勝で閉幕。FIFAワールドカップ・ロシア大会は、クロアチア、ベルギーの躍進、日本代表の大健闘も含め、史上最高と絶賛されたブラジル大会を凌ぐ好ゲームが続いた。 ◆◆◆◆◆ あすみさんが今回手にしているのは日本でも購入できるトラス社のゼロ・ダークチョコレート。同社はカタルーニャ地方のジローナに位置し、フランスの国境から60km、バルセロナ港から120kmの距離。売り上げの35%以上が国際市場であるのも頷ける。 1890年創立なので、スペイン最古のチョコレート・メーカーの1つ。本場ベルギーの企業との技術提携により向上した品質で、今日世界各国で愛食されている。 ◆◆◆◆◆ 第45景はジローナFCの本拠地エスタディオ・モンティリビ。訪問したのは指宿洋史(現ジェフユナイテッド市原・千葉)在籍時なので、9年前。当時はライアンエアがバルセロナのエル・プラット空港に乗り入れしておらず、ジローナのコスタ・ブラバ空港に着陸。リムジンバスは、バルセロナとジローナ駅に運行していた。 ◆◆◆◆◆ ジローナFCはクラブ創立以来初の二部昇格で沸き返っていた。そして昨季クラブ創立87年目にして悲願の1部昇格を果たしている。開幕戦でアトレティコとドロー、10節ではレアルからまさかの逆転大金星。マドリッドのビッグクラブ相手にカタルーニャの弱小軍団が起こしたドラマは歴史を知るものにとって痛快極まりない。 ◆◆◆◆◆ 今回、ロシア大会には、ジローナFCから3選手がエントリーしている。日本のサッカーファンに認知されたのは、コロンビア代表の左サイドバック、ホアン・モヒカ。原口元気とのマッチアップ。原口に押し込まれたモヒカは、攻守両面で精彩を欠いた。第二戦ではベンチかと思いきや、ペケルマンの期待に応えポーランドを圧倒、セネガル戦も粘り強い守備で無失点に貢献した。イングランド戦でも後半41分のクロスで見せ場をつくり終わってみれば全四試合フル出場。昨年までの代表キャップ数2から8まで伸ばしレギュラーの座をを確保している。 ◆◆◆◆◆ ゴールキーパーのモロッコ代表、ボナは出番なし。 ジローナFCの大黒柱は、クリスティアン・ストゥア―ニ。↑ 画像クリックで youtube《Girona FC vs Atlético de Madrid》動画

13 07, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【44】エスタディオ・ド・ベッサ /  ポルト

By | 2018-07-13T22:27:57+00:00 7月 13th, 2018|Categories: Soccerlture League, 未分類|0 Comments

あすみさんが手にしたボトルは、アデガ・ド・モレイロ。モレイロとはポルトガル語で風車を意味する。その名の通りラベルに描かれている六角形の風車が目印。ワイナリーがあるのはリスボン北部のトレシュ・ヴェドラシュ。日本の量販店では南米産のボトルにしか手を延ばさない筆者が、欧州産で唯一、継続して購入するほど、1000円/本以下のお手ごろ価格ながら、けして侮れないポテンシャル。 ◆◆◆◆◆ 世界を熱狂させた蹴球の宴も残るはファイナルと三位決定戦のみ。振り返ればバロンドールを独占してきた二巨星が決勝トーナメント1回戦で舞台を降りた。リオネル・メッシ31歳、クリスティアーノ・ロナウドは既に33歳。年齢的にも最後のワールドカップとなることは否めない。クリスティアーノは、初戦スペイン代表との隣国対決で、いきなりハットトリックを達成するなど、それなりにインパクトを残したが、ウルグアイのルイス・スアレス−エディソン・カバーニの強力2トップと、お家芸の堅守にメジャー大会連覇を阻まれた。 但しズラタン・イブラヒモビッチが代表から引退したスウェーデンの快進撃同様、クリスティアーノ依存から脱却することで更に強くなる可能性を秘めているのが今のポルトガル代表。次代のタレントが続々と芽吹いている中でも、筆頭は昨年から今年にかけて大ブレイクしたブルーノ・フェルナンデス。スポルティング・リスボンのアタッキング・ミッドフィルダーは、昨季国内リーグMVPを獲得。しかし彼の生まれ故郷はポルトの北側近郊にあるマイア。 ◆◆◆◆◆ 第46景は彼が少年期を過ごしたボアヴィスタFCの本拠地エスタディオ・ド・ベッサ。 その名が世界に知れ渡ったのは、ポルトガル五輪代表の背番号10番が写し出された2016年8月4日。アトレティコ・マドリーで頭角を現していたアンヘル・コレア擁するアルゼンチン五輪代表相手に2-0と快勝。2アシストを記録したブルーノ・フェルナンデスが当時在籍していたのはセリエAのウディネーゼ。 グループリーグを突破して、8月13日ベスト8でドイツと対戦、4-0の完敗後ブラジルから向かった先はイタリア北西部の港町。 ◆◆◆◆◆ サンプドリアが彼に用意した背番号は10。合流して一週間でセリエA開幕戦を迎える。エンポリでのアウェー戦は長男とプレス席に腰を降ろした。しかし開幕直前に加わった新参者はベンチを温めたまま試合終了のホイッスルを聞く。 ◆◆◆◆◆ 翌週の第二節 スタディオ・ルイジ・フェッラーリの結果をガゼッタで確認する。連勝好発進にサンプドリアの名物オーナー、マッシモ・フェレーロも大喜び。アンデルレヒトから電撃移籍のデニス・プラートはスタメンで採点も6と、まあまあの評価。フェルナンデスは終了間際6分間のみの出場で評価なしのSV。ところが3節から3連敗2引き分け。9節のデルビーでスタメン、好パフォーマンスで6試合ぶりの白星をもたらすと、11節インテル戦からレギュラーに定着、シーズンを通して攻撃のタクトを振るった。 ◆◆◆◆◆ 15年程時計の針を戻してみるとFCインフェスタのアカデミーに別れを告げ、ボアヴィスタの門扉を叩く10歳のブルーノ少年がいる。それからU15→U17→U19と2012年まで8年の間、順調に才能を伸ばした。 ◆◆◆◆◆ ポルトのフランシスコ・サ・カルネイロ空港の入国手続きを終えるといきなりスタジアムツアーの宣伝広告が目を飛び込んでくる。 ピッチとの距離が近い英国式スクエア型のスタンド。その傾斜角は45度近い急勾配。2004年のユーロ開催に向け大規模な改修が行われ現在の佇まいに。

16 06, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【41】SRC ザプレシチ 

By | 2018-06-17T00:40:05+00:00 6月 16th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

遂に開幕したロシアでの蹴球の祭典。それは日本人にとっては、睡眠不足との闘いのキックオフを意味する。ハットトリックを記録したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドの超人ぶりには、ナチョ・フェルナンデス、イスコ、セルヒオ・ラモス、ルーカスとチャンピオンズリーグ三連覇を達成した同僚達も、脱帽せざる得ない。 本日、自身3度目となるワールドカップの初戦に挑むのは、「10番」ルカ・モドリッチ。 ◆◆◆◆◆◆ 第41景は、ノゴメトニ・クルブ・インテル・ザプレシチの本拠地SRC ザプレシチ。 ザグレブの北西、スロベニアとの国境側に位置する同市のスタジアムまでは路線バスを利用できる。これまでディナモ・ザグレブから多くの選手が貸し出されており、両クラブの親密な関係が伺える。 ◆◆◆◆◆◆ モドリッチが加わったのは2004年の夏。現在もクロアチア代表最終ラインの防波堤、ヴェドラン・コルルカ、当時U20代表の左サイドバック、フルボイェ・カレも同時に移籍している。三人はカレの運転する車で毎日ザプレシチへ練習に通った仲。 ◆◆◆◆◆◆ カバー写真は「KAZU 僕を育てた55通の手紙」を手にしたあすみさん。今回も残念ながらワールドカップメンバーから漏れてしまったがカズ節は健在。 1998年フランス大会の初落選後、クロアチアへの移籍がキング・カズのサッカー人生においてターニングポイントになった。しかし数字だけ見ると2月のデビュー戦からシーズン終了まで12試合出場・ノーゴール。契約も途中で切られ、お世辞にも活躍したとは言い難い。 カズより2年早く、ザプレシチからザグレブへの移籍を果たしたのが同じくJ2でプレーする現湘南のミキッチ。当時18歳ながらUEFAチャンピオンズリーグにも出場している。 ◆◆◆◆◆◆ 外国人優先の方針でポジションこそ奪われたものの、オズワルド・アルディレスが監督に就任すると、カズを始めベテラン外国人は一掃された。ザグレブは、後にボスニア・ヘルツェゴビナ代表に選ばれるウィンガー、マリオ・ジュリッチ(1976年生まれ)をザプレシチから獲得すると、187cmの長身センターフォワード、Mate Dragicevic(1979年生まれ)もレンタル先のザプレシチから呼び戻している。2004年にカイザースラウテルンに移籍するまで、多くのタイトルをザグレブで獲得したミキッチがドイツに発つと同時に、前述の若手トリオがザグレブからザプレシチへ貸し出される。 ◆◆◆◆◆◆ このシーズンはクラブ史上最高成績の2位でフィニッシュ。リザーブチーム程度に考えていたはずが、突然優勝を争うライバルへと変貌したザプレシチ。慌てたザグレブは冬にモドリッチとカレを呼び戻すのだが、彼らがもしもそのままこのチームでプレーしていれば国内制覇の栄光を手にしていた可能性は極めて高い。 コルルカも戻ったディナモ・ザグレブに2007年にはマンジュキッチ(現ユヴェントス)も加わり短い期間ではあるが三人と共にプレーしている。 コルルカは2007年にマンチェスター・シティ、トッテナムと英国を渡り歩き、ドイツを経て2012年からロコモティブ・モスクワに。チャンピオンズリーグ・ファイナリストの相棒ロヴレン(リヴァプール)と比較すると見劣りするが、それでも覇者アトレティコの前に屈したUEFAヨーロッパリーグベスト16の今季は、開催国のファンに存在感を充分示している 筆者がスタジアムを訪問したのは昨年12月8日19節 HNKチバリア戦。金曜のナイトゲームの観衆は120人程度。フロアには元祖キングのお写真も。

2 06, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【39】コルポーター アレナ / キェルツェ

By | 2018-06-02T19:49:59+00:00 6月 2nd, 2018|Categories: Soccerlture League, 未分類|0 Comments

ガーナとの壮行試合を終えて、日本代表はインスブルックへと旅立つ。ビール、続けてハイボールの大ジョッキを片手にテレビ観戦。急造3バックで結果が伴うわけもなく、さて、如何したものか。 悲観的にならざる得ないが、自国を見捨てるわけにもいかないので、かつて日の丸を胸にプレーしたあすみさんに「必勝、日本」を掲げてもらった。 今週、発表された23人に欧州のメディアも反応している。ポルティモンセが中嶋翔哉落選の報に激怒したのに続き、久保裕也、森岡亮太が外れたことに驚愕したベルギーのメディアは、批判めいた活字を並べる。日本人にはこの感覚、理解し難いかもしれない。 写真は今春のポルトガル訪問時。「中嶋のような選手は、まだ日本にいるのか」と質問攻めにあったネズミ男。 ◆◆◆◆◆◆ 2018-19シーズンのベルギーとポルトガルの一部リーグ独占放送権、配信権をスカパー!が獲得した。これで飲みながらジュピラー・プロやリーガ・NOSの話題で盛り上る機会が増えるかもしれない。中島、久保、森岡に感謝しなければなるまい。めっきりJリーグに疎い筆者でもFC東京で燻っていたのは知っている。それがポルティモネンセで大ブレークしてハリルの目に止まり声がかかった。面白いなと感じるのは、この中島の活躍や、ブラガ移籍が浮上している元鹿島のファブリシオ等、選手個人から葡日両国リーグのレベルを比較しようとする意見である。 実際に放映が始まれば、視聴された方達が勝手に判断されると思うが、今回39景ではポーランド一部リーグ=エクストラクラサのコロナ・キェルツェの本拠地を紹介する。ブラジルのサンパウロFCでプロ契約した斉藤誠司が2012-13年6月まで所属していた同クラブ。 ◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆ 筆者がコルポーター・アレナを訪問したのは、2015年5月29日。コロナ・キェルツェとGKSピアスト・グリヴィツの対戦は20:30のキックオフ。2006年に完成したスタジアムは15500人収容。昨年のU-21欧州選手権でも使用されている。 ◆◆◆◆◆◆ 正午前にワルシャワを発ち、列車で3時間の移動。退屈凌ぎに車窓からの眺めにレンズを向けてみたが、余計退屈になる。 ◆◆◆◆◆◆ まったく理解できなくてもポーランド語の活字を目で追う以外にすることがない。 当日のスタメン予想。紙面右下には、現ジェフ千葉のエベルトが出場していた。冬の移籍を表すやや重めの背番号は33。 ◆◆◆◆◆◆ 試合前にチケット売り場で登録パスが作成される。エクストラクラサを観戦するはこの日が初めてではなかったが、写真撮影後カードを 受け取ったのは初めて。良い記念品と無邪気に喜んでいたら英語で声をかけられた。 ◆◆◆◆◆◆

14 05, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【35】エスタディオ・1.デ・マイオ / ブラガ

By | 2018-05-14T19:42:03+00:00 5月 14th, 2018|Categories: Soccerlture League, 未分類|0 Comments

欧州の伝統的な食べ物にクリスプ・ブレッドがある。ブレッド=パンなのだが、北欧ではクラッカー状の薄い形状のパンを指す。一方南欧でクリスプ・ブレッドと云えば、ドゥルセソル社の製品。 ◆◆◆◆◆◆ あすみさんの鼻腔を蕩かすのはオレガノの香り。まずはそのままひとくち。その後筆者お薦めの塩とオリーブオイルを少々加味して頬張ってもらうとこの表情。 ◆◆◆◆◆◆ 1950年代にヴァレンシア近郊ヴィラロンガで創設され、現在はスペインを代表する食品メーカーへと発展。このトマト味を初めて口にした時、「まいう~」と漏らしたかは定かではないが、「これはフットボールだね」と感じた奇妙な印象は今も変わらない。 ◆◆◆◆◆◆ 第35景はポルトガル第三の都市ブラガにあるエスタディオ・マイウ~・・・もといマイオ。 古代ローマ帝国がイベリア半島を征服した時代から栄えたこの街にスタジアムが誕生したのは1950年。外壁、外構部、更には全席石段なので座布団持参をお薦めする。石積みを目の当たりにすると竣工まで四年を費やしたのにも納得。 ◆◆◆◆◆◆ 1974年カーネーション(無血)革命により独裁政権に終止符が打たれた際、現在の1.デ・マイオ(5月1日)=メーデーに名前が変更された。 ◆◆◆◆◆◆ あすみさんの写真を撮影した時には、ヴァレンシア市内のスタジアム掲載時のカバーを考えていた。 しかし先月ギマライエンスからブラガ市内に到着した際、ドゥルセソル社のロゴ入り車両を複数見かけた。スペイン国外、フランスやイタリアでも販売しているので不思議ではないのだが、詰まらないことを気にして肝心な所が抜け落ちる性分。キーボードをたたいてみると、島々を含むポルトガル国内のプロモーションを手掛けている販売代理店ホセ・マヌエルD.フレイタス社はブラガ所在。GOOGLEマップに表示された位置は北部と南部二か所。いずれもスタジアムから1~2キロの距離にあるので今回はブラガに変更。 ◆◆◆◆◆◆ 撮影した写真の日付は2018年4月15日  ブラガとビットーリア・ギマランイスのセカンドチームが2部リーグにエントリーしており対戦。紙面順位表に目を通すと16位と10位。1部リーグを目指すクラブと比べても意味がない。 ブラガ県ミーニョ地方の両クラブによるダービーとあって、スタンドからは(意外に)熱気を感じるたのだが、この写真はバックスタンド側無人くん。3万人収容で300人程度の観客がメインスタンド側にいたはず。 ◆◆◆◆◆◆

9 05, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【34】スタッド・ドゥ・ラ・メノ/ ストラスブール

By | 2018-05-10T11:25:17+00:00 5月 9th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

ナイトゲーム撮影時に防寒着を欠かせなかったポルトガル、一方汗ばむ陽気の東欧から帰国すれば、日本は青葉繁れる好季節。 そしてワールドカップモードに突入。前回椎名林檎の「NIPPON」が物議を醸したNHKのテーマ曲を今回は誰が担うのか。芸術とは創作者と鑑賞者、即ち送り手と受け手、パサーとレシーバーの関係で成り立つ。猫に小判の価値はわからず、飛べない豚はただの豚である。 ◆◆◆◆◆◆ カバー写真のモデルさんも大山成美さんから三代目にバトンタッチ。今回招聘した平久保安純(あすみ)さんは、この春早稲田大学社会科学部を卒業した新社会人。学生時代はソフトテニスの日本代表として活躍した輝かしい経歴の持ち主。数々の国際大会を経験する中で、普通の女の子が味わえないものを口にしたり、貴重な体験をしている彼女の逸話は、今後徐々に紹介する。まずは撮影の緊張を解すために、シャルドネを口に含んでもらった。 ◆◆◆◆◆◆ フランスの中東部に位置するブルゴーニュ地域、絡み合う運河の隙間に点在する古城を眺め、シャルドネ以外にも本家本元のピノノワール、シャブリ、ボジョレーを味わおうと世界のワイン通が集う。その東、ドイツ国境沿いまではアルザス・シャンパーニュ。字面を眺めるだけで舌の上で風味がはじけるから不思議。 ◆◆◆◆◆◆ 地域圏の首府ストラスブールの街並みは、ラテンとゲルマン双方の文化が漂いフランスの中でも異彩を放つ。 シュツットガルトからパリへ移動する際の途中下車。一度だけ立ち寄り、スタジアムも遠巻きにして眺めたが撮影はしていない。 そこで今回はもう一人強力な助っ人を招聘した。早稲田大学からの交換留学生としてこの街で暮らす細井辰真さん。先月プラハ滞在時、偶然同室になった日本人は、可也のフットボール通。彼がメスを訪問した際、撮影した川島選手、フレデリック・アンツ監督とのツーショットがこちら↓ ◆◆◆◆◆◆ 第三十四景はRSストラスブールの本拠地スタッド・ドゥ・ラ・メノ。 2010-11シーズンに財政難で5部にまで沈んだ名門が今季遂に1部に復帰。 ◆◆◆◆◆◆ リーグアン第7節 9月24日の対ナント。3万人キャパの同スタジアムに23,408人の観客。 10月25日のASサンテティエンヌとのリーグカップ戦は平日(水曜)開催ながら18,317人を動員している。当面の目標、一部残留はクリアできるであろう今シーズン。 ◆◆◆◆◆◆ ところでフランスのリーグで初めてプレーした日本人は廣山望(2003年モンペリエに所属)だが、東洋人ならば1998年の徐正源(ソ・ジョンウォン)。彼が在籍したのは、このRSストラスブールだった。 あすみさんを撮影するにあたり、プレーの映像を視聴すると、画面には韓国代表とのラリーの応酬。半年間に及ぶ強化合宿を設けて国際大会に臨むらしいプロ集団の韓国は女子選手でも屈強な体躯を誇る。それに比べて早稲田の女子大生プレーヤーはしなやかではあるが、その肢体はあまりにも儚げ。 プロリーグを発足した韓国に対してアマチュアの日本A代表がまるで歯が立たなかった80年代の日韓サッカー情勢が脳裏に蘇る。

3 05, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【33】ヴァースライズアレナ/オーステンデ

By | 2018-05-14T16:52:32+00:00 5月 3rd, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

今回でカバー写真の大山成美さんは任期満了。「え・・・?あたしおしまい?」の吹き出しが似合いそうな写真を最後に残しておいた。 ビールの小瓶を持った写真が妙に多くなっている。これはご本人のキャラの影響も少なくはない。 第23景コペンハーゲンといえばカールズバーグ。1988年からスポンサー契約を結んだUEFA主催欧州選手権とリヴァプールの胸ロゴは今でも記憶に残る。ベニテスの奇跡と感動(2005年)をクロップは、キエフで再現できるであろうか。 ◆◆◆◆◆ そして1994年からUEFAチャンピオンズリーグの公式スポンサー、ハイネケン。現在世界でも最も多くの国で飲まれている。第24景で紹介したとおり、ヘンクで販売されているクリスタルも同グループの製品。 第33景はKVオーステンデの本拠地、ヴァースライズアレナ。当日の入場券(立ち見)と列車チケット、マッチデープログラムにジュピラーの瓶、4点セットで撮影・掲載したのがコチラ ◆◆◆◆◆ 都市名は「東の端」だが、ベルギー最北端オーステンデは、ブリュッセルから列車で15分。港の帆船には18世紀貿易港として栄えた歴史の名残り。市内中心部を散策、聖堂以外に目をひくモノは特に見当たらないが、街中でも潮の香が微かに漂う。水平線の彼方は英国ブリテン島。 王室御用達のリゾート地はどんなものかと砂浜を西に向かったが、歩き疲れて結局トラムを二区間利用した。 ◆◆◆◆◆ これはもう黄金色の液体で喉を潤すしかない。スタジアム内でカップに注いでもらいグビグビ喉を鳴らし、ぷは~と息を吐く。そこで初めてカップの文字がMAESであることに気づく。 言いわけになるが、基本、取材・撮影=お仕事でスタジアムに出入りしているため、毎回ビールを飲んでいるわけではない。ベルギーのスタジアムでビールを飲んだのは過去に・・・数回。・・・たぶん。そのすべてがリーグの冠ジュピラーだった。スタジアムの外を含めてもMAESを飲んだのはこの時が初めてだったので、ファインダーに収めてみた。 ◆◆◆◆◆ フットボールファンが勝手にハイネケンこそ世界一と思い込むのも頷ける。但し世界シェアの3位カールズバーグ、2位のハイネケンを圧倒するのは14世紀にブリュッセルの東、ルーヴェンのアルトワ醸造所から発展したインターブリュー。正確な名称はアンハイザー・ブッシュ・インベブ(ABインベブ)社。 ◆◆◆◆◆ かつてインターブリューの二枚看板は日本でも手軽に入手できる小麦=白ビール醸造のヒューガルデンと、現地でやたら広告が目に入る修道院=Abbey ビールの代名詞レフ。 それが2000年、同社は初めてイギリス海峡を越え、ホイットブレッドを買収、更にバスをカールズバーグとの競合の末23億ポンドで傘下に収める事に成功する。

27 04, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【32】ウェンブリー・スタジアム / ロンドン

By | 2018-05-01T19:45:03+00:00 4月 27th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら, 未分類|0 Comments

第32景は聖地ウェンブリー。言わずと知れた世界最大の屋根付蹴球場である。旧年は酉年。仇敵アーセナルの順位を上回りスパーズのファン・サポーターは、22年間溜まりに溜まった溜飲を下げた。17-18シーズンも好調、プレミアではロンドン勢最上位の四位をキープ、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)も最終節を迎える前にグループステージを余裕でクリアしたのだから大満足で年を越せたはず。 年明けユヴェントスの前に涙を飲んだが今大会屈指の名勝負。それにしてもこの後、ローマVSバルサ、ユヴェントスVSレアルと名勝負の連鎖には驚きを隠せず。 ◆◆◆◆◆◆ 成美さんが持っているフラッグ。実はプリントされているトッテナムのエンブレムが雄鶏だと最近まで知らなかった。きっとロンドンには磐田でジュビロ君のモデルになった三光鳥のような野鳥が生息していたんだろうと勝手に決めつけていたのである。果たして・・・これがニワトリに見える読者・ユーザーがどれほどいるものか。 ◆◆◆◆◆◆ 消火試合になってしまったとはいえ、この旗を振ったサポーターで大賑わい。ガラス張りの壁面におなじみのシンボルロゴが投影されるのを見ると感無量。 実はこのニューウェンブリーが完成した際、重ねた歴史と伝統が威厳を醸すツインタワーが取り壊されたと聞いて愕然とした。実際ロンドンでもツインタワーを別の場所に移せないかと、議論されたとか。旧ウェンブリーの着工は1922年だが、このツインタワーは1889年の大英博覧会のために建造されている。辛うじて旧ウェンブリーの面影を残すのが1966年世界を制した代表チームの主将ボビー・ムーアの銅像とあって、記念撮影に興じるファンも多い。 ◆◆◆◆◆◆ 筆者だけでなく多くの日本人ファンがウェンブリーの存在を身近に捕らえたのはJリーグ開幕を控えた1992年。欧州王者は年末に来日することが慣わしだった当時、クライフ率いるバルセロナが欧州を初めて制覇した会場として、脳裏に刻まれたから。 また1995年には日本代表がイングランド代表と対戦したアンブロカップ。一度は同点に追いつかれ本気モードのスリーライオンズ。頭に包帯を巻いた中山雅史の雄姿も回想すれば郷愁を感じる。 ◆◆◆◆◆◆ それが、近代的で無国籍なデザインになってしまったのは誠に残念。それもそのはずデザイン・設計を担当したのは、米国カンサスシティに本社を構えるポピュラス。 1983年HOKのスポーツ専門の設計・建築部門が設けられ英国のロンドンと豪州のブリスベンを拠点に国外へも進出。これまで野球のメジャーリーグやNFLで使用される多くのスタジアムを手掛けた。サッカー場ならば現在、世界にふたつある日産スタジアムの、もうひとつのほう、2017年のCONCACAFゴールドカップの公式戦が行われたテネシー州ナッシュビルの日産スタジアムは同社デザイン。またアーセナルのエミレーツに、ウエストハムの五輪スタジアムと、ロンドンの巨大蹴球場は漏れなくポピュラスの作品。 ◆◆◆◆◆◆◆ さてウェンブリーに来た以上、まずはコレを撮影しなくてどうすると、レンズを向けたのはコレ。ツインタワーに代わる象徴、それは41個のリングが、まるで天に架かる虹を連想させるアーチ。これこそ大揉めの新国立競技場デザイン騒動のおかげで、建築にまったく興味のない方まで知ることになった「キールアーチ」。ここまで巨大な建物でこの構造が可能なのかと素人でも疑問に思うが、アーチが屋根を上から支えており、唯のモニュメントではないと聞かされれば納得してしまう。 実は、当初新国立競技場のコンペで故サハのデザインに次ぐ評価を受けたがオリジナリティに欠けるという理由で涙を飲んだ豪州のコックス建築設計事務所の案。フィールドを上げ底にすることで、陸上トラックを仮設できる多種目対応型だったが、これはウェンブリーのパクリ・・・もとい同様のアイディア。個人的にはこちらのデザインに一票を投じたかったのだが。 ◆◆◆◆◆◆◆ 冒頭でニワトリにふれたが、今回のキャッチ画像も何枚か成美さんを撮影した中から見事な「アヒルぐち」を採用した。先代のななせさんといい、今時の若い娘さんはこちらがリクエストしなくても上手にアヒルぐちの表情をつくる。

17 04, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【30】アヴィヴァ・スタジアム / ダブリン

By | 2018-04-27T20:39:18+00:00 4月 17th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

冒頭から行き成りカミングアウト。実はあまり黒ビールが好きではなかった。もちろんアルコール飲料である以上あれば飲むが、通常のビールを避けて黒をオーダーすることはない。 それでも本場のアイリッシュ・パブで飲んだギネスは、口から自然に「美味い」の言葉が零れ落ちるほど美味い。ケルト音楽を奏でるうえで必須の楽器がハーブとパグパイプ。 ◆◆◆◆◆ 成美さんの目の前、ラベルに刷られているのもハーブを用いた紋章。とにかくアイルランドといえば『ダニーボーイ』である。このアイルランド民謡はアメージング・グレイスと並ぶ癒し系マイフェイバリットソング=着メロとかに設定する曲。ダニーボーイと聞いて?がつく方でもこのケルテックウォーマンの動画を見聞きすれば「ああ、これか」と納得。 第30景はアイルランド、ダブリンのアヴィヴァスタジアム。所有者は同国のラグビー協会とフットボール協会。サッカー専用ではなく多目的スタジアムに分類される。 訪問したのは昨年6月11日 FIFAワールドカップ・ロシア大会欧州予選、アイルランド代表対オーストリア代表。この日手渡されたビブスはクライフNo.14。若い方にはわからなくても、オジサン達世代ならば共感を覚える憧憬の番号。珍しく緊張して撮影意欲に満ち溢れていたのはこの時だけ。 ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ 試合は1-1のドロー。「♯18 欧州予選の陰にもうひとりのハリー」で試合の内容にふれているのでスルー。それでも一枚Upしたい写真がコチラ。題名は「アヴィヴァでアラバ」・・・ ◆◆◆◆◆ プレスルームのガラスケース内に展示された記念品がこのスタジアムで催された数々の歴史を語る。プレートには2011年9月2日の刻印。三色国旗から赤を除いたホワイト&ブルーのユニフォーム。白を基調としたデザインをスロバキア代表はホームで用いる。チェコとの分離後初の出場となた2010年のワールドカップ・南アフリカ大会ではイタリアを破る金星=初白星でベスト16に。2012年のユーロ、2014年ブラジル大会は予選で涙を飲んだが、2016年ユーロ・フランス大会ではロシアを破りイングランドと引き分けてベスト16。2018年ロシア大会の切符は逃したが、10年間でメジャー大会二度のベスト16は人口万人の東欧小国において称賛に値する。 ◆◆◆◆◆ 写真のマッチデープログラムは昨年12月1日HETリガ16節のスラヴィアプラハ対バニーク・オストラヴァ戦。今季大量補強の目玉は、ゼニトから移籍金なしで獲得した元ポルトガル代表ダニーと、フェネルバフチェのスロバキア代表ミロスラフ・ストフ17番。4-2-3-1の右サイドに定着。ブルサシュポルで細貝萌の同僚だった彼は28歳にして既に代表キャップ数55。2011年9月2日のユーロ予選アイルランド戦にもフルタイム出場している。一方左サイドのドゥサン・スヴェントは負傷でベンチにも姿はない。 ◆◆◆◆◆ 過去に一度だけスロバキア代表の試合を観戦したのは、アイルランド戦から約半年後のロッテルダム。ユーロ開催直前、オランダ代表の調整試合にはストフとドゥサン・スヴェントが出場していた。スラヴィアに在籍していた2006年にA代表デビュー。アイルランド戦は欠場したが、ユーロ・フランス大会、ロシア大会予選まで主力で活躍していた。昨季ケルンからスラヴィアに7年ぶりの復帰を果たしたスヴェント。 ◆◆◆◆◆ デ・カイプで見かけた女子高生も今では素敵なVROUWに成長しているはず。

13 04, 2018

ぷら~り 欧州蹴球場百景【29】スタディオ・ピエル・ルイジ・ペンツォ / ヴェネツィア

By | 2018-05-03T03:13:39+00:00 4月 13th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, 未分類|0 Comments

欧州広しといえど、この街に似た情景は何処にも見当たらない。ストックホルムを『北欧のヴェネツィア』と称しても本家とは明らかに風情が異なる。 勿論メーラレン湖とバルト海を繋ぐガムラスタンの旧市街に見るべき価値はある。しかし150を越える運河に掛けられた橋の数は400を上回る。細い路地とこの橋が網の目のように張り巡らされ、まさに迷路。水面の美しい「輝き」と景観の異端ぶりは筆舌に尽くし難く、実際に自分の眼と脚で体感するのをお薦めする。 映画祭、現代アートと建築のビエンナーレが催される為、度々訪問はしている。サハラ砂漠方面からの乾燥した高気圧が雨量を減らすが、前述の運河の影響で夏はかなり蒸し暑い。移動手段も限られる為、自ずと歩かざるを得ない。 ◆◆◆◆◆ 成美さんが握っている小瓶はイタリアで最も愛飲されているモレッティ。同国内各都市にてグラスに注がれた中で、一番美味いと感じたのは間違いなくこの水上都市。 ◆◆◆◆◆ ↑↓に掲載している写真は過去に一度だけ、冬の訪問となった2009年・・・・ごろの撮影。写真の管理が雑で曖昧。間違って消去したデータは数知れず。 ◆◆◆◆◆ そのヴェネツィアにもフットボールクラブはある。聖マルコを表す有翼の獅子はこの都市の象徴。デザインは変わっても胸元から飛び去ることはない。 ◆◆◆◆◆ お猿の親子が着ているのは2005-2009年SSCヴェネツィア・モデル。土産に買って来た途端、クラブは破産。FBCウニオーネ・ヴェネツィアとして2009-10シーズン、セリエD(4部)からの再スタートを切った。 ◆◆◆◆◆ 日本人では現在ジュビロ磐田の監督を務める名波浩氏が1999年に移籍して一シーズンプレーをしている。 本島は、左向きの魚の形をしており、ビエンナーレ会場となるジャルディーニは尾びれの後方=東南部。その尾びれの先っぽサンテーレナに1913年造営されたピエル・ルイジ・ペンツォはジェノアのマラッシに続き2番目に古い。 ◆◆◆◆◆ この上空からの写真は東側、つまりリド島側の海上からのアングル。映画祭で有名なリド島は、空港もあれば路線バスも会場まで運行しているのだから使わない手はない。 ◆◆◆◆◆ この写真は一昨年の夏、高校生になった息子との二人旅。フィレンツェから北に移動するバス車中。道路はドーロあたり、間もなくヴェネツィアに到着。 ◆◆◆◆◆

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